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池岡 義孝(いけおか・よしたか)早稲田大学人間科学学術院教授 略歴はこちらから

開かれた多様な家族をめざして
―血縁・DNAを絶対視する危険性―

池岡 義孝/早稲田大学人間科学学術院教授

 今年の7月17日、最高裁は、DNA鑑定で血縁関係がないことが証明されても、すでに決定した父子関係は取り消せないとの判断を示した。法律上の父子関係の設定は、民法772条の「妻が婚姻中に妊娠した子は夫の子と推定する」という規定にもとづいて行われているが、夫と子との血縁関係が最新のDNA鑑定で科学的に否定された場合、どう判断するかが争点だった。しかし、最高裁は、科学的に証明された血縁関係よりも子の法的な身分の安定を重視したのである。この血縁か法かという争点は、DNA鑑定による問題にとどまらない。近年の生殖補助医療の発達は、夫以外の精子の使用による受精を可能にしただけでなく、最近では妻以外の卵子の使用による受精や妻以外の子宮による代理出産も技術的に可能にし、父子関係のみならず、これまで出産の事実によって自明のこととされてきた母子関係にも大きな問題を投げかけている。

 これらの問題は直接的には、近年のDNA鑑定や生殖補助医療技術の発達によって、法律上の父とは誰なのか母とは誰なのかがあらためて問われているものといえよう。しかし、問題の背景には近年の家族とそれを取りまく社会状況の変化がある。

 現代家族の特徴については、多様化ということがいわれている。それは、かつて画一的な家族が一般的であったことを同時に示すものである。戦前にまで遡ると、そこには画一的な家制度のもとに統率されていた家族の姿をみることができる。戦後になり社会が変わり民法も改正されると、家制度の影響力は弱まった。それに代わって戦後の民主的な家族のモデルとなったのが、夫婦と未婚の子どもから構成されるいわゆる核家族だった。高度経済成長期に人びとは生活の豊かさを獲得し、新しい時代の象徴といわれた核家族を実現することができたのである。この核家族モデルは、夫が外で働き妻が専業主婦として家事労働をするという性別分業を暗黙の前提としていた。戦後すぐのベビーブーム時代が終わると一夫婦あたりの子ども数も急激に減少し、戦後の高度経済成長期に、都市のサラリーマン家族をモデルにするような子どもの数は2人くらいで性別分業が行われる核家族が、多くの人びとが理想とする画一的な家族として普及したのである。このように家族の多様化とは、戦後広く普及した画一的な核家族モデルに代わる、新しい家族の特徴を象徴する表現であるといえる。

 こうした現代家族の特徴をふまえるならば、冒頭にあげた最高裁の判断はどう考えることができるだろうか。今回の最高裁の判断は、従来の民法の規定を覆すには至らなかったが、3対2の僅差であり立法議論をうながしていることから、いずれはDNA鑑定によって科学的に証明された血縁関係を重視する方向に進むことも予想される。血縁関係を重視するということは、生殖補助医療についてもいえることだ。子どもが生まれない場合、子どもがほしいなら養子をとることがかつては唯一の選択肢だったが、少しでも自分たち夫婦と血のつながった子どもを作りたいという欲望の実現を現代の生殖補助医療は可能にした。この新しい科学技術の発達による血縁関係の重視という傾向は、多様化の方向に進もうとしている現代家族に、画一性を強化する作用をもたらさないだろうか。生物的な血のつながりが親子関係の基本だとしても、子どもはさまざまな事情のもとに生まれてくることがある。しかし、その子どもの生活や福祉が損なわれたり差別されたりしてはならない。民法は、その規定に古いものがあるとはいえ、血縁関係を絶対視せずに、複雑にさまざまなかたちで法律上の親子関係を規定してきたのではないか。

 血のつながりのない親子関係の代表例は養子だろう。戦前の家制度のもとでは、家業や家系の継承の必要性から養子は広く普及しており、人びとも社会も養子に対して寛容だった。しかし、戦後の家族モデルとなる核家族は、家業や家系の継承の必要性が減じたため、あえて養子をとることはせず、親子の血のつながりを重視するものとなっていく。戦後に限っても、未成年養子の件数は戦後すぐに4万件をこえた年があったが、現在では平均して年間1000件から1500件程度である。この養子件数の急激な減少と、それに反比例するかのように1980年代から生殖補助医療による出生児数が増加してくるという事実は、戦後の核家族が血縁重視型の家族であったことを示しているといえるだろう。

 さらに、現代家族に求められている「閉じた家族から開かれた家族へ」ということにも注目したい。閉じた家族の典型は、これもまた高度経済成長期の核家族にみることができる。この時代の家族は、政治や経済等の公的領域から相対的に独立した私的領域として位置づけられた。核家族が閉じた家族であるということの問題は、例えば育児責任を一手に引き受けさせられた専業主婦としての母親による「母子密着」とか「密室の母子」といわれた、現代の児童虐待にもつながるような家族問題にみることができる。このため、現代の家族は周囲の親族や他の家族に、地域社会に、そして関連する行政機関や専門家に対して開かれた家族であることが求められる。女性の社会進出が進んだ現在、育児も家族だけで行うことは不可能で、家族を開いて周囲との連携を図っていくことが不可欠だろう。「公私の再編」とは、このような状況を指している。

 しかし、家族を開くということは何も現代的な目新しいことではない。われわれのなかには戦後家族のイメージが強すぎるのか、家族の血のつながった親が子育ての責任を100%果たすべきだという意識が根強いようだ。しかし、いつの時代にも親が単独で子育てをしていたようなことはない。伝統的な社会では、子どもは家族や実の親だけでなく、親族や他の家族の人びと、広く地域社会全体で育てられてきた。日本の民俗的な慣行では、子どもは生みの親以外に多くの仮親をもっていたことが知られている。現在もかろうじて残っているのが結婚式の際の仲人親だが、かつてはそれ以外にも名付け親や拾い親、元服や成年儀礼の際の烏帽子親や鉄漿付(かねつけ)親をもつことがあった。もちろん、現代の家族に、このような伝統的な慣行を復活させようということではない。現代的な社会状況に即して家族を開いていくということが求められる。その場合、血のつながった親は基本的なものとして重要ではあるが、それだけを絶対視することは家族を狭く閉じたものにする危険性をはらんでいるのではないか。

 注目される司法判断の背景にあり、それを受け止めることにもなる現実の家族は、このような方向に進みつつある家族であることを少しでも理解していただけば幸いである。

池岡 義孝(いけおか・よしたか)/早稲田大学人間科学学術院教授

【略歴】
1952年東京都生まれ。早稲田大学第一文学部社会学専修卒業。同大学院文学研究科博士課程満期退学。1982年早稲田大学文学部助手、1987年早稲田大学人間科学部専任講師となり、助教授をへて教授となり現在にいたる。専門は家族社会学。2012年より、家族問題研究学会会長。研究業績として『戦後家族社会学文献選集』(渡辺秀樹と共同監修、2008年・2009年、日本図書センター)、「戦後家族社会学の展開とその現代的位相」(『家族社会学研究』22巻2号、2010年)、「高齢者所在不明問題とその背景」(『月刊福祉』94巻2号、2011年)などがある。