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佐藤 将之(さとう・まさゆき)/早稲田大学人間科学学術院准教授 略歴はこちらから

愛され続ける「子どものための建築」を

佐藤 将之/早稲田大学人間科学学術院准教授
2018.3.19

「保育園落ちた日本死ね」待機児童問題を象徴する言葉が2016年の流行語大賞トップ10に入った。このように保育園の収容力が求め続けられている中で、保育園の建設反対運動が日本各地で起き、保育施設は迷惑施設として捉えられている感もある。他方、保育をビジネスとして掲げ、建物は一見オシャレに見せることができているものも増えてきた。しかしながらそれらの中には、子ども大人に限らず誰の視点からみても使いづらく、建物への愛着がないどころか、全員がイライラしているように思えるものすらある。そこで本稿では、子どものための建築、なかでも保育所幼稚園こども園の建築である「保育建築」を例とし、筆者の研究者として歩んできたことを振り返りながら、人間科学からみた「子どものための建築」を論考したい。

こどもの視点を持つための研究と提案

写真a.2階子どものロッカー横に設けられた「通園してくる友人(写真中央)が見える窓」,2002年,落合設計アソシエイツ(担当建築家-梶浦暁氏)と共同で設計監修

 住宅を計画する上では、第二次大戦中や戦後の住宅供給の際に食べる部屋と寝る部屋とを分けることが、衛生上確保すべき最低レベルの条件だとして考えられてきた(例えば、1942年西山夘三による食寝分離論や1951年鈴木成文らによる51cと呼ばれる標準設計)。しかし、筆者が数年以内に建設された園舎に訪問すると、未だに食寝が分離されておらず、食事中の子らが居る横で布団が敷かれている光景が残っている。入園者数を多くしたい社会的役割があるにせよ、子どもたち一人ひとりの活動のペースを守ること、最低限の衛生面の秩序を作ることは、子どもの視点からみた保育建築として当然確保するべき機能だ。70年以上前に最低レベルの生活として言われてきたことが未だに保育建築では満たされていないことは、恥ずべき事態だ。

 筆者は、建築計画の研究室で卒業研究を開始した1998年より、上記(声があがりにくい利用者の視点からみた建築)を意識しながら、子どもの行動や心理からみた建築に関する研究を続けてきた。例えば、通園してきてすぐの子どもたちは、自分のロッカーまわりで寝転がることが多いことがわかってきた。写真aはそれを受けて提案したもので、子どもの目線の高さに窓を設置した事例である。2階の保育室では、大人の目線高で設置された窓しかなく、子どもたちが外の風景を見られないことも度々ある。そんな状況に配慮した提案だった。

デザイナーの提案はそれほど喜ばれていない

 筆者は上記後も建築・遊具・家具のデザインに関する提案を続けてきた。また、筆者は、もともと建築学の立場から研究を始めたこともあり、一見オシャレに見える保育建築を訪ねることが多かった。それらの際に感じることは、デザイナーが理事長や園長との打ち合わせで考えた提案がそれほど現場の保育者や子どもたちに喜ばれてないことだった。それどころか、建築雑誌に掲載されたり建築の賞を受賞している園舎であっても、利用者は設計者に対して憎悪まで抱いている園もあった。筆者は研究者の立場として、誌面では決して伝わらない喜ばれる建築、みんなに愛される建築を増やさなければならないと強く思い続けている。

 また、それ以前までは、環境心理の視点から「○○な環境、あるいは具体的なあるデザインが、子どもたちの○○な心理や行動を決定する」という、わかりやすい答えとなる環境決定論を作らなければならないと感じてきた。しかしそれ以上に、子どもと共にいる保育者の思いをかたちにしたり、保育者や保護者に対する物的環境の理解を進めたり、子どもたちがやってみたいと思う気持ち、言い換えれば、物的環境に浸透する愛着をデザインしなければならないと感じるようになってきた。

