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瀬川 至朗(せがわ・しろう)早稲田大学政治経済学術院教授 略歴はこちらから

「戦場」と「被災地」
山本美香さんがこだわった事

瀬川 至朗/早稲田大学政治経済学術院教授

『山本美香最終講義』を読み解く

 70人。

 2012年の1年間に取材活動に関連して殺害されたジャーナリストの人数である。アメリカ・ニューヨークのNPO「ジャーナリスト保護委員会」(CPJ,Committee to Protect Journalists)がまとめた数字だ。CPJサイト(ttp://www.cpj.org)のデータをみると、70人の名前が死亡月日の新しい順にでてくる。上から34人目にMika Yamamoto という日本人女性の名前がある。フリージャーナリストの山本美香さんだ。現地時間の2012年8月20日午後3時過ぎ、中東のシリア北部の町アレッポを取材中に凶弾に斃れて亡くなった。

 今年(2013年)の春は、山本美香さんに関するイベントや表彰がいくつか重なった。

 まず3月末には、彼女が早稲田大学非常勤講師として2012年春に早稲田大学でおこなった計4回の講義を採録した『山本美香最終講義 ザ・ミッション 戦場からの問い』(早稲田大学出版部)が出版された。

 4月には、ジャーナリズムにおける特筆すべき業績や活動を顕彰する「日本記者クラブ特別賞」が、山本美香さんに授与されることが決まった。

 5月3日には、国際新聞編集者協会(IPI)が、報道の自由に貢献した記者に贈る「ワールド・プレス・フリーダム・ヒーロー賞」を山本美香さんに授与すると発表した。

 彼女の誕生日である5月26日には、「山本美香記念国際ジャーナリスト賞」創設シンポジウムが大隈大講堂で開催される。同賞は、映像・写真・文章という3つのジャンルを選考対象に、素晴らしい国際報道にあたった個人に贈られる賞として新設された。

 『山本美香最終講義』出版のもとになった早稲田大学での講義は、私が彼女にお願いした授業である。最終講義のテキストをもとに、身を危険にさらしても彼女がジャーナリストとしてこだわっていた事は何だったのか、改めて考えてみたい。

爽やかな笑顔の人

 私が山本美香さんと知り合ったのは2008年1月のことだった。

 早稲田大学は2008年春、高度専門職業人としてのジャーナリスト養成をめざすジャーナリズム大学院(J-School)を、政治学研究科を母体に創設することにしていた。私は、その運営を中心的に担当するプログラム・マネージャーとして同年の年始めに、新聞社から大学に籍を移したところだった。

 J-Schoolでは、組織で働く新聞「社員」やテレビ「局員」というよりも、「個」として活動できるプロフェッショナルなジャーナリストの養成を意識してカリキュラムを組み立てた。「ジャーナリズム研究セミナーA(ジャーナリズムの使命)」という科目を開講し、「個の使命感」を養うための中心的な授業に位置づけた。現場取材の経験豊富なフリージャーナリストの方を講師にお呼びし、取材体験に裏打ちされたジャーナリズム論をそれぞれ展開してもらい、学生との質疑で深い議論を交わすことを狙いとしている。

 同授業の講師を、若手の女性フリーランスジャーナリストで戦場取材を数多く経験している山本美香さんにお願いすることにした。J-Schoolに入学してくる女子学生の身近なロールモデルとして欠かせない存在だった。

 「なんて爽やかな笑顔の人だろう」。

 これが、大学の教職員レストラン「楠亭」で初めてお会いしたときの山本美香さんの第一印象だった。生と死が紙一重の紛争地取材を何度もくぐり抜けてきた人という先入観があっただけに、一緒のテーブルで話をしている小柄で華奢で聡明な女性から、戦場取材の血なまぐさや泥臭さをまったく感じることができないことが不思議でならなかった。彼女自身、「戦場の怖さを知っているからこそ、できるだけ安全でいたい。できるだけ慎重に取材を進めるようにしている」と話していた。

「戦場ジャーナリストは偽善者では?」という質問も

 J-Schoolの授業については「私でよければ。自分の勉強にもなるので」と快諾してもらった。講義のテーマは「戦争とジャーナリズム」だった。以来5年間。山本美香さんは毎年2,3回、最新の取材ビデオ映像などを交えながら話をし、大学院生らと語り合ってきた。

