早稲田大学の教育・研究・文化を発信 WASEDA ONLINE

RSS

YOMIURI ONLINE

ホーム > オピニオン > スポーツ

オピニオン

▼スポーツ

友添 秀則(ともぞえ・ひでのり)早稲田大学スポーツ科学学術院教授 略歴はこちらから

大相撲の八百長は許されるか
―単純ではない善悪の基準

友添 秀則/早稲田大学スポーツ科学学術院教授

擁護論と批判論

 大相撲での八百長が発覚した。大相撲の八百長問題をめぐっては、日本中の誰もが一家言をもち、あたかも一億総「大相撲評論家」になった観すらある。中東やリビア情勢、あるいは民主党の管政権の低迷や物議を醸す消費税論議でさえ吹き飛ばさんばかりの社会問題と化した様相すら呈している。

 言うまでもなく「八百長」とは、「いんちき」のことである。力士が勝ち星を事前に示し合わせた段取りに従って、観客を騙しながら勝負をつけることである。善か悪かと問われれば、悪いに決まっている。しかし、大相撲の八百長問題の場合、ことの善悪はそれほど単純ではない。

 「大相撲は我が国の伝統文化で、人情相撲といわれるように、星の貸し借りは昔からあった。」「弱い立場の者に勝たせて情けをかける人情相撲こそ、日本の伝統文化のひとつである。」「大相撲は、伝統芸能の一種で、勝敗を真剣に競い合う西洋伝来の競技スポーツとは違う。」「大相撲は興行だから、八百長があっても面白ければいいじゃないか、大相撲なんてそういうものだ。」 このような八百長の擁護論がある一方、「国技の大相撲に八百長はけしからん。」「土俵は『見世物』の場ではなく、真剣勝負を挑む神聖な場である。」等など批判論も有力であり、その善悪をめぐる賛否はまことに喧しい。

スポーツ倫理学による考察

 ところで、スポーツ科学の一領域にスポーツ倫理学というものがある。スポーツの世界で何が許され、何が許されないのかを考える学問である。ここでは、大相撲の八百長を「感情論」や「(損得)勘定論」ではなく、倫理的な立場から考察してみたい。倫理的評価を下すには、何よりも、大相撲が芸能や興行なのか、それともスポーツなのかが検討されなければならないだろう。

 最初に一言すれば、大相撲が国技であるという見解はどうも怪しい。江戸時代には、力士は博徒と極めて近い関係にあり、大相撲は明らかに柔術や剣術よりも社会的低位にあった。明治時代の欧化主義への反動と結び付いたナショナリズムや帝国主義の台頭が、相撲を国技の位置に押し上げたと考えるほうが相応しい。日露戦争後の愛国的気風と尚武の風潮が跋扈した明治末期の国技館の誕生(1909年)はそれを物語る。

 東西優勝制度の開始(1909年)、天皇賜杯の授与と個人優勝制度の考案(1926年)、ラジオ中継開始に伴う制限時間の設定(1928年)、仕切り線の考案(1928年)、それまでまちまちであった土俵の整備と統一(1931年)、禁止技を盛り込んだルールの確立(1955年)、これらは民族伝承の相撲が合理化、洗練され、さらに近代スポーツとして再編される過程とみてとれる。加えて、明治期以降の横綱制度の確立やさまざまな儀式の創造などは、西洋伝来の近代スポーツに学びながら、まさに相撲が近代スポーツ化を遂げつつ、その過程でホブズボウム(E.Hobsbawm)のいう伝統の創造が行われたと考えるのが妥当であろう。まさしく大相撲こそは、日本の近代産業社会の中で、モダニズムの論理を基盤に成立したスポーツなのである。

卓越性を追求した競技スポーツ

 言うまでもなく競技スポーツの本質は、選手同士が当該スポーツのルールを遵守して、相手に自己の能力を最大限に発揮しながら、卓越性を相互に追求し合うことにある。さらに、これらのことを当該の選手のみならず、観客も含めた関係者が容認しているという暗黙の合意と社会的契約がある。

 これまで述べてきたことを考え合わせれば、スポーツとしての大相撲における八百長は、明らかに卓越性の相互追求という競技スポーツそのものを成立させる本質を損なう違反行為であり、観客との合意や社会的契約を破る行為でもある。もっと明確に言えば、大相撲における八百長は、スポーツとしての大相撲の成立の根幹を揺るがせる不正行為となる。

 大相撲がスポーツではなく見世物という意味での興行であれば、善玉の日本人力士とヒール役の外国人力士が観客に喜ばれるように演じればいいわけで、卓越性など相互に追求する必要など毛頭ない。そして、善玉の日本人横綱と日本人大関が下位力士のヒール役の外国人力士のあくどい挑戦を果敢に打ちのめせばすむだけである。だがしかし、最高位の横綱・白鵬をはじめ多くの外国人力士が幕内上位にいることの事実は、まさに現代の大相撲が力士相互の全力を傾けた卓越性の追求としてのスポーツであることを物語っていることの証ではないか。もしそうだとするなら、大相撲の八百長はやはり許し難い不正である。

友添 秀則(ともぞえ・ひでのり)/早稲田大学スポーツ科学学術院教授

【略歴】

筑波大学体育専門学群卒業、筑波大学大学院修士課程修了。博士(人間科学)早稲田大学。香川大学教授を経て現職。専門はスポーツ倫理学、スポーツ教育学、スポーツ批評。

日本スポーツ教育学会副会長、日本体育科教育学会理事長、(財)日本学校体育研究連合会常務理事ほか。『現代スポーツ評論』編集委員を務める。

著書として『体育の人間形成論』(大修館書店)、『スポーツ倫理を問う』(大修館書店)、『スポーツのいまを考える』(編著、創文企画)『教養としての体育原理-現代の体育・スポーツを考えるために』(編著、大修館書店)など。訳書に『スポーツ倫理学入門』(代表訳、不昧堂書店)など。