写真b.川越ルンビニ幼稚園「セミ捕りのための遊具」2012年

 その思いを幾分か達成できたのが、セミ捕りのための遊具である(写真b)。もともとは、「金魚ちゃん」と呼ばれる鉄骨の遊具を作り直したいという依頼だったが、バスの運転手を含めたスタッフらと付箋を使って意見を出し合うワークショップを行い、先生たちが園庭で達成したいこととして「セミ捕りのための遊具」があぶり出されてきた。研究室学生らのたくさんの提案の中から、いくつかをさらに模型にして意見交換しながら、有志の父親たちが製作を行ってくれるというプロセスとなった。参加した父親たちは、その後、子どもたちのお迎えをする際には、自分が製作した遊具に立ち寄るようになったとのことだ。子どもたちは言うまでもなく、大学の先生やデザイナーが作ったものよりもお父さんたちの作ったもので遊びたくなる。

形式的な「ワークショップ」でごまかさない

 その後、上記に関連した保育者が環境を作り込むことに関する研究(注1)などを進めてきたが、その過程で使い手=保育者が環境を考える方法について疑問を抱くようになった。近年、何でも「ワークショップ」といえば、その会に居た人が作業して具体的な物的環境に関するデザインに参加したようなことになっている。「ワークショップ」といえば、単に一方的な講義や話題提供だけではないニュアンス、相互交流的な印象を持つことができるので、一見オシャレな響きに聞こえることが非常に危険だ。付箋を使ってキーワードや意見を出すことで心理的な部分が視覚化されることは間違いないのだが、思いとかたち(視覚的に見える具体的な物的環境)とがセットにならなければ、物的環境に愛着を持つことができないからだ。付箋を使って、理念や漠然としたイメージだけを整理するワークショップは、机上の空論に過ぎず、決して使い手の物的環境に対する理解を作れない、愛着は生まれない。上辺だけなオシャレを着飾った形式的な「ワークショップ」だけなら、やらないほうがいい。たくさんの曖昧な要素をあげるだけの作業は、設計者が使い手の意見を達成してデザインしたように見せかけやすくするだけである。

思いとかたちをつなげる建築設計プロセスを

 例えば、具体的な物的環境を提示する建築設計プロセス例として、ドイツの建築家ペーターヒューブナー氏ら(注2)によるものがある。彼らは、巨大な木材模型や粘土を使って学校や保育施設の先生・保護者・子どもたちと一緒に具体的な造形を行っている。筆者は早稲田大学の特別研究期間を活用してドイツに滞在し、実際に粘土を活用した造形ワークショップや彼らがそれらのプロセスで進めた建築を現地で見ることができた。それを進化させつつ日本文化に合うような研究・開発を詰めている。粘土模型で3次元化する(写真c)ことによって、具体的なかたちを想像することができるからか、以前筆者が平面図を保育者に見せながら進めたケースよりも多くの意見が出てきている。例えば、通園など子どもたちの生活を実際にイメージしながら、多様なキーワードや語りが出てきている。この実践を積み重ねて質的なデータを蓄積している最中である。

 また、研究室では筆者が環境行動研究として続けてきた、まちの居場所に着目した研究(注3)も複数進行しており、直接的間接的な関わりを考慮した園舎周辺地域全ての人々から見た『愛され続ける「子どものための建築」』を追究しているところである。

写真c.岐阜市駒爪保育園における新しい園舎配置を議論するためのワークショップ 2018年

  • ^例えば、麻生沙希・佐藤将之,保育園における環境設定変更を通じた保育者意識や環境の時間的移行,こども環境学会2014大会,こども環境学研究vol.10, pp.94, 2014年
  • ^ plus+bauplanung GmbH Hübner-Forster-Hübner-Remes
  • ^ 例えば、生田尚志・佐藤将之,社会形成からみた「仮設的な場」に関する考察,日本建築学会計画系論文集第721号,p.655-665,2016年3月

佐藤 将之(さとう・まさゆき)/早稲田大学人間科学学術院准教授

1975年秋田生まれ。秋田高校、新潟大学工学部卒業、東京大学大学院工学系研究科建築学専攻博士課程修了。江戸東京博物館委嘱子ども居場所づくりコーディネーター等を経て現職。