早稲田大学の教育・研究・文化を発信 WASEDA ONLINE

RSS

YOMIURI ONLINE

ホーム > 研究力 > 知の共創―研究者プロファイル―

研究力

▼知の共創―研究者プロファイル―

池田 清彦/早稲田大学国際学術院教授 略歴はこちらから

生物進化の鍵を握る
「構造」「文脈」「システム」を探る

池田 清彦/早稲田大学国際学術院教授

構造主義生物学者と呼ばれて

 虫好きの生物学者である私が、進化生物学の論文を書くようになったきっかけは、ネオダーウィニズムを極端に推し進めた進化論――「社会生物学」はインチキではないかと思ったからです。欧米では1970年代にドーキンスの利己的遺伝子論などが出てきて、社会生物学はセンセーショナルに広がりました。1980年代に入ると日本の学者たちもこの動向に影響されて、「今西錦司も、もう時代遅れだ」などと言い始め、社会生物学は広く受け入れられていきました。

 あまのじゃくな私は(笑)、みんなが社会生物学にどっとなだれ込んでいくのを見て、これはやばいんじゃないのかと思い始めたのです。そこで自分なりに考えたり、社会生物学に反対する文献を読んだりしながら、1985年に『生物科学』という学術雑誌に、問題提起の試論を発表しました。

 この論文では、ゲノムというのは遺伝子がただ連なっているだけではなくて、構造化されているんだ、上部構造と下部構造があって、遺伝子をコントロールしている遺伝子があるんだという説を展開しました。社会生物学の言う遺伝子だけでは進化は説明できない、ある構造のもとで遺伝子の発現が安定化したり、不安定化したりを繰り返す中で、生物が進化していくのではないかと考えたわけです。

 論文を読んだ柴谷篤弘さん(生物学・分子生物学者、京都精華大学名誉教授)が、すぐにコンタクトを取ってきて、「来年、日本に世界中から学者を集めて、構造主義生物学の国際シンポジウムというのをやるから、あなたも参加しなさい」と言ってくれた。内心、「構造主義生物学ってなんだ?」と思いながら、1986年に大阪で開催されたシンポジウムでこの話を発表しました。

『構造主義生物学とは何か』(海鳴社、1988)

 構造主義生物学というのは、柴谷先生や何人かの海外の研究者たちが言い出したものですが、当時は自分の考えていることが構造主義生物学と呼ばれる領域のものだという認識はまったくなかった。世の中では、「構造主義生物学は、日本では池田清彦が言い出した」とか言われているようですが、それはこのシンポジウムの後に、柴谷先生に頼まれて『構造主義生物学とは何か』という本を書いたからでしょうね。

 個人的には、「構造主義」といういかにも思想的な響きがあまり好きじゃないのですが……(笑)。柴谷先生の考えには共鳴するものがありました。その後、柴谷先生が編纂したエディンバラ大学出版局から出た本でも1章書かせてもらいましたが、これが世界的な科学雑誌『ネイチュア』誌上の書評で、プリンストン大学のJ.T.ボナーに「明晰さの手本のような論文だ」と評価されて、自分でも驚きました。

 実際のところ、私が提唱した安定化中枢説という仮説自体は今のところ実証されてはいないのですが、ゲノムが構造化されていることは本当で、近年、遺伝子をコントロールするDNAの存在が明らかにされています。ゲノムには遺伝子を抑制する 「RNA干渉」と呼ばれるシステムがもともと組み込まれていることを、米国のファイアーとメローが明らかにして、2006年のノーベル生理医学賞を受賞しました。ゲノムは構造化されているというわれわれの考えは基本的な方向としては正しかったと思っています。

進化の鍵は「システム」にある

 自然科学は長い間、「還元主義」という考え方に支配されてきました。全体は部分に還元して説明できるとか、上位にグランドセオリーがあって、下位の現象はすべてこのグランドセオリーに支配されているというのが、還元主義の考え方です。物理学や化学は、この考え方のもとで一定うまく発展してきたのだけれども、ところが生物学の場合はどうもうまくいかない。要素が複雑すぎて、グランドセオリーのような統一的な理論でうまく記述することができないのです。

 1990年代までは、遺伝子さえ分かれば、あとはすべてそれで決まってくる、発生や生態、行動、進化まで、生物のすべてが遺伝子で説明できるのだと思われていました。還元主義的な考えのもとでは、遺伝子そのものを解明することが重要だったのです。ところが2000年を過ぎた頃から、遺伝子だけでは何も分からない、むしろ遺伝子がどういうシステムの中でどういう働きをするのかという、細胞の中のコンテクスト(文脈)の方が重要だということが分かってきました。

『38億年 生物進化の旅』(新潮社、2010年)
生命38億年の歴史を辿り、様々な現象を具体的に例示しながら、遺伝子の突然変異や自然選択や遺伝的浮動といったネオダーウィニズム的理屈では読み解けない、進化の仕組みの本質を説く。

 例えば、通常とは異なる高温の環境に生物が置かれると、たんぱく質が変質して遺伝子の発現に変化が起きうる。このような環境変化が一過性で終わらず、恒常的に続いて変化が固定化されれば、大きな進化につながる可能性があります。しかし、アザラシやクジラが、どのようにして四つ足の哺乳類から、今のような足のない水中動物の形になったのか、そこにどんな発生システムの変化が起きたのか。これを説明するのはなかなか難しい。

