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深見 英一郎(ふかみ・えいいちろう)早稲田大学スポーツ科学学術院准教授 略歴はこちらから

運動部活動における指導者のあり方
-スポーツを通して自立する人間を育てる-

深見 英一郎/早稲田大学スポーツ科学学術院准教授

体罰に関する調査

 この10年間、毎年、私の最初の授業で、「運動部活動における顧問指導者からの体罰の有無」に関する調査を実施してきた。対象とした学生は、中学・高校時代、全国大会等の高いレベルで競技に取り組んできた者も少なくなかった。漠然とした印象ではあるが、この10年間で「体罰を受けた」学生数は確実に少なくなっていた。しかし残念ながら、その数が0件であった年は一度もなかった。2012年度も調査を実施した結果、クラスの約2割の男女学生が「体罰を受けた」と回答した。その内容は、「試合中、ミスした」「ふざけていた」時に「叩か(ビンタさ)れた」、「土下座」「丸坊主に」させられた等であった。また、彼らに「その体罰をどのように受けとめましたか」と質問した結果、1名(「うざい」と思った)を除いて、ほとんどの学生が「自分が悪かった」「反省した」「次、頑張ろう!」「自分への悔しさ」等と指導者を否定するどころか、むしろ肯定的に受けとめていた。

 さらに、彼らに体罰の必要性について質問すると、体罰を受けた学生の約3割(受けていない学生の約1割も)が「部の規律を守る」「日本一を目指す」ためには、ある程度「必要」、「口で言っても聞かないなら仕方ない」等と回答していた。

 彼らは、「体罰を受けて自分は強くなれた(なれる)」と肯定的に受けとめているのである。また「自分は体罰に負けなかったから強い」という変な自信も持っている。脳科学者の林 成之 氏によると、それは原理的に「洗脳」に近いという。不条理なことでも繰り返し行われると「同じもの」を好む脳の性質によって正しいと思ってしまう。過去の自分を否定したくない、存在意義を認めて欲しいという本能とも関係があるという。

 もちろんその他多くの学生が、「体罰で競技力が向上したり部の雰囲気が良くなることはあり得ない」「口で言えば分かるはず」「強者が弱者を力で押さえ込むことは指導者として敗北を意味する」等と回答していた。しかし、体罰を受けた学生の一部は、指導的立場に立ったとき「これくらいの体罰でつぶれるようであれば、最初から選手として見込みがない」等の考えから体罰を容認し、再び体罰を繰り返す可能性がある。

「コーチ」の語源にみるスポーツ指導者の役割

 スポーツを指導する人のことをコーチと呼ぶ。周知のように、この「コーチ(coach)」の語源は「四輪馬車」である(『知的コーチングのすすめ』 大修館書店)(※米国のファッションブランドCOACHのロゴにも「馬車」が描かれている)。英国では長距離バスや観光バスのことを“Motor Coach”と呼ぶ。なぜ、「馬車」が指導者やコーチといった「人」に用いられるようになったのか。それは目的を持った客(選手)を安全にかつ確実に目的地(目標)まで運び届けることが馬車(コーチ)の役割だからである。この意味から、スポーツ指導者には選手の目的を尊重し、その目的達成のために最大限尽力することが求められる。決して馬車(コーチ)が、客(選手)に相談なしに行き先(目標)を決めたり勝手に変更したりすべきではない。もちろん、客(選手)が道に迷ったり目的地(目標)を見失ったりした時には、客(選手)に現在地(現状)を教えてあげて適切な方向に導いてあげることも馬車(コーチ)の大切な役割であろう。これらのことから選手の主体性を尊重し、選手の能力を引き出し伸ばしてあげることが、スポーツ指導者の役割であるといえる。

青少年にとってスポーツのもつ意味

 2011年8月「すべての人にスポーツを楽しむ権利」を保障したスポーツ基本法が成立した。第一章 総則の基本理念には、「とりわけ心身の成長過程にある青少年のスポーツが、体力を向上させ、公正さと規律を尊ぶ態度や克己心を培う等、人格の形成に大きな影響を及ぼすものである(後略)」と明記されている。このことから青少年のスポーツ指導者の役割は、すべての子どもたちに運動経験を通して公正に取り組む、互いに協力する、自己の役割を果たす等の人間性を育て、心からスポーツが「楽しい!」「もっとうまくなりたい!」と思わせることである。「スポーツ(sport)」の語源は、ラテン語の“deportare(気晴らし、休養、楽しむ)”といわれている(『スポーツ大事典』大修館書店)。そのため“sport”には、いわゆる①競技、スポーツ、という意味の他に②娯楽、明朗な人といった意味もある(『グランドコンサイス英和辞典』三省堂)。後者の意味をふまえた“sport”のイディオムには、“What sport!(実におもしろい!)”、“spoil the sport(場をしらけさせる、人の興を削ぐ)”、“Be a sport!(スポーツマンらしく[潔く]しろ!)”といったものがある。これらのことから、スポーツとは本来、青少年を夢中にさせてくれると同時に、「子どもを大人にし、大人を紳士にする」活動なのである(「日本サッカーの父」として知られるドイツ人サッカー指導者デットマール・クラマー氏の名言を拝借)。

自分で問題解決できる選手を育てる

 将来、スポーツで生計を立てられる人は、ほんの一握りである。それ以外のほとんどの人は高校・大学を卒業後、スポーツ以外の仕事を見つけて社会で自立していかなければならない。運良く、華やかなプロスポーツ選手になれたとしても、現役選手として活躍できる期間は10年にも届かず、引退後の人生(セカンドキャリア)の方がずっと長いのである(引退時平均年齢 プロ野球 約29歳 [日本野球機構, 2011]、Jリーグ 約26歳 [日本プロサッカー選手会, 2012])。

 したがって、選手たちにとって重要な影響力をもつ指導者は、選手が現役で活動している間に、引退後の「ネクスト・ステージ(次の舞台)」を自分で見つけ出せる力を培っておく必要がある。そのために指導者は、選手と指導者がよりよいチームづくりに向けて、お互いが自由に意見を言い合えるような風通しのよい環境づくりを心がけると同時に、選手に対して、日頃からチーム/個人レベルで「勝つためには何が足りないか?」「弱点を克服するにはどんな練習が必要か?」といったことを自分の頭で考えさせ、実際に問題解決を図る習慣を身につけさせることが重要である。このことが、スポーツを通して社会で自立する人間を育てることに繋がってくると考える。

深見 英一郎(ふかみ・えいいちろう)/早稲田大学スポーツ科学学術院准教授

【略歴】
1971年佐賀県生まれ。福岡教育大学教育学部卒業、筑波大学大学院体育科学研究科満期退学、博士(体育科学)筑波大学、天理大学体育学部准教授を経て、現職。
専門分野はスポーツ教授学。著書として「体育科教育学入門」(共著、大修館書店)「体育授業を観察評価する」(共著、明和出版)。