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研究力

▼知の共創―研究者プロファイル―

大髙 保二郎/早稲田大学文学学術院教授 略歴はこちらから

スペイン美術の魅力と奥深さを
常に新鮮な目線で捉え続ける

大髙 保二郎/早稲田大学文学学術院教授

現代美術からスペイン美術へ

 小さい頃から絵を描くことが好きで、画家への憧れはありましたが、大学に進学する時に美術史という学問があることを知り、興味を持ちました。当時は美術史なんて仕事にもならないし、お金持ちの道楽くらいにしか思われていなかったのですが、両親は「美術史はこれからの新しい分野だから頑張りなさい」と理解を示してくれて、早稲田大学の第一文学部美術史専修へ入学しました。

 当時の文学部では、英文、仏文、心理学などが花形で、美術史はどちらかといえば地味な存在でしたが、一風変わった面白い連中が集まっていましたね。エジプト研究の吉村作治先生も同級生で、1年生の時から「エジプトに行くぞ」と叫んでいました。学生のうちに自分で調査団を組織して、企業をまわって寄付を募ってと、情熱を傾けて取り組んでいましたね。そんな仲間が集まって、みんなでわいわいやっていました。

 卒業研究では、現代美術をテーマに、当時まだ存命だったピカソを題材にしました。本格的にスペイン美術へと関心が移るきっかけとなったのは、1968年のヨーロッパ旅行です。ビザンチン美術を専門とする高橋榮一先生(故人)が、ソビエト連邦から東欧、ギリシャへと3ヵ月もかけて巡る本格的な調査団を初めて組織され、大学院修士課程1年だった私もその末席に入れていただいたのです。撮影機材を運んだり、データを取ったりといった研究補助的な作業を担当しました。

《ラス・メニーナス(女官たち)》1656年/国立プラド美術館所蔵

 調査終了後、現地で解散し、イタリア、スペイン、フランスを1ヵ月間かけて回りました。各地の美術館を訪れた中で、マドリードのプラド美術館でのベラスケスの作品《ラス・メニーナス(女官たち)》との出会いに衝撃を受けました。それ以前から、指導教員の澤柳大五郎先生(故人)に、現代美術もいいけれど、古典的な美術史をきっちりやっておくべきではないかと、アドバイスをいただいていました。作品を実際にこの目で見て、その存在感に驚くとともに、やはり若いうちにこそ古典をきちんとやっておこうと決意し、修士論文は「ベラスケスの肖像論」としてまとめました。

 もう1つの大きな転機は、スペイン美術を専門とする上智大学の神吉敬三先生(故人)との出会いです。博士課程に進んだ頃、折しも1971年にゴヤの大きな展覧会が日本で開催されました。この時、神吉先生が第一人者として活躍されていて、研究室を訪ねてお話をさせていただいたところ、快く指導を引き受けてくださることになりました。以降、神吉先生から多くのことを学びました。

マドリード大学での3年間

 1973年から76年にかけて、国立マドリード大学の博士課程に留学した経験は、スペイン美術、バロック美術の研究者としての自分を形成する原点となりました。スペインは、17世紀にバロック的な美術や文化が流行した拠点の1つです。このバロックはカトリック信仰と強く結びついていて、16世紀後半にカトリック信仰が高まってくるのと呼応するかのように、バロック美術が高まりを見せました。日本にもザビエルなど、宣教師が盛んにやってきた時代です。

 3年間、がむしゃらにスペイン語を学び、美術館に通って飽きるほど作品を鑑賞し、図書館や王宮の史料室で、現地でしか見られない資料を読み込むことに没頭しました。スペインのアーカイブは非常によく整備されています。歴史に対する執着がとても強くて、歴史をとても大事にする国民です。それに比べると、日本はこだわりが強くなくて淡泊すぎるというか、水に流して忘れてしまう国民性なのだと思わされましたね。

 留学した当時は、現地に行かなければ、どのような資料がどこにあるのかも分からなかったのが、今は昔と違って、津々浦々にまで情報が行き渡っています。インターネットで調べれば、なんでも分かるような時代になりました。それでもやはり現地に行って、歴史を育んだ空気に触れ、現地の人間と付き合い、食べ物の臭い、街の臭いを嗅いで…、その地の文化、風土にどっぷりと浸かることで初めて見えてくるもの、理解できるものがあると思います。余談ですが、最近の学生は、私たちの時代のように「行かなければ」「見なければ」という切迫感や憧憬が薄くて、一生懸命勧めるのですが一向に行きたがりません。とても残念に感じています。

