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▼知の共創―研究者プロファイル―

小林(新保)敦子 早稲田大学教育・総合科学学術院教授 略歴はこちらから

中国少数民族の村で女性教師の養成を支援する

小林(新保)敦子
早稲田大学教育・総合科学学術院教授

教師とは「魂の技術者」である

 大学の学部時代から今日まで30年間、一貫して中国の辺境地域の教育について研究してきました。卒業論文に取り組むときに、指導教員から「君にしかできないことをやりなさい」とアドバイスされ、第二外国語で履修した中国語を活用して、中国の教育研究に取り組むことにしたのがそもそものきっかけです。

 当時はまだ中国語が使える研究者は少なく、中国語の文献に直接当たって論文を書くということ自体が、稀少なことでした。もともとアジアに強い関心を持っていたことと、父親が日中戦争下に陸軍の航空士官学校にいたということもあって、自分にとって中国をテーマとするのはごく自然な流れでした。

 卒論では延安を中心とした地域の教育をテーマにしました。延安というのは、日中戦争時代に中国共産党が建設した「旧解放区」といわれる広大な地域の一部です。非常に貧しい地域で、文字の読み書きができない人が多く、当時こうした人たちに対して大がかりな識字教育が展開されたのですが、私はその中でも特に女性への識字教育を研究テーマにしました。当時の中国の新聞をマイクロフィルムで調べたり、アメリカの大学が持っている資料を取り寄せたりと、1年間かけてかなり本格的な文献調査を行うことができて、自分でも満足のいく論文を書くことができました。

 その後、大学院へ進み、留学生試験を受けて、文化大革命の終結からまだまもない1981年から2年間を北京師範大学で過ごしました。日本人の長期留学生としては文革後第一期生でしたので、たいへん歓迎されました。教室での講義の内容こそ共産党教育が色濃く、決しておもしろいものではなかったのですが、講義の外での教員の方々との交流の中で教えられたことがたくさんありました。

 あるとき、高熱を出して大学構内の寮の自室で寝込んでいたら、先生がわざわざうどんを作って持ってきてくださった。「教師だったらこんなことくらい当たり前ですよ」とおっしゃるのですが、とてもびっくりして心から感激しました。ひとことで言えば、北京での2年間で、「教師とは魂の技術者である」ということを教わりました。北京師範大学に育てられて、今の自分があると思っています。

女性教師養成で中国に恩返し

 その後、大学教員となって1991年に本学に着任した数年後、縁あって宋慶齢日本基金会という中国への支援を行うNGOの活動に協力することになり、再び中国と深く付き合うことになりました。寧夏(ねいか)回族自治区という、イスラーム教徒の少数民族が暮らす地域で、女性教師の養成支援活動を立ち上げたのです。

かつては、こうした斜面をくり抜いた空間を住居としていた回族。

 イスラーム社会は、女性に対する抑圧が非常に強く、男女の接触についてもタブーが多い社会です。学校には女性の教師はとても少なく男性教師ばかりなので、女子は学校に行きにくいという状態が長い間続いていました。女子の未就学を減らすには、まず女性教師の養成が必要なのです。現地の教育行政担当局との折衝を重ね、1995~1997年の3年間に現地の師範学校へ入学した女子学生の中から、のべ123名への奨学金の支給を行いました。私にとってこの支援活動へのかかわりは、中国への恩返しだと思っています。

 以来今日まで、彼女たちがその後、どのように仕事を続け、どのような生活を行っているのか、ずっと追跡調査を行っていますが、ほとんどの人が、結婚してもずっと教師を続けています。中国では農村戸籍と都市戸籍に大きな経済格差があります。教師になれば農村戸籍から脱して、都市戸籍が得られ、固定したお給料をもらう身分になれる――これはもう革命的なことです。都市戸籍を守り続けるために、結婚しても子どもを生んでも、みんな必死で仕事をしています。

 ただどうしても、僻地の学校への赴任になってしまうので、旦那さんを街に置いて、子どもと2人で赴任していくか、あるいは旦那さんに子どもを預けて単身で赴任するか、どちらかになってしまいます。どちらにしても、女性にとっては大変つらい生活です。

支援してきた女子学生たちも、立派な教師に育った。何年かに一度は訪ねていき、彼女たちの成長ぶりを確かめている。

 例えばある女子学生は、僻地の農村出身であるということで、自分をとても卑下していたんですが、日本の支援者からの、「農村出身だということに誇りを持って頑張って。日本の発展を支えたのも農村出身者です」という手紙に励まされて、考え方が大きく変わりました。彼女は立派な成績で師範学校を卒業して、今は優秀な教師として活躍しています。都市部への赴任が決まったときも、自分から志願して農村へ行ったと聞いて、私も驚きました。

 その赴任先を訪ねていきましたが、車で何時間も荒れた山道を走ってようやく辿り着くような、凄いところです。彼女に「なんで、こんな僻地に来たの?」と聞いたところ、「自分はいろいろな人のおかげで、教師になることができた。農村に尽くすことでその恩返しをしたいから」と言っていました。彼女が初出勤した日には、村の人が全員出迎えてくれて、子どもたちは「先生が来てくれた!」と大喜びだったそうです。

