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佐藤 洋一(さとう・よういち)早稲田大学社会科学総合学術院教授 略歴はこちらから

<働く自転車>が語るもの

佐藤 洋一/早稲田大学社会科学総合学術院教授

眼に棲みついたあの乗り物

 あの乗り物のことが気になりだしたのは昨年の秋頃のことだ。ある時、受容限度を越えて、花粉症のように、突然発症したのだろう。

 古書店が立ち並ぶ神保町の靖国通りで見かけたその鋼鉄製の乗り物は、店先に佇むさまがあたかも飼い犬のようだった。黒い体躯は見るからに頑丈で、何かを運ぶために声がかかるのを、少し首を傾げながら店先で待っている。そんな姿は、単なる道具ではない、と、私の眼に映ったのである。

 いったんそう見えてしまうと不思議なことになった。神田のほうぼうにいるあの乗り物が、眼に入ってくるようになり、とことん気になりだしたからである。なぜ今の今まで全く気がつかなかったのだろう、靖国通りなど、何十回、いや何百回と通っているのに。その日その時から私の眼の何かが変わった。鋼鉄製の生き物を感知するセンサーが眼底に内蔵されたとでもいうべきか。

 あの乗り物とは、通称<働く自転車>。無骨なフレーム、直線的な銀色のハンドル、広い荷台と丈夫なスタンドを持つ、運搬用の自転車のことである。

働く自転車の見どころ図

 古い写真や映画を観れば、かつて働く自転車は、路上におけるどんな光景にもその姿を見せていたことがわかる。人々の立ち話の背後にさりげなく通りかかったり、商いの場の傍らに停められていたり、あるいは器用に片手で蕎麦の載った盆を掲げる乗り手によって、堂々と大通りをクルマと並走していたりした。そうした残像があるから、働く自転車は、昭和を思い出させるレトログッズの一つでもある。

神田はたらく自転車生息地図
(クリックするとPDFが開きます)

 しかし、靖国通りで私の眼を開かせてくれたのは、「レトロ」な骨董としての自転車なんかではなく、やや歳は食っているけれど、店先に佇んで出動するのを待っている現役バリバリの自転車なのだった。

 そんなある日のこと、コラム執筆の依頼があって神田界隈に関する記事を書くことになり、ここは一つ働く自転車について記事を書いてみようと決意した。まずは調査だ。

 そもそも、この企画は私単独のものではなく、ほぼ同時に同じ病を発症していた知人との共同企画である。その知人は、かつて神田界隈に関する本の仕事をご一緒し、この界隈を知悉するライターなのだが、その日から、同じ病気を抱え、同じ志をもつ仲間として、働く自転車にともに向き合うこととなった。

 神田界隈を虱潰しに回って、働く自転車を片っ端から写真に収め、持ち主の方にお会いできれば店先で、生業と自転車との関わりについてお話しを伺う。こうしてとにかくカウントすることにした。その数220台、全て現役である。調査結果を地図にプロットしながら、働く自転車の紹介記事を発表した。

 ひとたび「働く自転車センサー」を内蔵してしまうと、次なる獲物を求めて歩き回らないと落ち着かない。それどころか、何処に行っても自転車の姿と気配をセンサーが自動的に探索、キャッチしてしまうことになった。私の眼の中に、働く自転車が棲みつくようになったのだ。

町の乗り物、町の生き物

 「働く自転車」センサーが動作しつづけた結果、東京には、彼らが局地的に生息しているエリアがあることがわかった。神田の他に、築地市場とその周辺、合羽橋道具街、馬喰町・横山町の繊維問屋街である。それをここでは四大聖地と読んでおこう。

 これらの町には共通点がある。
(1)地形が平坦であること。
(2)商売上のネットワークが狭い範囲で完結していること。
(3)古いお店が多いこと。

 一言でいえば、彼らが生息しているのはムラのような町なのである。これは、コトバの上で矛盾はしているが、ある種ムラのような完結性をもった町に、働く自転車は居たのだった。お得意さんや仕入れ先は、ほぼ決まっていて、遠くてもせいぜい2km以内。車種によっては、80kgくらいなら無理なく運べたりする。一方通行や駐車禁止とも無縁な自転車は、近場を行き来するには大変好都合なのだ。その上、乗り手の顔が見えるから、知り合いに会えば路上でそのまま商談ともなる。

