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橋本 健二(はしもと・けんじ)早稲田大学人間科学学術院教授 略歴はこちらから

「格差社会論」はどこへいった?
──長期的視野で対策を

橋本 健二/早稲田大学人間科学学術院教授

「格差社会論」の衰退

 東日本大震災から、3年が過ぎた。この震災の前後で、日本の社会は大きく変わった。それとともに、人々の関心も大きく変わった。災害と原発の問題に人々の関心が集まるようになった反面、忘れられがちになった問題も少なくない。そのひとつが「格差」の問題である。

 思えば震災前は「格差社会」が流行語となり、「格差社会論」と呼ばれる言説が世に満ちあふれていた。毎月何冊もの本が出版され、中身は玉石混淆だったとはいえ、それぞれに一定の読者を獲得していた。格差と貧困が現代日本の解決すべき課題だということが、共通認識となりかけていた。ところが震災の後になると、さっと潮が引いたように、「格差社会」という文字を見かけなくなった。どうでもいいことだが、震災前には私のもとにも格差社会に関する本を書いてくれという依頼が続々と舞い込んだものだが、最近ではさっぱりで、こちらから提案しても渋い顔をされることが多い。

震災で格差を忘れた日本人

 人々の意識に大きな変化があったことは、世論調査の結果からも明らかだ。一例として、内閣府が毎年行っている「国民生活に関する世論調査」の結果を見てみよう。この調査は、「お宅の生活の程度は世間一般からみてどうですか」という設問を設けていることでよく知られている。回答は「上」「中の上」「中の中」「中の下」「下」の5つから選ぶことになっていて、マスコミなどでは「中の上」「中の中」「中の下」の合計が「中流意識」と呼ばれることが多い。真ん中3つを合計するのだから比率が高くなるのはあたりまえで、これを「中流」とみなすのは問題だが、それでも人々の意識の変化をみるのには役に立つ。

 たとえば「上」「中の上」と回答するのは自分を「人並み以上」、「中の下」「下」と回答するのは自分を「人並み以下」と考えているわけだから、その比率は格差の動向を反映する。実際、1990年代後半以降には、「中の中」が減少して、「人並み以上」と「人並み以下」がともに増加した。格差拡大が人々の意識にも表われたのである。

 ところが震災後になると、「中の中」の比率が跳ね上がり、その分「人並み以下」が減少した。もちろん、震災後に格差拡大が縮小して低所得者が減ったわけではない。2011年夏に行われた「所得再分配調査」によると、日本の経済格差は震災前の2008年に比べ、年金による所得再分配が進んだことから高齢者でやや縮小したものの、非正規労働者と失業者の増加を反映して若年層で明らかに拡大したため、全体としては高水準のまま横ばい状態にある。それでは、何が起こったのか。

 同じ調査によると、現在の生活について「満足」と答える人の比率は、21世紀に入ってから低迷を続けていたが、震災のあった2011年から顕著な上昇傾向を示し、2013年には70%を越えた。震災があり、不景気も続いているのに、人々の生活満足度が上がったというのか。人々の政府への要望をみると、「防災」が大幅に増えた反面、「高齢社会対策」「雇用・労働問題への対応」が大幅に減っている。

 どうやら震災は、日本人の意識に次のような変化をもたらしたらしい。震災で命を落としたり、家を失ったり、避難生活を余儀なくされている人々に比べれば、自分たちはまだまだマシだ。自分を「下」だなどとは考えないようにしよう。老後の生活や雇用、そして格差の問題などは、震災復興と防災に比べれば二の次だ、と。格差社会論が広く受け入れられる素地は、こうして失われたのである。

格差は末代まで祟る

 しかし、格差の問題を忘れ去ってしまうわけにはいかない。なぜかというと、ひと言でいえば、「格差は末代まで祟る」からである。悪い冗談ではない。ひとつの調査結果を紹介しよう。

 1965年に「社会階層と移動全国調査」という調査が行われた。実はこの調査は、1955年から10年おきに行われているのだが、この年だけは調査の項目が他の年よりも詳しく、調査対象者の祖父・父親・本人の職業、子どもの学歴を尋ねている。つまりこの調査データを用いれば、格差が3世代後の子孫にどのような影響を与えているかを確認できるのである。しかも家が農家の場合は、地主・自作・小作の別まで尋ねている。調査当時は技術的な問題もあって、さほど詳しい分析が行われなかったのだが、改めてデータを詳しく分析した結果、次のようなことが分かった。

 父親の学歴は、祖父が地主だと高く、小作だと低い。本人の学歴は、父親が地主だと高く、小作だと低い。ここまでは、まあ当然だろう。それでは祖父の学歴は、3世代後にあたる本人の子ども(つまり曾孫)にどのような影響を与えているか。地主の曾孫の大学進学率(短大を含む)は、男性が35.7%、女性が36.4%だった。自作だと、男性が17.0%、女性が14.6%。そして小作だと、男性が11.1%、女性が4.3%である。大学進学率には、男性で3.2倍、女性で8.5倍もの差がある。

 「格差社会論」の重要な論点のひとつに、「格差の固定化」があった。親の格差は子どもの進学や進路選択に影響し、子ども世代に機会の不平等が生まれる。こうして富裕層の子どもは富裕層に、貧困層の子どもは貧困層になりやすくなる、という問題である。こうした問題があるとすれば、「機会の平等が保証されていれば、競争の結果として格差が生まれても問題ない」と単純にはいえなくなる。なぜなら、親世代の結果の格差は、子どもの世代の機会の格差を生み出すからである。そして上の分析結果は、こうした機会の格差が、子ども世代のみならず孫、曾孫の世代にまで影響すること、つまりいったん拡大した格差は、数世代後にまで影響することを示している。文字通り、格差は末代まで祟るのである。

 いま格差拡大が深刻なのは、20歳代と30歳代である。家族形成の時期を迎えつつあるこれらの世代の内部の格差は、今まさに、子ども世代の格差を生み出しつつある。10年もすれば、これが進学機会の格差となって表われる。さらに10年もすれば、経済格差となって表われる。こうして今日の格差拡大は、以後数十年にもわたって日本社会に影を落とし続けるだろう。

 格差是正は、日本社会が直面する緊急の課題である。震災と原発に気を取られている間に、手遅れになりかけている。一刻の猶予も許されない。

橋本 健二(はしもと・けんじ)/早稲田大学人間科学学術院教授

【略歴】
1959年生まれ。1982年東京大学卒業、1988年同大学院満期退学。静岡大学、武蔵大学を経て、2013年より現職。社会学博士(武蔵大学)。著書に『「格差」の戦後史』『階級社会』『階級都市』『居酒屋ほろ酔い考現学』『Class structure in contemporary Japan』(以上単著)『盛り場はヤミ市から生まれた』(共著)など。