 戦地では、現地の市民、とりわけ戦争の影響を受けやすい女性や子供に焦点をあてた取材に取り組んだ。弱者の視点というよりも、戦時下でも笑顔で元気に生きる市民の姿に魅力を感じ、そのことを描き伝えることに興味をもったという。

 「なぜ私(山本美香)は、あえて命の危険を冒して戦争を取材するのか」

 授業時に彼女が学生に投げかけた、大きな問いである。

 講義では学生との議論を重視した。戦場取材についてシニカルな意見を表明する学生もいた。「戦場ジャーナリストは真実や自由の名を借りているただの偽善者では?」「他に戦場を取材するジャーナリストがいるとすれば、あえて自分が危険を冒して行く必要はないのでは」

 こうした意見に対し、彼女は決して学生に説教をする態度をとることはなかった。むしろ、一つ一つの声に耳を傾け、「他の人はどう思う?」という形で議論の出発点にしていった。ジャーナリストとしてだけでなく、教育者として優れた資質を持っている人だなと感心した。

「忘れられた国」と「取材の継続性」

 講義で強調したことは何だっただろうか。講義録を読み返してみると、彼女が語っているキーワードが見えてきた。

 一つは世の中から「忘れられている国・地域」の取材という点である。

 内戦が何年も続くアフガニスタンは世界から「忘れられた国」であり、「忘れられた紛争」だった。

 「私は人があまりやっていないこと、それから伝えなきゃいけないけれども、手薄になっていることはないかとか、なかなか人が行けないところ、取材して報道しなければいけないけれども、できていない場所は何だろうかということを考えました」

 彼女がアフガニスタンなどの紛争地取材にのめりこんでいった理由である。

 じつは「忘れられた国」とよく似た表現が、東日本大震災の取材について話をする場面でも使われていた。彼女は、東日本大震災後9日目から被災地の現場に行き、石巻から気仙沼、そして宮古(田老町)にかけて三陸海岸に沿って北上し、被災者の取材を行なっている。

 「日本中のメディアがあらゆる方法をとって取材をして報道していったのですけれど、それでも置き去りにされている場所、孤立している地域もありました。そこを埋める取材をしようと思ったわけです。(中略)取材できていない場所があるなら、そこでやれること、やるべきことがあるはずです」

 「忘れられた被災地」で生活する人々の思いを知り、それを伝えることが、震災取材における彼女の原動力だったのではないか。

 もう一つは「取材の継続性」である。

 世界のメディアが集中的に取材した事件でも、やがて誰も取材しなくなるということがたくさんある。だが、その中には継続して報道し考えていかなければいけない大切なことが多い。彼女はそれを継続して取材し伝えていくことがメディアの使命であり、自分のやるべきことだと理解していた。

 最終講義録を読むと、山本美香さんの中で「戦場取材」と「被災地取材」がつながっていることがわかる。

 普段通りの日常生活を奪われた戦場と被災地の非日常性。そこでたくましく生きる市民。一時的な集中報道のあとは、メディアの取材も減り、忘れられてしまいがちだ。

 「伝え、報道することで社会を変えることができる。私はそれを信じています」

 彼女の言葉は、いつもヒューマニティに溢れていた。

 山本美香さんが生きていれば、おそらく、忘れられた被災地の人々を継続的に取材し、彼ら彼女らの気持ちを世の中に伝えていくことに力を入れているのだろうと想像する。

関連リンク
  1. J-Scool(早稲田大学大学院政治学研究科ジャーナリズムコース)
  2. 山本美香記念国際ジャーナリスト賞 創設シンポジウム
  3. 山本美香記念財団

瀬川 至朗(せがわ・しろう)/早稲田大学政治経済学術院教授

【略歴】
1977年、東京大学教養学部教養学科(科学史・科学哲学)卒。毎日新聞社でワシントン特派員、科学環境部長、編集局次長、論説委員などを歴任。1998年、「劣化ウラン弾報道」で、取材班メンバーとしてJCJ奨励賞(現JCJ賞)を受賞。2008年1月から早稲田大学大学院政治学研究科ジャーナリズムコースのプログラム・マネージャー。日本科学技術ジャーナリスト会議理事。
【主な著書】
『健康食品ノート』(岩波新書)、『心臓移植の現場』(新潮社)。共編著に『アジア30億人の爆発』(毎日新聞社)、『理系白書』(講談社、共著)、『ジャーナリズムは科学技術とどう向き合うか』(東京電機大学出版局)、『図説 日本のメディア』(NHKブックス)など。