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研究力

▼知の共創―研究者プロファイル―

藪野 健 略歴はこちらから

過去へ未来へと思いをはせて
“いまはない”都市を描く

藪野 健/早稲田大学芸術学校教授・画家

早稲田の自由な空気に学んで

 父が画家(藪野正雄)だったのですが、私の中学の時の美術の成績は5点評価の3(笑)。これはもう自分は美術の道へは進まないぞと思っていましたが、やはり魅かれていたんでしょうね。大学受験の時期に、展覧会で金山康喜、須田国太郎という2人の画家の作品を見る機会があって、「絵画というのは、とても可能性がある表現だな」と強く感じさせられました。

 当時は、建築や自動車の設計に興味があって、理工系の学部を目指していたんですが、建築は構造施工や建築基準法などの現実の制約があるけれど、絵画ならどこへでも行けるし、どの時代にも行けるし、誰にでも会える、これはきわめて自由でおもしろいことだと思いました。これをきっかけに進路を変更して、早稲田大学に進学し美術史を専攻したのです。

2008年度日本芸術院賞を受賞した「ある日アッシジの丘で」。ありし日のアッシジに思いをはせつつ描いた大作。手前のほうには藪野教授の現在の家族や、亡くなった父親の姿も描き込まれている。(http://www.waseda.jp/jp/news09/090617.html

 本格的に絵を描き始めたのも、この頃からです。この2人の画家はどちらも芸大や美大出身ではなくて、寄り道をしてから画家になっています。金山康喜は東大の経済学部出身だし、須田国太郎は京大の哲学科で美術史を専攻していました。この出会いが、自分の人生に決定的な影響を与えてくれたような気がしています。

 大学では美術史を専攻していましたが、都市や建築への興味が強かったので、恩師の安藤更生先生が、「君、それなら理工学部の先生を紹介しよう」と言ってくださり、理工学部建築学科の池原義郎先生に指導を仰いで、建築史で卒論研究に取り組みました。そのほかにも、建築学科の今井兼次先生、武基雄先生、政治経済学部にいらした美術評論の坂崎乙郎先生といった方々に、様々なことを教えていただきました。早稲田の自由な空気の中で、学部の壁を超えてたくさんの素晴らしい先生方に師事することができて、本当に恵まれていたと思います。

 大学院を修了して、スペインへ1970年から71年に留学しました。当時は海外渡航が珍しい時代だったので、誰か行くとなると羽田にみんなで見送りに行ったものですが、私のときにはひときわみすぼらしいエンジ色の旗を振っている一団がいまして(笑)、これが自分を見送りにきた早稲田の先生や仲間でした。そのとき恩師の安藤更生先生がご病気で、私がスペインに行っている間に亡くなったのですが、そんな身体を押してわざわざ来てくださり、学生たちに支えられながら温かく見送ってくださったことを今でも鮮明に覚えています。

芸術とは生きるための装置

藪野健著『プラド美術館―名画に隠れた謎を解く!』(中央公論新社、2006年)
プラド美術館を「自分の人生を変えた場所」という藪野教授が、数々の名画を自ら模写しながら、その時代背景、登場人物、構図、技法、隠されたテーマなど“7つの謎”を考察。

 スペインでは、プラド美術館でベラスケスやゴヤをはじめ、膨大な量の絵画作品を見て、根底から考え方の違うものに出会ったという衝撃がありました。他の国ではあまり見られないような、暗さと重々しさに満ちていて、宗教的な知識がないと読み解けないような難解な図像とか、サイズの巨大さなどで、なにかこう見る者に格闘技を挑んでくるような、圧倒的な存在感がある。しかも極めて高いテクニックがあって揺るぎがない。このスペイン絵画の力は凄いと思いました。

 例えば、ゴヤの「黒い絵」と呼ばれる14点のシリーズは、ゴヤが死に際で描いたもので、「我が子を食らうサトゥルヌス」をはじめ、地獄絵と言ってもいいようなおどろおどろしい作品が並んでいます。70歳を超えて病床に就いたゴヤは、もう今日死ぬか明日死ぬかと言われていたのに、やおら筆を手にして、当時住んでいた家の壁に這うように描き始めたと思ったら、それから3年ほどもかけて家中の壁に大作を書きまくったんですね。描くにしたがって、食欲がもりもり出てきて、肉をがつがつ食べて、ワインもがんがん飲んで、凄いエネルギーを取り戻したらしいです。

 これらの作品を見て、まさに「ものを創り出すとういことは、生命を生かすための装置だ」ということをゴヤが体現したのだと思いました。当時のスペインは、ナポレオン侵攻と悲惨な内乱を経験し、「生き死に」の残酷な現実を直視させられて、それがこうした作品へ表現されていったのではないかと思います。

スペイン絵画に魅せられる一方で、スペインの都市にも関心がそそられました。スペインの街並みは内乱でかなり破壊されて、マドリードなんかも壊滅的な状態だったんですね。それを莫大な資金を投じて、戦前の街並みを徹底的に復興することを目指してきた。このエネルギーと情熱には驚愕しました。都市が好きで、スペインへ行く前も東京の街並みをぐるぐる歩き回ったりしていたんですが、マドリードの都市再生への取り組みを見て、「日本はいまだバラックのまま、戦争で壊された街の上にただ都市を造り続けているだけだな」と思いました。でも、じつはそれがきっかけで、帰国してからさらに東京や地方都市の街を歩き回るようになり、逆に日本の都市の中にも、素晴らしい街並みがたくさん残っていることに気づくようになったんです(笑)。

