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山口 斉昭(やまぐち・なりあき) 早稲田大学法学学術院教授 略歴はこちらから

自転車は「怖い」思いをすべきか
自転車運転者講習制度の導入と自転車事故の損害賠償

山口 斉昭/早稲田大学法学学術院教授

自転車運転者講習制度の導入

 平成25年に公布された改正道路交通法の一部が、この6月1日より施行され、自転車運転者講習制度が導入された。これにより、一定の危険行為を反復して行った者で、公安委員会が、更に自転車を運転することが、道路における交通の危険を生じさせるおそれがあると認める者に対しては、自転車運転者講習が義務付けられ、違反した場合は罰金が課される。平成25年の道路交通法改正により、自転車の運転に関してはいくつかの新たな規制がなされたが、その中でも最も重要なものが自転車運転者講習制度であり、戦後の自転車に関する交通政策の中でも、大きな改正であるとされる。このように、自転車は、最近の交通政策における最も大きな問題点の一つであり、この背景として、近時、全ての交通事故の中でも、自転車の関係する事故が次第に増えていることがあり、また、報道は、最近における自転車事故賠償の高額化なども指摘する。

損害賠償の分野における自転車事故

 しかし、筆者の専門である損害賠償法の分野においては、自転車事故は、以前より、自動車事故以上に解決や被害者の救済が困難な、悩ましい事案類型であった。その理由として、①自動車事故においては自動車損害賠償保障法により、立証責任が転換されているのに対し、自転車事故では特別の規定がなく、一般原則により被害者が加害者の過失を立証しなければ責任を問うことができないこと、②自動車事故においては、過失相殺の類型化がなされ、生じた事故についての過失割合の認定が迅速に行われるのに対し、自転車事故では態様が多様であって類型化がしにくく、また、事故態様の認定も困難であることが、(加害者の責任の認定の側面から)指摘される。しかし、それ以上に重要な点として、③自動車については自賠責保険の締結が義務付けられ、任意保険の加入率も高いが、自転車の付保率は低く、加害者の賠償資力が十分でないこと、④しかも、自転車事故の加害者には未成年も多く、責任能力がありながら(それゆえ原則として保護者への責任追及はできない)、賠償資力はゼロに近いという者も多いということがあり、責任ある加害者が現実に賠償を履行できないという現実が、被害者の救済を妨げていることがあった。賠償額についても、理論的には、同じ条件にもかかわらず、かつての賠償金が最近のそれよりも低かったということはありえず、ありうるとすれば、解決が困難であるために、被害者が低額で手を打つしかなかったということであろう。このため、これまでも自動車と同様の責任保険の義務化等の議論はあったものの、全国レベルでの実現には克服すべき障害が多く、また、より現実的な選択肢である、任意の賠償責任保険や自転車保険の普及も、いまだ十分というには程遠い現状である。

自転車運転者講習制度に期待すること

 さて、今回の道路交通法の改正は、運転に関する規制の改正であるため、もとより上記のような自転車事故における賠償の問題点を解決するものではない。しかし、自転車の運転者に対し、公道における車両の運転者としての責任や意識を喚起するという点では当然に支持され、そのことが、賠償責任保険等の普及に事実上寄与することなども期待される。このため、対象者に行われる講習についても、賠償や保険の有用性等に関する内容を組み込んで欲しいところである。また、講習が行われることを機に、自転車のどのような運転が安全であるかについての方針も明確に示して、たとえば、自転車の車道走行などをより積極的に推奨してゆくべきであろう。

自転車の車道走行について

 この点に関し、つとに専門家は、1978年の道路交通法改正が、自転車の歩道走行を常態化させ、歩行者との軋轢を生むことになったこと(木戸伴雄「自転車の走行実態と交通ルール」予防時報219号34頁)、また、自転車にとって車道走行は、日本でも欧米でも等しく、主観的には「怖い」が、データ的、客観的には歩道走行のほうがはるかに危険である(自動車から自転車がほとんど見えない、歩行者との衝突の危険、歩道の路面環境が劣悪である)こと、それゆえ、実は欧米でも自転車専用道路は必ずしも十分でないが、自転車の車道走行が推奨されていることを指摘し、わが国でも車道走行を推奨すべきことを主張している(古倉宗治「自転車事故の環境づくり問題」交通法研究40号3頁)。

「怖さ」の効用

 このような指摘はきわめて説得的であるが、上記の保険の普及という観点から見ても重要と思われるのが、車道走行が自転車にとって「怖い」という点である。すなわち、現状において、自転車の賠償責任保険の義務化はもとより、任意の保険についてもその普及が十分でないことは上記のとおりであるが、その一因として、自転車の歩道走行が常態化していることにより、自転車の運転者が「怖い」という主観的な感覚を持たない(それは自分が加害者になりうることの想像力も奪うことである)ことも指摘できないわけではない。自動車においては、義務化されている自賠責保険だけでなく、任意保険の加入率も比較的高いが、現在ではその任意保険も、8割以上が、自身の傷害をも補償する、人身傷害補償特約付き保険であるとされている。これは自動車の運転者や保有者においては、自身が加害者になる恐れとともに、被害者になる「怖さ」も意識されているからであると思われる。

 このことからすると、そして、実際にはより安全であることを踏まえれば、公道における車両の運転者であることを十分に意識させるため、また、自身が加害者にも被害者にもなりうることを意識させるため、自転車の運転者を車道に下ろし、「怖い」思いをさせるべきと述べたとして、決して暴言ではないであろう。自転車交通政策の大きな転換期となる、今回の自転車運転者講習制度導入を機に、そのような点についても、今後、政策が進められるべきである。

山口 斉昭(やまぐち・なりあき)/早稲田大学法学学術院教授

【略歴】
1991年早稲田大学法学部卒業、1997年早稲田大学大学院法学研究科博士後期課程退学、日本学術振興会特別研究員、日本大学商学部講師・助教授・教授、日本大学法学部教授を経て、平成2009年より現職。日本医事法学会理事、日本賠償科学会評議員、日本交通法学会会員、公益財団法人交通事故紛争処理センター判例調査専門委員等
著書:『賠償科学概説-医学と法学との融合-』(共著)、『交通賠償論の新次元』(共著)など