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森山 至貴(もりやま・のりたか)/早稲田大学文学学術院専任講師 略歴はこちらから
撮影:島崎信一

広辞苑と性の多様性

森山 至貴/早稲田大学文学学術院専任講師
2018.2.19

広辞苑に「LGBT」掲載

 2018年1月刊行の広辞苑第7版に「LGBT」という項目が掲載された。性の多様性に対する関心の高まりを反映した掲載だと思った方も多いのではないだろうか。

 さらに、この「LGBT」の語釈が間違っていることが批判され、早速の修正を余儀なくされたことを知っている人も多いだろう。当初の語釈「(レズビアン・ゲイ・バイセクシャル・トランスジェンダーの頭文字)多数派とは異なる性的指向をもつ人々」は確かに間違っている。性的指向(性的欲望や恋愛感情の向かう性別を指す)という概念に直接関係するのはレズビアン(女性同性愛者)とゲイ(男性同性愛者)とバイセクシャル(両性愛者)であり、生物学的な性別、あるいは周囲から見た目で判断される性別と異なる性自認(性別に関する自己認識)を持つ人を指すトランスジェンダーは、性的指向のあり方によって特徴づけられる語ではない。

 語釈の不正確さへの批判は当然だし必要だが、私は違うことを考えてみたい。つまり、性の多様性に関する他の語句はいつから掲載されているのか、そしてその語釈はどうなっているのか?

いつから載っているのか?

 ということで、性の多様性に関する語句が広辞苑の第何版から項目として立てられるようになったかを調べてみた。それではここで問題。「異性愛」「同性愛」「両性愛」を、広辞苑に掲載された順に並べ替えてください。

 意地の悪い問題を出してしまった。「同性愛」は第1版(1955年)から、「異性愛」は第6版(2008年)から掲載されているが、「両性愛」という項目は第7版にも存在しない。ちなみに「バイセクシャル」という項目は第6版から掲載されている。普通ではない存在として「同性愛」を名指し(差別論の中では「有徴化」という)、のちに無徴の側にも「異性愛」と名前がつけられて形式上平等になるが、そこで不可視化された「バイセクシャル」は、カタカナ語によって表され、同性愛・異性愛と同じ平面上では扱われない。あくまで想像の上での読み解きとは言え、現実に「LGB」が辿っている道とぴたりと符合するのが怖いくらいである。

 その他も調べたかぎりでまとめてみよう。第1版が初出なのは「同性愛」、第2版(1969年)が初出なのは「ホモ(「ホモセクシュアル」の略語、という説明が第2版から加えられた)」、第3版(1983年)が初出なのは「レズ」、第4版(1991年)が初出なのは「ゲイ」「レズビアン」、ひとつ飛んで第6版が初出なのは「異性愛」「バイセクシュアル」「性同一性障害」「性自認」「性的指向」、第7版が初出なのは「LGBT」「トランスジェンダー」である。私の見るかぎりでは、セクシュアルマイノリティがどのように日本社会に受け止められてきたのか、その経緯をかなり正確に反映しているように思える(「ホモ」「レズ」といった差別的なニュアンスを含む語は広辞苑に書いてあるからといって安易に使うべきではないが、使うべきでない語を決めて排除することに辞書が禁欲的なのも理解できる。使い手の知識と倫理に委ねるべきだろう)。

「LGBT」の語釈の不正確さの問題も、この結果をふまえると新たなる論点を生むだろう。つまり、せっかく一つ前の第6版に「性的指向」「性自認」の語を揃って掲載したのに、どうして両者をともに用いて語釈を作らなかったのか。もっとも、同じく第6版から掲載されている「セクシュアリティー」という項目には「性的指向性」という耳慣れない表現が含まれる。「性的指向」という別項目と表現が揃っていないあたり、性に関する語句は、まだ辞書の中で上手にネットワークを形成するには至っていない、というべきだろう。

語釈はどう変わったのか?

 いくつかの語句においては語釈も変化している。第1版から掲載されている「同性愛」を例にとってみよう。アカーという社会運動団体が岩波書店に働きかけ、語釈に含まれる「異常性欲」という表現が削除されたのが第4版から。私はてっきり第1版から第3版までに「異常性欲」という表現が含まれると思っていたのだが、実は第1版には「性的対象として同性の者を選ぶこと。また、その愛情」としか書かれていない。ということは、同性愛を「異常」と説明した方がより正確だと考えた人が第2版の作成者の中にいたということになる。私にはそれがとても恐ろしいことに思える。ちなみに第4,5版では「性的愛情」という耳慣れない表現が出てくるが、第6版以降は「性的欲望」に変更されている。同性愛者を性行為にのみ結びつける風潮を避けて「愛情」の語を含めていたのだろうが、「異性愛」の項目を立てるさい「同性愛」とともに「性的欲望」と説明することで、そのような差別的な意図がないと示せると辞書作成者が考えたのかもしれない。

言葉でどう現実を形づくるか

 性の多様性を日本社会が、あるいは辞書作成者がどう受け止めたかの歴史が広辞苑の中には詰まっている。たかが言葉というなかれ。性の多様性をどのように社会で確保していくのか、そのためにはどんな言葉がふさわしいのか。「難しい専門用語は使いたくない」「侮蔑語を使えないなんて言葉狩りだ」と憤るのではなく、言葉がどう現実を形づくっているのかを知り、その先を考えるべきではないだろうか? 言葉は標本箱に入れて眺めるものではなく、世界を作り上げるためのもっとも手軽で強靭な道具であるべきなのだから。

森山 至貴(もりやま・のりたか)/早稲田大学文学学術院専任講師

1982年神奈川県生まれ。東京大学大学院総合文化研究科国際社会科学専攻単位取得満期退学。博士(学術)。東京大学大学院総合文化研究科国際社会科学専攻助教を経て現職。専門は社会学、クィア・スタディーズ。主著に『「ゲイコミュニティ」の社会学』(勁草書房、2012年)、『LGBTを読みとく ― クィア・スタディーズ入門』(筑摩書房、2017年)がある。