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神尾 達之(かみお・たつゆき)早稲田大学教育・総合科学学術院教授 略歴はこちらから

オレオレシュギ・ウイルスにあらがって

神尾 達之/早稲田大学教育・総合科学学術院教授

 オレオレ詐欺の現場(?)では多くの若者が働いているらしい。高齢者から大金をだましとるためには、ハンドルネームならぬハンザイネームで別人になりすます能力(?)のみならず、オレだけよければオッケーだという能力(?)が必要なのだが、この能力に若者たちはたけているようだ。その一方で、電話やネットのようなメディアを介在させずに、ダイレクトに実名で対面しなければならない場面では、打たれ弱く、ちょっとした言葉の行き違いでも心が折れてしまい、「自室」に引きこもってしまう若者が少なくない。講義では多くの他者と空間をともにしなければならないし、ゼミでは自分の意見を述べそれを他のクラスメートの意見と調整することが求められる。現に、大学に来ることができない学生が増えている。自己肥大(俺)と自己萎縮(折れ)が表裏一体になっているこの心理を、ここでは「オレオレシュギ」と呼んでおこう。

 研究者であると同時に教育者でもある私たちは、今や、学問を教えるだけでなく、4年間をかけて彼らをこのオレオレシュギ・ウイルスから守る義務があるようだ。できればこの2つの課題を同時に果たしたいと考え、ゼミの運営を工夫してみた。

 専門課程のゼミは、同じ学科のもう1人の教員と協力して行うようにした。2人の教員が担当する3年生と4年生の2つのゼミを合体させている。細かく言えば、4つのゼミが合体しているわけだ。時間は連続する90分間2コマで、2人の教員のみならず、3年生と4年生が約3時間同席する。彼らをオレオレシュギ・ウイルスから守るために行っている工夫のうち、2つを紹介しよう。

 「合同ゼミ」と呼ばれる私たちのゼミでは、発表者以外にコーディネートを担当する学生を決めている。コーディネーターの仕事は、発表者の要望内容にもよるが、プレゼンとディスカッションの司会が最小限の仕事になる。だが、ほとんどすべてのゼミ生が、事前の準備段階から発表者をサポートしている。サポートの内容は、データを収集したり、レジュメとパワーポイントのチェックをしたり、聴き手として予行練習につきあったり、教師との事前相談に同行したりと、多岐にわたる。発表者が多くの益を得るだけでなく、コーディネーターも発表の方法論を当事者によりそうことで自覚できるようになる。また、コーディネーターはできる限り3年生と4年生を組み合わせるようにしているので、ゼミのスキルが伝承され、年ごとにゼロ地点からスタートしないですむ。実際、ゼミ生のスキルは年ごとに格段にアップしている。このコーディネーターという仕掛けのいちばん大きな成果は、コーディネーターに助けてもらった発表者が他の発表者のコーディネーターをつとめることで、ギブアンドテイクの輪ができていく点にある。友達が増えるだけでなく、教師が口にしても学生の脳内にはほとんど残らない手垢のついた「相互扶助」という関係を、彼らはいわば身体で覚えていくのだ。

 「合同ゼミ」のもう一つの工夫は、ヴァーチャルな「掲示板」だ。フロアーの参加者たちが、プレゼンとディスカッションから成る90分間の発表で十分に議論できなかった論点や、補足したい情報や、賞賛したいスキルや態度などを、授業終了後この「掲示板」に書き込むという仕掛けだ。発表者は学期の最後にゼミ論を執筆する際に、自分の発表に関する「掲示板」の書き込みを参照して、論理の飛躍や論点のズレを修正したり、より多くのデータによって自説の説得力を高めたりすることができる。コーディネーターの場合と同じく「掲示板」でも、ゼミ生たちはギブアンドテイクのメリットを体感する。当然のことだが、オレだけ「オイシイ」思いをする学生が支配的になると、このシステムは立ちゆかなくなる。また、コーディネーターという味方がいるので、ディスカッションで心がオレることもない。

 1年生を対象としたゼミでも「掲示板」を使っている。一人の学生がその「掲示板」に、「孤独な予備校生活を経て、個人プレーが骨の髄まで染みついてしまっている私にとっては、まったく正反対のことを要求されているこの授業……正直不安すぎます!」と書いてくれた。若者たちは、大学入学直前までと大学卒業時には、定員がある世界に直面する。入試と就活だ。飛行機の場合と同じように乗客の収容数が決まっているので、乗り遅れないようにする。席をゆずることが美しい行為であることが分かっていても、この局面では無理だ。個人主義が「骨の髄まで染みついてしまっている」のも当然だろう。だから脱個人主義的なスタイルの生き方は「不安」を引き起こす。

 その一方で、みんなと一体感を味わうことへの渇望は決して消え去ってはいない。上述の合同ゼミでは、コンパや合宿の参加率が非常に高い。個人主義の殻を破って、みんなと楽しくしたいという気持ちは失われていない。私たちのゼミの卒業生だけでなく、多くの大学卒業生にとって学生生活がポジティブに彩られた懐かしい思い出になっているとすれば、この4年間では奇跡的に脱個人主義が可能になっているからだろう。

 しかし、成果主義が終わりポスト成果主義が人事の評価システムになりつつある21世紀には、脱個人主義は大学生だけが享受できる特権ではなくなるだろう。一人勝ちできた人間は、幸いにも、あるいは不幸にも、本人が自覚しないままに多くの人々のサポートによって勝利を収めていることが決して少なくない。自分の目には見えていない無数の他者たちをスキップして、エネルギーや食糧を自分だけで消費できるというというのは、今ではもう幻想だ。他の人々と話しあい、分け合うことが、倫理的な御題目としてではなく、サバイバルのための必然となる時代はおそらく遠くないだろう。

 けれども、私の経験では、脱個人主義の必要を若い人たちに理念的に教えてもほとんど伝わらない。道徳的な知恵は単なる指示命令としてインプットされると、脳内から短時間で揮発する。だから脱個人主義を御題目として命じるのではなく、彼らがそれを自ら選び取るような仕掛けを大学の中で準備してやることが必要になる。学生たちが脱個人主義は「オイシイ」ということを実感するようになる仕掛けだ。「合同ゼミ」のコーディネーターと「掲示板」のように、脱個人主義のプロセスが個人の能力の伸張にフィードバックされるような回路こそ、オレオレシュギ・ウイルスに対する有効な抗体だというのが本稿のささやかな結論である。

神尾 達之(かみお・たつゆき)/早稲田大学教育・総合科学学術院教授

【略歴】
早稲田大学教育・総合科学学術院教授。専門は、身体表象論、文化学。近著は、『ヴェール/ファロス 真理への欲望をめぐる物語』(ブリュッケ、2005)、『纏う 表層の戯れの彼方に』(水声社、2007;共著)、『Schriftlichkeit und Bildlichkeit』(Wilhelm Fink、2007;共著)。