回族の女性たちの姿に力づけられて

 NGO活動をきっかけに、回族の教育について本格的に研究してみようと、本学の図書館で文献を調べていたら、驚くべきことに本学のイスラーム文庫に回族の文献が山のようにあるのを発見しました。戦前の日本では大陸での回教工作を背景に、一大回教ブームが巻き起こり、大日本回教協会という官製組織が設立されました。その関係者の方が大量の文献資料を本学に寄贈されたという経緯があったのです。そうした恵まれた環境もあって、回族の女性教育は自分の主要な研究テーマになっていきました。

モスクに附設する女学の授業風景

 中国の小中学校は義務教育のため無償ですが、高校以上は学費がとても高いので、貧しい家庭の子どもたちはなかなか通えません。しかし、回族の女子学生たちのセカンドチャンスの場として「女学」という、モスクに附設している女子学校があります。女学は寄附で成り立っているので、学費はとても安いのです。

 女学では、3~4年間かけて徹底したアラビア語学習をさせるので、頑張ればアラビア語の通訳として自立することができます。最近では、日本の100円ショップ向け商品のような格安品の巨大な卸売市場が、浙江省の義鳥といったところにできていて、世界中から買い付けにくる。特に、中近東からたくさん商人が来るので、通訳の需要が高くなっているんです。通訳になれば、高額の給料がもらえるけれども、その代わりに家から遠く離れたところへ働きに出なければならない。それでも必死で頑張っています。

 女性が頑張って知識や技能を身につけて、実家から遠く離れたところへ就職して自立していく――そういう姿を間近に見ることができて、しかも自分が彼女たちを育てるところからかかわれる。彼女たちと話をし、彼女たちの成長していく姿を見ることは、私にとっては大きな喜びであり、とても力づけられてきました。こういう素晴らしいテーマに出会えて、ほんとうに幸せです。

支援から交流へ――日本が学ぶこと

寧夏回族の子どもたち。服装も昔に比べるとずいぶん身ぎれいになったが、素朴で屈託のない表情は今も昔も変わらない。

 この20年間で、中国は激烈な変化を遂げてきました。僻地にもその波は押し寄せています。支援を始めた当初、子どもたちの洋服はぼろぼろで、靴もはいていなかったり、水がないので手も真っ黒でした。それが今ではみんな身ぎれいになり、可愛いヘアピンを付けたり、キャラクターものの文房具を持つようになっています。

 最近感じているのは、中国では貧しかったり、学校に行けない子どもがいたり、大変なことは確かですが、彼らには、頑張れば未来は開けるという希望があります。中国へ行っていつも感心するのは、学生たちの歩く姿勢の美しさです。背筋がぴんと伸びて、足運びがとても速い。自信に満ちた感じに見えます。それに比べると、日本の学生は姿勢が悪く、歩き方も足を引きずるような感じで、よほど心配です。日本のほうがもしかすると教育の問題は深刻なんじゃないかと思います。

 長く支援活動にかかわってきましたが、もうこれからは支援の時代じゃない、交流の時代だなと感じています。日本からゼミの学生を連れていって、ボランティアとして活動してもらったことがありますが、やはり若い人の持っているパワーは大きいです。子どもたちはもう大喜びなんですね。ある女の子が、宝物のように大切にしていたカードを日本の学生に上げたら、もらった方も感動しちゃって目に涙を浮かべていました。

教育学部のゼミの学生たちと。

 数年前に、「グローバリゼーションの下での少数民族女性のエンパワーメント」というシンポジウムを本学で開催したときに、支援した女性教師を招いて話をしてもらったのですが、何よりも教師として子どもたちに尽くそうとする、その一生懸命な姿に聴衆はみんな心を打たれて、涙を流しながら聞いていました。とっくの昔に日本が亡くしてしまった、教師の真髄を見せられたような気がしました。

 これからさらにグローバリゼーションが進み、中国の拝金主義的な価値観の中で、回族のような少数民族の人たちが自分たちの文化をどう守り、生き抜いていくかというのが、最大の関心事です。そこに、私たち日本人が忘れてしまった、教えることの本質、学ぶことの本質が見えてくるような気がしています。

小林(新保)敦子(こばやし=しんぼ・あつこ)/早稲田大学教育・総合科学学術院教授

石川県生まれ。1987年東京大学教育学研究科博士課程満期退学。同年京都大学人文科学研究所助手。1991年早稲田大学教育学部専任講師、2000年から教授。専門は社会教育。中国における識字教育、少数民族教育、植民地教育史などを主な研究テーマとしている。著書に『生涯学習と地域社会教育』(共著)、『教育における民族的相克』(共著)、『世界の社会教育施設と公民館』(共著)ほか。戸籍上の姓は小林、新保は旧姓。研究者として以前から使っている新保を使用している。

WASEDA早稲田大学研究推進部 http://www.waseda.jp/rps/