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奥島 孝康(おくしま・たかやす)早稲田大学法学学術院教授 略歴はこちらから

「横綱の品格」と「野球憲章」
―忘れてはならぬ文武両道―

奥島 孝康/早稲田大学法学学術院教授

 相撲と学生野球とは、一方はプロで他方はアマという違いがある。だから、両者はまるで違うと言ってよい。もともと比較の対象とはなりようがないと言ってしまってもよさそうである。しかし、両者の品格という点ではどうか。

 ぼくは、現在、なぜか財団法人日本相撲協会の運営審議会の委員と日本高等学校野球連盟の会長とを兼ねている。たしかに、珍しいケースではあろうが、事実である。その結果、両団体の不祥事について、好むと好まざるとにかかわらず、考えざるをえない立場にあるわけである。ところが、周知のごとく、ぼくにはいずれの経験もない。もっとも、小学生の時代、四国の山村の「村相撲」で何度か出場したことはあるし、「草野球」を楽しんだこともあるが、とても「経験」があるなどとは言えたものではない。したがって、相撲と野球は、いずれも一素人として、あるいは、一ファンとしてもっぱらその見物を楽しんでいるにすぎない。

 しかし、ともかく委員として、また、会長として、いずれの不祥事についても、無関心でいるわけにはいかないし、それどころか、責任をもって考えねばならない立場にあると言わねばならない。では、ぼくはこの問題についてどう考えているか。その考え方の一端をご披露しておきたい。言うまでもなく、大相撲は日本の独自の文化であるといってよいし、高校野球も春夏の甲子園大会はわが国の風物詩であるばかりか、いまやその規模といい、国民的関心からいって日本文化とさえいってよいほどの国民的な行事となってきている。ぼくは、この問題については、この「文化」という前提ないし観点を抜きにしては考えることができないとさえ思っている。

 まず、相撲について考えてみよう。相撲が歴史的に「神事」として発達したという事実は多言を要さない。たしかに、相撲もスポーツの一種ではある。だからこそ、近年急速に発展してきたという事実がある。しかし、だからといって、相撲が「神事」であると考える日本相撲協会の立場を支持しない国民はほとんどいないのではないか。だから、その相撲の精神を体現すべき横綱の「品格」が求められるのである。朝青龍事件は、単なる暴力事件ではなくて、横綱の品格が問われたところに、事件の本質がある。

 もとより、以上の相撲についての簡単な言及では論証不足である。本来ならば、相撲がどうして「神事」であるか論証する必要があるが、この点については参考文献もたくさんあることでもあり、ここではこの程度にとどめざるをえない。

 他方、高校野球の不祥事についてはどうか。ここでは、学生野球全般について議論すべきであるが、紙面の余裕もない上、参考文献もきわめて少ない現状からして、高校野球に焦点を絞って、なぜ高野連が他の高校スポーツ(高体連所属のスポーツ)と較べて不祥事に厳しいのかの一点に絞って考えてみたい。もとより、高野連自体が高校野球に対して厳しい対応をしていると考えているわけではない。むしろ高野連の対応こそが本来のあり方だと考えているのである。すなわち、「野球憲章」は野球を「教育の一環」と捉えていることは周知のところと思われる。「教育」という観点からすれば、教育の目的が「人格の陶冶」にある以上、それ相当の規律を求めるのは当然のことだからである。

 この問題を考える手掛りとして、以下、二つの例を見ておこう。一つはアメリカの学生スポーツの対外試合への出場資格である。詳しく説明する余裕はないが、アメリカの超人気スポーツであるアメフト問題が契機となってNCAA(National Collegiate Athletic Association : 全米大学体育協会)が結成され、学生と社会人とのスポーツを分ける基準が教育ないしは学力にあることが明確にされた。学生としての資格要件が学力にあり、学年相当の学力のない学生や卒業見込みのない学生には、対外試合に学校を代表して出場する資格がないとされているわけである。すなわち、無条件進級・無条件卒業(アマの観点)、生活丸抱え(プロの観点)の野球特待生に学校を代表して対外試合に出場する資格はないのである。

 もう一つの例は、韓国の学生スポーツの例である。韓国では1972年、国威発揚のために体育特待生制度(つまり、スポーツ特待生制度)が発足した。そのため、韓国では、約2,200校の高校中、野球部をもつ高校は現在53校しか存在しなくなった。一番人気のサッカーでも100校に満たない。韓国の新聞が報ずるところによると、スポーツをやっている高校生は、授業には事実上出席しなくともよく、大学入試も競技成績にのみよって判定され、授業にはまったく出席しないという。全国大会は、野球についていえば、年10回あり、決勝戦でも観客は1,000人に満たない。運よくプロ入りできる者はそれでよいとしても、プロ入りできない者は学力が小学生程度以下の者も多く、就職もほとんどできないことから、いまや社会問題となってきているという。

 もし、日本でもスポーツ特待生制度(学校で授業に出席せず、学年相当の成績もとれない学生の存在を認める制度)を認めるとすれば、学校スポーツのいわゆる「部活」はほとんど壊滅的な状態になるであろう。そうならないまでも、強い選手を養成するためだけに、勉強しなくてよいことを正面から容認することがはたして学校のあり方と矛盾しないであろうか。エリート養成のため文武両道を目指すイギリスのパブリック・スクールの例を出さずとも、アメリカの良識ある学校スポーツのあり方は、われわれの目指すべき方向を明示してはいないであろうか。少くとも高野連はその方向を目指していることは明らかである。

奥島 孝康(おくしま・たかやす)/早稲田大学法学学術院教授

【略歴】

1939年、愛媛県出身。早稲田大学第一法学部卒業、同大学院法学研究科博士課程満期退学。法学博士(早稲田大学)。早稲田大学教務部長、図書館長、法学部長を歴任し、1994~2002年第14代総長。現在、早稲田大学学事顧問、日本高等学校野球連盟会長等を務める。
2002年フランス叙勲パルム・アカデミック(教育功労章)受章。
主な研究分野:コーポレート・ガバナンス、株式会社の理論構造、フランス会社立法史
近著:「志立大学早稲田の実現」(2004年 早稲田大学出版部)、「判例講義会社法」(共編著)(2007年 悠々社)、「企業の統治と社会的責任」(編著)(2007年 金融財政事情研究会)、「企業法学の歳月」(2010年 早稲田大学出版部)