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池岡 義孝(いけおか・よしたか)早稲田大学人間科学学術院教授 略歴はこちらから

家族の困難、家族研究の困難

池岡 義孝/早稲田大学人間科学学術院教授

 ここ数年、地味だがわりと大がかりな仕事に取り組んできた。一昨年と昨年の二期にわけて刊行した『戦後家族社会学文献選集』(全20巻・別冊解説・解題1巻、日本図書センター)がそれである。第二次世界大戦が終わった直後の1940年代後半から1970年代年までの家族社会学の主要な文献を、著名な文献だけでなく忘れられた文献も含めて復刻し、各文献の解題と全体の解説をつけたのである。この仕事に取り組んだことで、家族研究者の研究のあり方と実際の家族の関係について、あらためて考えさせられた。

 現代社会における人びとの家族への関心には、きわめて高いものがある。それは、家族が大きく変動し、さまざまな家族問題がわれわれにその解決を迫っているということを背景にしている。夫婦、親子、結婚・離婚、出産、子育て、老親の介護など直接的に家族にかかわる問題だけでなく、未婚化・晩婚化、少子高齢化、さらには貧困や格差社会の問題など、現代社会の根幹をなす問題群の背景にも家族が存在する。いまある多くの家族研究や家族論は、したがってこれらの問題群に直接取り組み、現在の家族の実態を解明し、家族問題の解決を志向し、将来の家族がどうなるかということにも関心を寄せて議論を展開している。しかし、そうしたなかで、今から半世紀以上前の戦後すぐから約30年間の家族研究の文献に注目するという、一見すると現実から逃避したような仕事に取り組んだことには、それなりの目論みもあった。それは、この時期にこそ現在につながる戦後の家族研究の原点があり、そこに立ち戻ってその原点とその後の展開を確認するという作業が、迂遠なように見えても、現在の家族と家族研究を考える際にも必ず役立つだろうという確信である。

 あらためて確認できたのは、いまも半世紀以上も前の戦後の家族社会学の出発点でも共通しているのは、家族社会学研究が家族変動や家族問題をおもな研究テーマにしていることであった。しかも、60年ほど前の家族変動や家族問題は、いまよりも劇的なものであったといえるだろう。それは、戦争を間にはさんだ戦前から戦後という大きな社会変動と、民法改正に代表されるような家族に関連したさまざまな制度改革にともなう家族変動であり、それに由来する家族問題であったからである。しかし、こういう言い方は語弊があるかもしれないが、当時の研究者はいまよりも幸せだったかもしれないとも思う。それは、家族変動の枠組みが明確で、将来実現すべき家族モデルがはっきりしていたからである。目指されていた家族変動は、戦前の家制度から戦後の民主的家族、近代家族への変動であり、その具体的な姿がアメリカから導入した夫婦と未婚の子どもからなるいわゆる「核家族」だったのである。現実の家族変動もそのような方向で動いたし、研究者もそれを提唱し後押しした。つまり、家族の実態や変動と家族研究が幸せに結びついていた時代だったといえる。

 それに比べると、現在われわれが直面している家族変動は、そうした明確なモデルを指し示すことができない複雑なものである。これは、しかし、戦争という歴史的な大事件のあるなしという違いによるというよりも、A.ギデンズやU.ベック、Z.バウマンら現代の近代化論者たちが区別する2つの近代のあり方の違いによるものと考えることができる。つまり、かれらが「単純な近代」とか「第一の近代」などとよぶ近代以前の伝統的な社会を近代化する過程が、戦後すぐの時代に対応している。戦前の伝統的な家、村落共同体、第一次産業や自営業を中心とした労働、さらには政治体制や教育制度が近代化されて、近代家族(核家族)、地域社会(コミュニティ)、企業とサラリーマン中心の労働、民主的な政治体制、広く開かれた新制教育制度などが生み出され、高度経済成長という安定した経済基盤にも支えられて安定的な近代社会を謳歌できた。しかし、近代化の宿命は、それがとどまるところをしらぬ動きだということである。近代化する当の目的物であった伝統的なるものを近代化しつくすと、今度は近代化された自らをさらなる近代化の目的物とする「再帰的近代」もしくは「第二の近代」とよばれる段階に突入する。それが日本の場合、1980年前後からはじまり、現在もその延長線上にあるのである。現代社会の特徴としていわれる地域社会の崩壊、雇用の流動化、労働運動の崩壊、グローバル化による国民国家・領土的国家の崩壊などはすべて、「単純な近代」による達成物が新たなる近代化の波に翻弄されている段階に対応した現象なのである。そして、「家族のゆらぎや崩壊」といわれる現象も、このようなものとして位置づけることができる。「単純な近代」によって達成され安定的だった近代家族(核家族)は、さらにそれを徹底的に近代化する「個人化」などの動きによって流動化し、その後の明確な家族モデルを提示することもむつかしい状況にある。つまり、家族それ自体も家族研究も、ともに困難な状況に直面しているのが現在なのである。

 今回は、そうした「再帰的近代化」の波が押し寄せる直前の1970年代までの家族社会学の文献を整理し総括したので、より一層、かつてと現在の対比がつよく印象づけられた。そのため、この仕事に取り組んでみて、混迷する現代家族の探究や現代家族研究に何かヒントや光明が見出せたかというと、残念ながらその逆だった。むしろ、かつての家族の実態や変動と家族研究の蜜月状態が羨ましく思われ、現在の家族研究の困難をさらに痛感させられたといえるかもしれない。しかし、羨ましがってばかりはいられない。かつてもその変動の渦中では、現在われわれが実感しているような困難もあっただろうが、その評価が定まっている現在からみると、研究が明確なものとして理解される面もあるだろう。したがって、今回の仕事から学ぶべきは、家族の実態や変動を前にして家族研究の課題を指し示すことは困難だが、研究者はその難しい課題に取り組む責務があるし、戦後の出発点からそれを実際に行ってきたのだということであり、それにならって現在のわれわれも、その困難に挑戦し続けなければならないということである。

池岡 義孝(いけおか・よしたか)/早稲田大学人間科学学術院教授

【略歴】
1952年東京都生まれ。早稲田大学第一文学部社会学専修卒業。同大学院文学研究科博士課程(社会学専攻)満期退学。1982-1985年早稲田大学文学部助手。1987年早稲田大学人間科学部専任講師となり、助教授をへて教授となり現在にいたる。専門は家族社会学で、おもに質的研究や学説史・研究史の研究に取り組んでいる。この領域での論文として「戦後家族社会学の成立と家族調査」(2003年)などがあり、最近の成果が本文で取り上げた『戦後家族社会学文献選集』(渡辺秀樹と共同監修、2008年・2009年、日本図書センター)である。