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池上 摩希子 略歴はこちらから

「生きる力」「考える力」を身につけるための日本語教育へ

池上 摩希子
早稲田大学大学院日本語研究科准教授

中国帰国者の日本語教師として

 私の専門は、第二言語としての日本語教育です。大学卒業後、国立国語研究所が開いていた日本語教育の長期研修コースで1年間学び、日本語教師としての20年余りの社会人経験を経て、現職に就きました。国立国語研究所で研修を受けていたとき、中国帰国者定着促進センターという、中国残留孤児とその家族の方々の日本への帰国定着を支援するセンターが開所して、夏休みにアルバイトに行く中で仕事がとてもおもしろくなり、そのまま日本語教師として就職しました。

中国帰国者・サハリン帰国者支援ホームページ「同声・同気」(中国帰国者定着促進センター 教務課運営)
http://www.kikokusha-center.or.jp/

 センターの支援対象は、中国帰国者の中でも国費で帰国されてきた方々で、成田空港からリムジンバスに乗ってまっすぐにセンターに来て、日本での最初の半年間をここで過ごします。「定着促進」という名称のとおり、これからの日本での生活にソフトランディングする、困った状況になってもなんとか乗り切っていける、いろいろな不安をできるだけ軽減する、そして日本の地域社会に自信と意欲を持って入っていけるようサポートすることが、センターの使命です。

 センターで学んだことはたくさんありますが、なかでも重要なことは、教育に「即効性を求めない」ということです。どれだけ単語を覚えたか、文法を学んだか、すらすら話せるようになったかといったことももちろん重要ですが、もっと大切なことは、第二言語を使う環境の中で、きちんと「生きる力」「考える力」を発揮していけるかどうかということです。

 例えばセンターの子どもたちは、これから日本の学校に入って、日本語のハンディを持ちながら、理科や社会や算数を学んでいかなければならない。そのとき必要となるのは、日本語を使って類推する、類推したことを順序立てて説明し、それが相手に伝わっているかを確認しながら、もう一度自分の中で組立て直すといった、思考やコミュニケーションの能力です。子どもたちは吸収が早いですから、日本語をどんどん覚えて、結構しゃべれるようにはなる。でも表面的にことばを操れるからといって、認知的にも伸びているかどうか。この点を見落とすと、思うように教科学習が進まない、自己表現できないといった葛藤をずっと抱えてしまうことになります。

 センターでは、みんなでオタマジャクシを飼ったり、朝顔を育てたりといった、子どもの興味に沿った文脈で日本語を学んでいくことに力を注ぎました。子どもたちの発達にとって、実は半年という研修期間は短くありません。半年間、学校に通わず、同世代の集団から切り離された生活は、年齢相当の認知的な活動からも乖離した環境です。そこで、近隣の学校にお願いして体験入学をさせていただいたり、さまざまな試行錯誤を重ねてきました。

「移動する子どもたち」という問題

 この20年間、中国帰国者の方々の状況は大きく変わりました。私が取り組んだ当初の1980年代と今では、中国の社会的経済的な状況も大きな変化を遂げています。以前は、日本への「帰国」は、長く暮らした中国の生活をすべて捨ててくることを意味し、財産はすべて整理してきた。それが今では、帰国の際にも長男家族は連れてきたけれど、次男家族は中国に残してきてときどき行き来するといった、自分に合った柔軟な「帰国」のかたちも見られるようになっています。

 その一方で、日本の在住外国人をめぐる状況も、めまぐるしく変化しています。最近の不況で、リストラされて生活に困っている人たち、帰国するにも航空券を買うお金がなくて帰るに帰れないという厳しい状況におかれている人たちも、少なくありません。子どもたちの就学状況にも大きく影響します。よりよい仕事を探して移動する、あるいは失職して社宅を出なければならなくなれば、安い公営住宅を探して移動するといった具合です。

 それに伴って、子どもたちも頻繁に転校しなければなりません。学習が時間的空間的に分断されることで、子どもたちの日本語学習にも影響が出ます。こうした子どもたちはある地区に集中することが多く、実際データを見てみると、愛知や静岡などでは、ひとつの学校に在籍する外国人の子どもたちの流出入率が非常に高くなっている地域があることも分かります。学校や教員にも日本語教育への理解が求められます。

 こうした状況も背景に、2007年に「年少者日本語教育学を考える会」という研究グループで「〈移動する子どもたち〉の言語教育―ESLとJSLの教育実践から」という国際研究集会を、本学の国際会議場で開催しました。ビジネスのグローバル化で海外の転勤を重ねる親と一緒に世界各国を移動する子どもたちがいる。その一方で、日本国内や同じ県内で地域を転々とする在日外国人の子どもたちがいる。こうした移動する子どもたちにとって、先ほど言ったように、移動によって学習が分断されることで、必要なことばの力がつかないということが深刻な問題になってきます。