 そんな話を伺いながら、強く実感したのは「町の乗り物」「町の生き物」というべき姿だった。働く自転車は、モノの運搬を介して、お店の商売と町の関係を取り持っている存在なのだ。

安藤工業威力号。重厚なつくりで、今も本を運びつづける。働く自転車の中でも、「重運搬車」というカテゴリーに属する。(神田小川町・八木書店にて)

 さらにもう一つ。働く自転車は「町が生んだもの」でもあった。自転車史の視点から見ると、働く自転車は全く日本独自のもので、明治の後期ごろに輸入されたものをもとにして国産自転車が作られるようになり、大正期以降、運搬用として独自の進化を遂げていったという。それを生み出したのは、大工場ではなく、東京ならば、城東や城南地区などに見られるような中小工場の集積に他ならなかった。自転車はフレームを筆頭に、さまざまな部品によって成り立っているが、その一つ一つを、町場にあるメーカーが、改良に改良を重ねて、作り出してきたのである。その結果、働く自転車は、それぞれの場所によって少しずつ違う洗練されたものになっていき、大変豊富な種類とタイプを生み出した。この過程は日本独自のものであった。つまり、現代の我々の眼前に存在している働く自転車は、近代以降に蓄積された日本のモノづくりの歴史の賜物なのである。

 その上、働く自転車は、町の自転車さんによって、商売ごとにカスタマイズされて、乗り手に手渡されたものであった。時代によって、メーカーによって、そして生業によって、その姿が異なっているのだ。例えば、酒屋はその中でも、もっとも重い荷物を運ぶため、重厚なつくりの自転車に乗る。一方で、電気部品のメーカーなどは、さほど重い荷物もないため、やや手軽なタイプの車体になる。荷台の大きさも業種によってさまざまなバリエーションがある。

山口ベニー号。実はこの自転車、現在私の手元にある。取材後に紆余曲折があって譲り受けてしまった。こちらは「実用車」。(神田須田町・岡昌裏地ボタン店にて)

 日本の街角に全く違和感なく生息していた彼らは、昭和の終焉とともに、みるみるその姿を減らしてきた。その変化は、日本の、あるいは東京の、環境の変化、街並の変化、生業の変化そのものであった。

 現在、神田に続いてその実態調査を、築地市場とその周辺で始めるべく準備をしている。その数を年々減らしているとはいえ、築地こそは、現在働く自転車がもっとも多く生息する場所にほかならず、人々がひしめきあい、モノがいきかう市場において、自転車こそは、町の名脇役なのである。私も自転車にまたがって、市場をうごめきながら、市場の呼吸をつぶさに観察、記録したいのだ。

 近年は宅配便業者が、特に東京の都心部では真新しいピカピカの自転車で配達をしている光景も目にすることも多い。そんな新しい動きの影で、センサーがキャッチするのは、打ち捨てられている古い働く自転車たちである。その数の何と多いことか。彼らを救い出し、再び元気に町の中を動き回ってもらえないだろうか、そんな思いにとらわれ、まずは活動をweb上で始めた(文末リンク参照)。

 生き物のように見えて仕方がない彼らの生息環境を整えていくことは、レトロ趣味でも何でもない。我々の町を人間的なものにチューニングしなおすことにほかならないと信じるからだ。今日もセンサーを作動させて、そんな素朴な願いを少しでも実現できればと思っている。

関連リンク

働く自転車研究会

佐藤 洋一(さとう・よういち)/早稲田大学社会科学総合学術院教授

【略歴】
1966年東京生まれ。早稲田大学大学院理工学研究科博士課程単位取得修了。都市形成史および都市空間の映像表現を専門とし、授業では環境表現論、映像論、都市論や、フィールドワークをもとに映像コンテンツを制作する演習などを担当。博士(工学)。著書に「あの日の神田・神保町」「図説 占領下の東京」など。最近は、都市の路上における様々なモノの歴史、戦後の東京の都市空間に関する写真と映像表現の系譜を中心に研究を行っている。学内広報誌「キャンパスナウ」の表紙撮影も担当。