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今関 源成(いませき・もとなり)/早稲田大学法学学術院教授  略歴はこちらから

権力化した検察審査会
-強制起訴事件無罪判決の意味-

今関 源成/早稲田大学法学学術院教授

(1)国民による起訴権限の行使

 2004年改正前の検察審査会(以下、検審)は、検察官の行った不起訴の決定の当否を判断し、起訴の方向性で検察に再考を促す純然たる検察チェック機関であった。ところが、強制起訴の制度化(議決に対する法的拘束力付与)によりその性格は大きく変わり、実質的に検審は被疑者に対する起訴を決定する権力機関となった。司法制度改革の「司法の民主化」の流れの中で行われたこの改革は成功したのか。

 これまでに提起された8件の強制起訴事件(2013年3月時点)のうち5件につき判決がなされ、その内訳は陸山会事件(2審確定)、未公開株詐欺事件(控訴中)、明石歩道橋事故事件(控訴中)で無罪、市長暴行事件有罪(控訴中)、尖閣諸島中国漁船衝突事件が公訴棄却である。とりわけ社会的注目の集まった陸山会事件と明石歩道橋事件での無罪判決は、制度を利用した側からの落胆とともに、強制起訴制度に対する厳しい批判を引き起こした。そもそも検察が起訴を諦めた事件だから無罪判決が多いのは当然というクールな見方もあるが、この制度が批判にさらされる原因は、制度改革時に国民(検審)自身による起訴の正統性に関する突っ込んだ議論がなく、起訴基準も明確にされず、起訴議決にふさわしい組織、手続、手段の整備もなされなかったこと、言い換えれば「司法の民主化」という曖昧なスローガンに流されたことにある。

(2)強制起訴制度における検審の二面性

 強制起訴は、検審の起訴相当議決に対する検察の再度の不起訴について、検審が2度目の起訴相当の判断(起訴議決)をすると、それが指定弁護士を介して自動的に被疑者の起訴に至るという制度である。検審の2つの議決は、対象と効果を全く異にしている。1度目の議決は検察に再考を求めるものであるが、2度目の議決は被疑者の起訴という重大な処分を帰結する。強制起訴制度において検審は、検察権力に対するチェック機関であると同時に、被疑者に対しては自らが起訴を決定できる権力として現れるという二つの顔を持つことになる。この後者の権力を検審に与えることによって、「司法の民主化」の実質化が図られたわけである。

 検審が権力化すれば、それに対応して検審に対する被疑者の人権の保障(検審の権力の抑制)が必要になる。確かに、2度目の議決では11人中8人以上の賛成という加重多数決および審査補助員(弁護士)の補佐と検察官の意見の聴取が要求されており、手続きが厳格化されている。しかし、問題はそれで十分だったかである。実際、強制起訴制度への批判は、起訴猶予への対象の限定、対象犯罪の限定、起訴基準の明確化、手続保障の整備(被疑者側の意見を聴く機会の保障、検審の透明性の向上)、審査補助員増員、指定弁護士の補充捜査権限強化、被疑者に起訴がもたらす重大な不利益(起訴による失職、政治生命の終焉、名誉・信用の喪失、生活の破綻等)の考慮の必要性といったものであり、すべて適正手続の憲法上の要請に由来するものである。当初設計において「司法の民主化」論のバイアスがかかり適正手続の原則が軽視されたために、このような制度見直し論が主張されるのである。

 また、この二面性は検審に関する議論の錯綜の原因となっている。強制起訴の擁護者は、検察チェックの強化として民主化の文脈を強調し、他方、批判者は被疑者に対する権力性を問題とし手続きの公正を要求する。そこで議論がすれ違ってしまい、混線する。本質的問題は、被疑者に対する適正手続の保障を刑事裁判の前提に据えたうえで、なお検察チェックの実効化のために検審による起訴を認めてよいのかというところにある。

 初の強制起訴事件である明石歩道橋事件で検審は議決書に「有罪か無罪かという検察官と同等の立場ではなく、市民感覚の視点から公開の裁判で事実関係と責任の所在を明らかにし、再発防止を望む点に基本的立場を置く」と書いた。検審が、検察官を制約する制度的枠組みを超えたところで、被疑者に対して生の権力を行使しようとしていることがよくわかる言明である。検察官が証拠に基づき有罪の確信のある場合にしか起訴しないのは、被疑者に無罪推定が働き、無辜の者を刑事裁判の場に引き出してはならないという配慮が働くからである。検審がいともたやすくこの刑事裁判の枠を跳び越えられるのは、被疑者に対する権力性を自覚せずに民主化論に乗るからである。それによって無罪推定の原則は後退し、先の言明からは、あたかも被疑者に裁判の場で無実を証明せよといっているような響きすら感じられる。

(3)刑事裁判において国民(検審)は何をすべきか?

 検審の議決への法的拘束力付与については、強制起訴制度以外にも、たとえば検審が起訴相当議決をした段階で指定弁護士に起訴権限を全面的に委ねる(不起訴も認める)という方策も考えられる。それでも、検察の起訴権限の独占に風穴を開け、検察組織外の法律専門家が検察の不起訴決定を改めて法的な観点から再検討するのだから、検察チェックという目的は実現できる。したがって、国民自身に起訴権限を与える必然性はない。国民(検審)は、検察から弁護士に起訴権限を移すべきか否かの判断をすればよい。この判断であれば、検察権力に対する民主的コントロールとして「市民感覚」を判断基準としてよい。権力に対しては「市民感覚」による批判は重要な意味を持つ。そして、専門家(弁護士)による専門家(検察官)のピア・チェックを通じて検審の起訴相当議決に法的拘束力を与えれば、素人による「市民感覚」に基づく起訴に対する懸念は払拭でき、適正手続の要請に基づく厳密な法的合理性の枠内で検察の不起訴判断が再考され、また陸山会事件で問題となったような検察による虚偽資料に基づく恣意的な誘導のリスクも回避できる。

 検審自身による起訴が検審の議決の実効化の唯一の解決策であるわけではない。強制起訴制度は、検察チェック機関という地位を超えて、検審を被疑者に対する権力に転化させた点において、司法の過剰な民主化であった。刑事裁判については、司法制度改革審議会の打ち出した「司法の民主化」の呪縛から逃れて、適正手続の保障という人権論の本来の土俵に立ち戻って議論をし直した方がよい。

 他方、検審は、検察のチェック機関に徹し、建議・勧告権も積極的に活用して現実の検察実務の問題点を国民に向けて発信し、刑事裁判・検察改革に関する民主的な議論の触媒としての役割を果たすべきである。そうすれば、検審は日本の刑事裁判と同時に民主主義の質を向上させる重要な契機となることができるのではないか。

今関 源成(いませき・もとなり)/早稲田大学法学学術院教授 憲法学

【略歴】
1957年生。1979年早稲田大学法学部卒業、1984年同大学院法学研究科博士課程満期退学。
「検察審査会の強制起訴―『統治主体』としての『国民』」法律時報83巻4号(2011年)、「刑事裁判への『国民参加』とは何か」憲法理論研究会『政治変動と憲法理論』(敬文堂・2011年)、「『大学の自治』と憲法院」早稲田法学87巻2号、「フランス憲法院への事後審査制導入」同85巻3号、『フランス法律用語辞典(第3版)』(中村・新倉・今関共同監訳)三省堂(2012)など。