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西原 博史(にしはら・ひろし)早稲田大学社会科学総合学術院教授 略歴はこちらから

監視カメラが今、問いかけるもの
プライバシー権・再考

西原 博史/早稲田大学社会科学総合学術院教授

 街角に設置された「防犯カメラ」は、すでにお馴染みの風景となったようにも思われます。犯罪被害にあわないためにも、監視の目が行き届いた社会は悪くないのでしょう。

 しかし、ここ10年で監視カメラが急増するとともに、技術も進歩しました。顔面認証システムと組み合わせれば、画面の中で人々が名札つきで動き回るさまをモニターで監視できます。集音・録音技術と組み合わせると、画面の中で交わされる会話も後から確認可能です。さらに、インターネットにつなげ、映像を全世界で共有することもできます。ゴミ出しのちょっとしたルール違反などが記録され、ネットで共有され、村八分的な扱いにつながる、という事態も報告されています。

『監視カメラ作動中』
東京都杉並区は、監視カメラの設置・運用に関する法的なルールを持っている数少ない自治体の一つです。

 ヨーロッパでは最近、社内に設置された監視カメラで従業員の行動が監視されていた実態が明らかになり、騒ぎになっています。トイレに立つ頻度がグラフで出てくるなど、まだ罪の浅い方です。ロッカー室で着替えながら同僚同士で上司の愚痴を言っていたのもすべて隠しカメラで記録され、人事評価に利用される、という事態すら現実になっています。このような実態が明るみに出るにつれ、ドイツなどでは監視カメラ規制が強められ、設置できる場所や設置できるカメラの種類なども類型化されるようになってきています。

 それでは、日本ではどうなっているのでしょうか。どこに、誰が、どのようなカメラを設置でき、記録したデータはどう扱われるのでしょうか。実は、極めてあいまいです。個人情報保護法で、一定人数以上の個人情報を扱う民間人が監視カメラで集めた個人情報を目的外利用することなどが禁じられているくらいです。民間人設置の場合には同意原則があてはまるので、「監視カメラ作動中」という警告なしに撮影することは許されません。しかし、警察など公共機関については、その縛りすらありません。

 鉄道会社や警察によって監視カメラが運用され始めた当初――地下鉄サリン事件を受けてのことなので、1990年代後半以降のことです――個人のプライバシーはどうなっているのだ、という懸念の声も聞かれてきました。しかしその後、マスメディアが犯罪取り締まりに対する監視カメラの効果ばかりを宣伝する中、「悪いことをしているわけではないのだから、見られていたって、何の権利侵害も生じていない」という考え方が大手を振るってまかりとおっています。

 確かに、プライバシーの権利とか言われても、何のことかよくわかりません。家の外に一歩出たら、そこには他人の目があることの方があたりまえと考えれば、少なくとも街頭においては、監視カメラの設置には何の問題もないことになりかねません。また、会社の中で経営側が従業員の勤怠管理を行うのは当然のこと、会社の中に私的空間など存在しない、という想定もあり得るでしょう。

 しかし、本当にそうなのでしょうか。人間が生きていくうえで、本当の自分のままでいられる空間はどうしても必用です。それはまさに、他者とコミュニケーションを取る――たわいもないおしゃべりをする――その瞬間にこそ、必用なのではないでしょうか。

『監視カメラとプライバシー』
私のゼミで学生と調査を行った時にも、監視カメラの運用実態を教えてもらおうとするだけで犯罪予備軍扱いされるような雰囲気に出会いました。西原博史編『監視カメラとプライバシー』〔成文堂、2009年〕

 その意味で、監視カメラの設置・運用にあたっては、撮られる側の権利が存在することを改めて意識しなおす必要があります。カメラで撮ったデータを横流しして、恥ずかしい姿を人前にさらして笑いものにするような行為は、明らかに権利侵害です。ただ、今の法制度では、裁判を起して賠償金を取ることによってしか、他者の監視カメラによるプライバシー侵害の救済は得られません。どこで監視されているのかもわからない中で、こうした自力救済には限界があります。

 そうした中で、監視することには責任が伴うことを自覚して、監視カメラを相互監視できるシステムを作っていく必要があるでしょう。もちろん、監視カメラを法律で縛っても、問題は十分な解決を見るものではありません。人々の間のコミュニケーションが途切れ、自分の周囲にいる人々が何者なのかわからない不安な状態が監視カメラを広めていることを考えると、規制だけでは道は開けません。

 むしろ、監視に関わる問題を手がかりにしながら、自分たちの周囲でどういう社会を作っていきたいのかを話し合うことが何より必用でしょう。目指したいのは、相互に監視しあう不信感に満ちた関係なのか、互いに尊重しあった信頼関係なのか。足元から監視とプライバシーのバランスを組み立てなおすこうした話し合いの先に、国レベルでの規制の必要に関わる問題は位置づきます。監視カメラが問いかけるのは、自分たちの生き方に関わる深い問題であるように思われます。

西原 博史(にしはら・ひろし)/早稲田大学社会科学総合学術院教授

【略歴】
1958年生まれ。1983年早稲田大学法学部卒業、早稲田大学大学院法学研究科博士課程を経て、1996年博士(法学)早稲田大学。早稲田大学社会科学部専任講師、助教授を経て、現職。専攻:憲法学(精神的自由権論、基本的人権基礎理論)。主著:『良心の自由』〔初版・成文堂・1995年、増補版・成文堂・2001年〕、『平等取扱の権利』〔成文堂・2003年〕、『学校が「愛国心」を教えるとき』〔日本評論社・2003年〕、『良心の自由と子どもたち』〔岩波新書・2006年〕、『自律と保護』〔成文堂・2009年〕ほか。