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牛山 美穂(うしやま・みほ)早稲田大学高等研究所助教 略歴はこちらから

「アトピービジネス」を経て
~アトピー性皮膚炎との向き合い方を考える時~

牛山 美穂/早稲田大学高等研究所助教

 「息もできないぐらい痛かったし、何のために生きてるのかっていう感じだし。痛い、もう全身しびれて。・・・12時間ぐらい、気が狂うぐらい掻いて、そのあと12時間激痛みたいの繰り返してたの。寝る時間がないよね。本当大変だった。」(麻美 28歳女性)

 この語りは、麻美さん(仮名)が自分のアトピー性皮膚炎の症状が一番酷かった時を回想したものである。アトピー性皮膚炎というと、多くの人は、「肌が痒くなる子供の病気」というイメージを持つのではないだろうか。そのイメージからすると、麻美さんの語りは一般的なアトピー性皮膚炎のイメージを遥かに超える。

 実際のところ、彼女の例が示すように、アトピー性皮膚炎は子供だけの病気ではない。成人の患者も存在し、中には症状が酷くなり、学校を休学したり会社を辞めたりするケースも見られる。私は2006年から、こうした成人のアトピー性皮膚炎患者を中心にインタビューを行ってきた。2008~2010年にはイギリスでもアトピー性皮膚炎患者に対するインタビューを行い、結果、日本で30人、イギリスで14人の計44人の患者から話を聴くことができた。

日本とイギリスにおけるアトピー性皮膚炎の知名度の違い

 日本とイギリスの患者の語りを聴いてまず気がつくのは、日本におけるアトピー性皮膚炎の知名度の高さである。日本でアトピー性皮膚炎と言えば大体の人がどんな病気かイメージできるのに対し、イギリスではAtopic Dermatitis(アトピー性皮膚炎)とかEczema(湿疹)と聞いてもピンとこない人が大半である。これは別に、日本にアトピー性皮膚炎患者が多く、イギリスには少ないから、という理由によるのではない。両国とも子供のアトピー性皮膚炎有症率は10~15%前後とほぼ同等である。

 それではなぜ日本ではアトピー性皮膚炎はよく知られているのだろうか?

ステロイド外用薬という薬

 これには、ステロイド外用薬というアトピー性皮膚炎治療の柱として使われている薬が大きく関わっている。ステロイド外用薬とは、副腎皮質ホルモンの一種であるステロイドホルモンを軟膏やクリームとして皮膚に塗る形にしたものである。これは、ただちに炎症を鎮める効果を持っているが、アトピー性皮膚炎を根本的に治療する薬ではない。しかも、長期にわたって使用すると、皮膚が薄くなったり、感染症にかかりやすくなったりする。また、使い続けているうちにだんだん効かなくなってくることや、使用を中止するとリバウンドと呼ばれる激しい症状の悪化が起こるということも患者から報告されている。そのため、多くの患者はステロイド外用薬を塗ることに対して、多かれ少なかれためらいがある。

 ただし、このように患者がステロイド外用薬にためらいを感じるようになったのはごく最近のことである。日本でステロイド外用薬が使用され始めたのは1953年だが、1990年代まで、アトピー性皮膚炎というのは知名度の低い珍しい病気で、ステロイドの副作用について知っているのは皮膚科医などごく一部の人間に限られていた。

 状況が大きく変わったのは1990年代に入ってからである。この頃、ステロイド外用薬は使い続けると骨粗鬆症や白内障などの副作用を引き起こすという情報が流れ、一気にステロイド外用薬に対する注目が集まった。マスメディアを通して多くの患者が、「自分が今まで使っていた薬はステロイドというもので、それには副作用がある」ということを知ったのである。

アトピーマーケットの拡大

 この頃から、日本ではステロイドの使用を中止する患者が見られるようになり、そうした患者をターゲットに、石鹸や布団、水から食品まで、ありとあらゆるアトピーグッズが販売されるようになった。これを皮膚科医の竹原和彦は皮肉をこめて「アトピービジネス」と呼んでいるが、こうした言葉ができるほど、日本ではステロイドを嫌がる患者が増え、それとともに民間のアトピーマーケットが拡大したのである。

 なお、ステロイド外用薬は使用を突然中止すると、激しく症状が悪化することが多いが、その悪化を耐えると、徐々に症状が治まっていくケースが多い。実は、冒頭の麻美さんの語りは、ちょうどステロイドの使用を中止してリバウンドが起こったときの様子を語ってもらったものだった。(インタビューのときには、彼女の症状はずいぶんと軽快していた。)

イギリスの状況

 「なぜ日本ではアトピー性皮膚炎がここまでよく知られるようになったのか」という問いに戻れば、それは、主にステロイド騒動に端を発したアトピーマーケットの拡大により、アトピー性皮膚炎という言葉がよく使われるようになったからではないかと私は考えている。

 それでは、アトピー性皮膚炎がほとんど話題に上らないイギリスでは、日本のような騒動は起きなかったのか? 実際のところ、患者がステロイドを嫌がる傾向はイギリスでも共通しているが、そうした患者心理が日本の「アトピービジネス」のように市場と結びつくことはなかったのである。その理由の一つとして、イギリスには厳しい広告規制があり、「病気が治る」と謳うような誇大広告を打つことはできないということがあげられる。そのため、鍼灸やホメオパシーなど、ある程度認められた代替医療を除いて、名もない治療ビジネスが市場に出回るチャンスは制限されている。

 今では、日本の「アトピービジネス」の熱は冷め、影を潜めている。今こそ、市場に振り回されない形で、アトピー性皮膚炎との向き合い方を考える機が熟したといえるだろう。

牛山 美穂(うしやま・みほ)/早稲田大学高等研究所助教

【略歴】
早稲田大学高等研究所助教。博士(文学)。早稲田大学大学院文学研究科修士課程修了後、早稲田大学第一文学部人文専修助手を経て、2009年より渡英しUniversity College London医療人類学コース修士課程修了。2012年、早稲田大学大学院文学研究科博士号(文学)取得。専門は医療人類学、文化人類学。主な著書は、『アトピー性皮膚炎のエスノグラフィー:日本とイギリスにおける患者の知をめぐって』(2012年、博士学位論文)