子どもたちの発達という面から、日本語教育をきちんと捉え直さなければ、この問題は解決しません。言語習得の効率性からだけ日本語教育のプログラムを考えるのではなく、人間としての発達と学習という面から、日本語教育を捉え直す必要があります。ことばを使って自己表現ができるということが、社会的な自立を可能にしていく――それによって、子どもたちが「貧困の再生産」というループに組み込まれることも食い止めることができるのです。

2007年の研究集会、「〈移動する子どもたち〉の言語教育―ESLとJSLの教育実践から」は、本にまとめられた

 最近、本学では「留学生8千人計画」を打ち出して、海外からの留学生を増やそうという動きがあります。本学の日本語教育研究センターでは、留学生への日本語教育を行っていますが、大学側の意識が「大学の講義を受けるのに必要な日本語を覚えてもらってから大学生として扱おう」という姿勢であったら、それはまずいと感じています。

 多くの留学生を受け入れるには、大学教育と日本語教育が一体化した新しい体制を整えていくことが必要です。教員も学生も意識を変えて、留学生を人間として学生としてまるごと受け入れたい。今は、日本語教育への理解をもって、共に学習環境をつくりあげていこうとする姿勢が問われていると思います。国際化、グローバル化を進めることは、すなわち非効率性を受け入れることだと覚悟しなければなりません。

ゼロから教室を創る「わせだの森」

「わせだの森」実施風景

 大学院の私の研究室では、半年間でゼロから日本語教室を創りあげる「わせだの森」という試みを、学生たちに実践してもらっています。学習者をどうやって集めるのか、どんなチラシを作ってどこに置くのか、どんな人たちを対象にするのか、すべて学生たちに決めてもらいます。私は横から、「だれも来なかったらどうする?」とか「100人とか来ちゃったらどうするの?この部屋に入りきらないよ」などと口をはさんで、揺さぶりを入れています(笑)。

 みんなで話し合って、チラシを作って、区役所やレストランなどに置いてもらい、どきどきしながら初日を待つ。するとやっぱり、いろいろな人が来る。日本語のレベルもさまざまです。クラス分けなんかできませんから、どうやって一人ひとりのレベルに対応していくのか、会話の輪から取り残されちゃった人がいたらどうするのか…、問題は山積です。

 しかし、日本語教育とは何かを考えるうえで、こういう問題をひとつひとつ議論し、解決策を考えていくこと、そして自分ひとりだけの力では絶対にできない、誰かと協働して初めて教室が実現するということを知るのがとても大事です。

研究室ゼミ風景

 大学教員になって、講演など学外での活動にも積極的に取り組むようにしています。地域の日本語ボランティアの人たちに講演をするとか、教育委員会などの要請で先生方を対象に講演やワークショップを行うといったことが多いのですが、これは、日本語を学ぶ人を受け入れる日本社会という環境をもっと整えていこうという働きかけにつながると考えているからです。日本語教育は日本語学習者のためだけのもの、ではないのです。

 日本では、「移民庁」の設置に関する議論なども近年行われていて、いかに学校で子どもを受け入れるか、雇用を確保するかといったことも大切ですが、地域が家族を受け入れていけるような環境を創っていけるのか、どのようなプログラムやシステムがあればいいのかを、しっかり考えていかなければならないでしょう。私が経験してきたことが、そのために役に立つといいと思っています。

 まず何よりも、日本語教育とは何かについて、多少なりとも分かっている人を社会に増やすことが大切です。日本語教育が分かる学校教師、自治体の職員、企業の社員などが増えれば、外国人や移民の方々も、日常生活の中で、勉強や仕事に取り組む中で、同時に日本語を学んでいくことが、もっと自然にできるようになる。そのためにも、大学院で学生たちと日本語教育について考えること、その院生たちがいろいろな職場に就職して活躍してくれることがとても大事なことだと、あらためて感じています。

「にほんご わせだの森」ホームページ http://space.geocities.jp/waseda_no_mori07/

池上 摩希子(いけがみ・まきこ)/早稲田大学大学院日本語研究科准教授

津田塾大学国際関係学科卒業、国立国語研究所での日本語教育研修を経て、1985年より(財)中国残留孤児援護基金中国帰国者定着促進センター教務課に日本語講師として勤務。1996年、お茶の水女子大学大学院日本言語文化専攻修了。日本言語文化学修士。2005年より現職。(財)中国残留孤児援護基金中国帰国者定着促進センター非常勤講師。日本語教育学会大会委員(1999~2003)、同学会教師研修委員(2003~2008)、学校教育におけるJSLカリキュラムの開発に係る協力者会議本会議委員(文部科学省平成13・14年度「学校教育におけるJSLカリキュラムの開発」事業)などを歴任。共著書に、『「移動する子どもたち」のことばの教育を創造する』(2009)、『異文化適応と日本語教育 Ⅰ体験学習法の試み』(1991)ほか

WASEDA早稲田大学研究推進部 http://www.waseda.jp/rps/