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大賀 祐樹(おおが・ゆうき)/早稲田大学社会科学総合学術院助教 略歴はこちらから

希望の思想―プラグマティズム

大賀 祐樹/早稲田大学社会科学総合学術院助教

 神様を信じる強さを僕に。かつて小沢健二という人が、13分31秒にも及ぶ「天使たちのシーン」という歌のクライマックスに、その震える声で歌ったフレーズです。たしかに現代という時代においては、神様であれ何であれ、何かを信じて希望を持つためには弱さではなくむしろ強さが必要なのかもしれません。世の中は正しい方向に向かっている。素晴らしい明日がやってくる。すべての人が幸福な人生を送ることができる。夢は必ずかなう。そんなことは何もかも嘘っぱちで、現実には政権交代をしても何も変わらなかったし、将来の見通しはますます暗いし、成功を収めることができる人はほんの一握だということは誰もがわかりきっていることです。夢を持てと励まされ、夢をみるなと笑われる。そんな言葉が以前、お酒のCMで流れていましたが、多くの人は現実と折り合いをつけながら夜な夜な酒を呑み交わすのです。それでも敢えて何かを信じ希望を持つには、やはり相当な強さが必要でしょう。

一つの真理

 哲学は伝統的に、誰もが正しいと信じられるような「一つの真理」を探求し続けてきました。しかし、「神は死んだ」という言葉で有名なニーチェ以後のヨーロッパの哲学者の多くは、むしろ「一つの真理」など存在しないという議論を行います。同時代の英語圏の哲学においては、分析哲学者たちがより厳密な手法を用いて真理の探求を行なった果てに、「一つの真理」に到達することは不可能であるという結論を出しました。有史以来、人々は誰もが正しいと信じられるようなものに自らを同一化し、生きる意味や目的、道徳観を規定し、またそれが正しくないなどと疑うこともありませんでした。しかし、いかなる「一つの真理」をも信じることができない現代において、誰もが自分の正しさの基礎となるものを見つけられず、疑いもなく何かを信じることは難しくなっています。

  一方、アメリカには独自の哲学として「プラグマティズム」と呼ばれるものがあります。プラグマティズムの特徴とは、探求によって「一つの真理」に到達することはできないが、問題を上手く解決するためのだいたいの正しさには到達できるというものです。私が研究してきたローティという人は、分析哲学の系譜に属しながら本国アメリカにおいても忘れ去られていたプラグマティズムを現代の観点から再評価した人です。

自由、民主主義、人権は何故良いのか

 何故、自由で民主的な平等の権利を保証された近代社会の制度が、西洋だけではなく全ての人類にとって良いものなのかということに対して、従来は「一つの真理」がその正しさの根拠を保証してきました。しかし、「一つの真理」を信じられなくなった現代において、その問いに対し明確な答えを出すことは難しくなっています。哲学であれイデオロギーであれ「これは正しい」と確信できるようなものがあれば、それを実践するために積極的な政治参加をすることが可能ですが、現代のように近代社会の理想に対して疑問が投げかけられる状況においては、政治への無関心が拡がるのは必然なのかもしれません。

 プラグマティズムやローティの思想の面白いところは、たしかに近代社会は人間にとって完全に正しいものとは言えず、むしろ多くの欠陥を抱えたものだが、今のところ最も上手くいく仕組みなので、問題点をその場ごとに上手く解決できるように修正していけば良く、もし近代の制度よりも上手くいくアイディアが思いつけばそれに変えれば良いと考えることによって、近代的な自由、民主主義、人権といったアイディアを、完全に正しいわけではないが、とりあえずだいたい正しいものとして積極的に肯定しているということです。

左翼は愛国的であるべき

 ローティはさらに、左翼についての独自の議論によって現代における積極的な政治参加を肯定します。彼の考えによると政治的な右派とは、現状よりは過去の方が良かったと考える人々のことで、政治的な左派とは未来へ向けて現状を改良していこうと考える人々のことですが、両者は「私たちの国家を良くするためにはどうすれば良いか」という意識を共有している点で、本来は共に愛国的であるとされます。しかし、現代の左翼はむしろイデオロギー的に、あるいは近代批判の延長線上において国家を批判するばかりで建設的ではないと指摘し、愛国的であることをやめた人々はもはや左翼であることをやめた人々であるとさえ批判します。

 二十世紀の政治史において、左翼は長らくイデオロギーに基づき行動をしてきました。しかし、イデオロギーそのものも「一つの真理」として信じられなくなるとその政治的行動の基盤が大きく揺らいでしまいます。現代の日本において、政治的に力を持っているのは右派ばかりである一方で、政治的な左派が壊滅状態であるのはこういった事が理由の一つとなっていると考えられます。しかし、私たちの国家を良くするためには伝統や過去に回帰するだけではなく、今そこにある問題を現実的に解決するアイディアを提起する必要があります。そのためには、左派の人々も自分たちが住む社会を未来に向けてより良い方向へ改良していくための希望を持つという意味で、より「愛国的」である方が良いのではないでしょうか。

大賀 祐樹(おおが・ゆうき)/早稲田大学社会科学総合学術院助教

【略歴】
1980年生まれ

2010年 早稲田大学大学院社会科学研究科博士課程単位取得満期退学
2010年 博士(学術)(早稲田大学)
2010年 聖学院大学政治経済学部非常勤講師
2011年 早稲田大学社会科学総合学術院助教

【著書】
『リチャード・ローティ 1931-2007 リベラル・アイロニストの思想』 藤原書店、2009年(単著)