想像の世界で都市を再生する

 大学院を終えてからは、大学で芸術論を教えながら、画家として絵を描くというかたちで、今日までずっと一貫したペースで活動してきました。ともかく都市を歩いて、街を描くという作業を、40年近くずっと続けてきています。描いたスケッチはべらぼうな量になっていて、研究室も自宅も作品で溢れかえっており、日々増える一方です(笑)。

都市を描いた膨大なスケッチの一部。歩いた街の絵には、必ず食べたものやコメントを描き込む。

 街歩きをしたときは、建物と一緒に、必ず食べたものや見かけたものについても、スケッチとメモを描き込んでおく。そしてどこを歩いて、どこを描いたか、絵地図のようなかたちにします。建物も、生活も、すべて都市を構成する要素として観察し、描いているという感覚なんです。

 東京を歩いてみると、この街にはものすごく分厚い構造があることに気づかされます。例えばパリの街が、建物で囲まれたパサージュや中庭があってという二重構造だとすれば、東京は三重、四重になっていて、表から見えないところにもう1つまったく別の町が表れたりする。戦前の町、戦後の町、さらに江戸の町の感じも残っていて、この多重に入り組んだ感じが東京の魅力だと思います。

 私にとって都市を描くことの最大の醍醐味は、実際にその場所に行っても、そこにはすでにないもの、かつてあったものを、自分の想像の世界で創り出すことです。芸術院賞をいただいた「ある日アッシジの丘で」も、描いているのは自分が行きたかった時代のアッシジの街並みです。

 この次に描こうと思っているのが、ベラスケスがセビーリャからマドリードに来て、宮廷画家として国王の絵を描いていて、今まさに国王がベラスケスのところから帰っていった、そういうシーンです。現在はもうない当時の宮殿を想像して、デッサンを繰り返してイメージを練っています。――そういう作業は、なぜか山手線の中とか、電車の中が進みます(笑)。

 それからもう1つ、ぜひ近いうちに創ってみたいと思っているのは、見たことのない都市を旅する本です。かつて歴史上に存在したのだけれども、今はもうなくなってしまった。そういう街を想像の中で歩き回り、地図にして、街並みを描き、暮らしをのぞきみる、そんな本です。

学生の意欲と科学技術を結合させる

早稲田大学のロボット研究プロジェクト「ワボット」のメンバーと藪野教授の合作、『ワボットのほん』シリーズ。堅くなりがちな研究紹介が、藪野教授の温かな目線と画風のもとで物語性豊かな絵本に仕上げられている。

 早稲田大学のキャンパスは、日本の大学の中でも傑出して素晴らしいものだと思います。大隈講堂の天井中央明かりとりには、太陽があって、月があって、小さな照明がぜんぶ星になっている。聖なるもの、永遠なるものが学生たちを見守っているというイメージです。決して大隈重信候ではなくて、学生こそが早稲田の主人公だということのシンボルだと思うんですね。

 それから大隈講堂には塀がない、門がない。ふつうの喫茶店とかと並んでいるのが凄いです。面白いのは、配置がシンメトリーじゃない。大隈講堂の位置が、メインキャンパスの大隈重信候の像から正門へ続く道の軸線から見て、斜めに30度振られているんですね。まるで結界のようで、これもほかの大学にはない、シンボリックな特徴です。早稲田の人って、建物をあまり自慢していないですよね。もったいないです。もっと誇りにしていいと思います。

かつての早稲田大学校舎の風景

 大学では今、総合機械工学科の先生方と学生と一緒になって、今までにないものを創り出す、発明するということについて取り組んでいます。ひとつには、ビジュアル・シンキングという講義を担当しています。ものを創ったり組み立てたりということに実際に手を動かして取り組むことで、豊かな発想や表現を身につけようというユニークな講義です。理工学や政治経済学において、芸術はコミュニケーションや発想の点でとても大切なものです。

大隈講堂のドームを描いたスケッチ。天上の太陽を指さす藪野教授。

 ただ工学の技術を身につけて、右から左へものを組み立てるようなことだけでは、新しいものは生まれません。自分自身の内面からものづくりへの意欲にかりたてられ、自分の中にある豊かな記憶を総動員して、新しいものを発想していく。そこに科学技術が結合されて、初めて何か新しいものを創造することができるんじゃないか、そのように私は考えています。基幹理工学部に、科学技術と芸術・デザインの融合を目指した表現工学科がありますが、こうした新しい拠点での取り組みの中から、新しい人材を育てる夢を実現したいと思っています。

藪野 健(やぶの・けん)/早稲田大学芸術学校教授・画家

1969年早稲田大学大学院文学研究科修士課程修了。サン・フェルナンド美術学校(スペイン)プロフェソラード留学。武蔵野美術大学教授を経て、1999年より現職。創造理工学部総合機械工学科(ヴィジュアル・シンキング)、政治経済学部(芸術論)、第二文学部(建築文化論)、基幹理工学部(芸術表現論)で教鞭を取る。二紀会常任理事。主な絵画作品に、「ジオルジオ・君の歌がきこえる」(本学中央図書館2階)、「僕の小学校」「ある日アッシジの丘で」。日本芸術院賞(2008)、二紀展文部大臣賞(1991)、安井賞展佳作賞(1978)、シェル賞展3等(1978年)ほか受賞。著書に『明治建築の旅』『たてものをかく』『東京2時間ウォーキング』『パリ2時間ウォーキング』『絵画の着想』など多数。

WASEDA早稲田大学研究推進部 http://www.waseda.jp/rps/