 この場合、四つ足の動物から足のない子どもが生まれるという変化が継続的に起きると同時に、以前から水際で生活していて、徐々に陸から海へと移行していけるような環境にあったことと、両方が揃わないと考えにくいです。言い換えれば、従来の進化論のような“受動的な”突然変異と自然選択だけでは、こうした進化は説明できない。生物が環境に“能動的に進出”していったと言ったほうがふさわしいのだと考えます。

 生物の発生や進化にどんなシステムが関係しているのかは、今はまだ机上のシミュレーションで仮説を出して理論化するしかないのですが、あと50年もすれば、実験で実証できるようになるのかもしれません。試験管の中で遺伝子と細胞のシステムを操作して、人工的に進化を起こしてみる――「実験進化学」とでもいうべき新しい研究領域が形成されることになるのでしょう。

 有史以来の生物についても、すでに環境の激変などが生物の進化に影響していることは分かっていますが、さらに「環境の激変で、細胞のコンテクストがこう変わって、こんなバイアスがかかったから、ゲノムの発現がこう変わったんだ」と、緻密な説明ができるようになるし、環境変化と関係のなさそうなものについても、様々な説明ができるようになるでしょう。

 以前は、遺伝子組み換えの実験は、生物兵器になるような細菌が生産されるなんてことが危惧されて厳重な規制下で行われてきました。しかしいろいろやってみた結果、大腸菌の遺伝子をいくら組み換えても大腸菌しか作れない、種を超えるような進化などは起こせないということが分かってきた。規制はぐっとゆるやかになって、学生がオープンスペースで日常的に遺伝子組み換え実験をやれるようになっています。

 しかし、遺伝子の発現をコントロールする細胞のシステムが明らかになってきて、このシステムが人工的に操作できるようになった時に、種を超える進化を実験で起こせるようになるかもしれない。その時もう一度、倫理的な観点から規制をかけることを考える必要が出てくるのでしょう。

共通了解が見出しにくい生物多様性

 最近は、生物多様性の問題にも関心を持っていて、大学の講義でも環境問題や生物進化、途上国開発の問題などを絡めながら教えています。生物多様性という言葉は、1986年にW.G.ローゼンという人が提示したもので、学術的な根拠のある言葉ではなくて、野生生物の保全を訴えるためのキャッチフレーズとして作られたものです。

 生物多様性では、「種の多様性」「遺伝的な多様性」「生態系の多様性」が3つの柱とされています。しかし問題は、この3つが互いに相矛盾する側面を持っているということです。例えば、外国から固有種に近い品種が入ってきて、混血を起こすとしましょう。種の多様性を守るという点では、混ざらずにそれぞれの種が守られた方がいいけれど、種のサバイバル戦略という意味では、混血して遺伝子の多様性を保全した方がいい。ここでもう矛盾があるわけです。

 生態系の多様性という点からみると、混血がどんどん進んで生態系が均一化していくとすれば、これはあまり好ましくない。――といった具合に、生物多様性とひとくちに言っても、何を大事にするかによって意味がまったく変わってくるので、話がこんがらがってしまう。生物多様性についての共通了解がないままに議論されていることが多いのです。

環境省による「生物多様性」ホームページ
(環境省自然環境局自然環境計画課 生物多様性地球戦略企画室)

 日本のトキが絶滅してしまって、いま中国からトキを連れてきて放そうとしています。これももっと早くからやって混血種のトキが出来ていれば、たとえ純血種としての日本のトキが絶滅しても、日本のトキの血統は多少とも守られていたでしょう。どういう角度から「生物多様性」を守るかで、取るべき戦略がまったく変わってくるのです。

 生物多様性に関する国際条約として、1992年のリオ宣言というのがありますが、じつは米国はこれに批准していません。というのも、「生物多様性によって得られた利益を公正に分配する」という内容が、米国を中心とする多国籍企業の利益――途上国で採取した種のDNAなどに知的財産権を設定して儲けようという目論見に反するからです。

 これに対してコスタリカのような国は、逆に種を採取する海外企業に、あらかじめ「利益の幾分かはコスタリカに支払う」とする契約にサインさせてから入国させている。これは本当に賢い戦略だと思います。自然森を焼き畑化してしまうことが途上国の問題だったわけですが、これなら森林が利益も生むし、森林保全にもつながる、一石二鳥の戦略です。このように生物多様性と知的財産を結びつけるところに、途上国の新しい経済発展の芽があるのかもしれません。

池田 清彦(いけだ・きよひこ)/早稲田大学国際学術院教授

1947年生まれ。1971年東京教育大学理学部生物学科動物学専攻卒業、1977年東京都立大学大学院理学研究科博士課程単位取得満期退学、理学博士。高校教諭、山梨大学講師、同・助教授、教授を経て、2004年より現職。1993-1994年 オーストラリア博物館 客員研究員。専門は進化生態学、生物多様性、環境・生態論、科学社会学。エッセイストとしても活躍、多数の著書がある。著書に『38億年 生物進化の旅』『環境問題のウソ』『分類という思想』(以上単著)、『正義で地球は救えない』『ほんとうの環境問題』(以上養老孟司と共著)、『三人寄れば虫の知恵』(養老孟司、奥本大三郎と共著)など。

WASEDA早稲田大学研究推進部 http://www.waseda.jp/rps/