 マドリード大学での博士課程の後、どこを活動の拠点としていきたいかを考えたとき、ヨーロッパの最前線で学術研究を究めていく道もありましたが、しかし、やはり自分は日本で仕事をしていきたい、日本を拠点として、ベラスケス、ゴヤ、あるいはピカソといったスペイン美術の研究や、日本での教育や啓発のための活動に地道に取り組んでいくことにも大きな意義があるだろうと考えました。日本に戻り、研究論文や本を書いたり、美術展の企画、広報、学芸活動にかかわったりするなかで、今日まで様々なかたちで成果をまとめ、研究者としての自己実現を成し遂げてきたと思っています。

ゴヤの手紙を新たな視点で編纂

 バブル崩壊以降、右肩上がりの経済成長だけではない時代に入って、日本人の美術に対する目も肥えてきて、単に有名な絵を持って来るだけでは満足できなくなっている。作品や作家の知られざる一面を紹介していくとか、欧米の知見をそのまま持って来るのではなく、日本人にとっての意味や楽しみ方を考えるなど、視点を変えて提示することが重要になっています。成熟した日本人が納得し、満足できるようなテーマで展覧会を企画していかないと、なかなか人は来てくれません。これは大きな変化です。

 2011年には、翻訳と注釈を手掛けた本『ゴヤの手紙』(2007年)を大きな理由に、会田由翻訳賞(日本スペイン協会主催)を受賞しました。1980年代頃から、ゴヤが書いた様々な手紙が残っているのを見て、これを訳したいと思ってきました。ゴヤの手紙に関する文献はあるのですが、例えば宮廷画家としてのゴヤの手紙、親しい友人との間で交わされた手紙など、異なるテーマでばらばらに編纂されています。そこで『ゴヤの手紙』では、それら全体を俯瞰して、一般読者の方々にも興味を持っていただけるよう、ゴヤの生涯をたどり、作品や芸術性と関連づけながら、編纂し直しました。

『ゴヤの手紙:画家の告白とドラマ』大髙保二郎、松原典子 編訳(岩波書店、2007年)

優れたスペイン語訳・日本語訳の訳者に贈呈される歴史ある賞「会田由翻訳賞」を2011年11月に受賞した

 さらに、注釈をたくさん付けました。ただ手紙の原文訳を読んだだけでは、どういう関係の相手で、何のことを言っているのかさっぱり分からない。そこで、それぞれの手紙が書かれた背景や、書かれていることの深い意味などについて、注釈を付けて解説しています。手紙の中には、友人同士での隠語のような表現など、研究書を見て初めて意味が分かること、18世紀当時の生活習慣、社会構造などを把握しないと分からないことがたくさんあります。例えば、男同士で「一緒のベッドで寝ないか」といった、同性愛のような表現が出てきますが、この時代にはこういう軽口がよく使われていたりするわけです。

 断続的に資料収集、文献の読み込みはしていましたが、近年になってゴヤの手紙についての研究が進んだこともあり、「今ならできるかな」と最終的な準備期間として4年間をかけて集中して作業を行い、2007年に刊行することができました。率直に言って私としては、たいへん意義のある仕事ができたと思っています。「ふーん、ゴヤってこんなことを考えたり、言ったりしていた人なのか」と思って、作品を見ていただければ、また新しいゴヤの姿が浮かんでくるかと思います。

ビビッドな感覚を保ち続ける

 つい先日、青天の霹靂で原因不明の激烈な腰痛を発症し、なかなか病名や治療法が分からなかったのですが、幸運なことに早いうちに手術をすれば完治することが分かり、大変な手術ではあったのですが、無事治療を受けて普通の生活に戻ることができました。何日もの間、病院のベッドに伏せりながら、「これは天の配剤だ。残された余生で自分にできることは何か、真剣に考えろということなのだ」などと、自問していました(笑)。

 これから研究生活の集大成として、いくつかやっておかなければならないことがあります。1つには、ベラスケスについて、新書のような手に取って読みやすいかたちでしっかりとまとめたい。これは、若い頃に出会った作家の堀田善衞先生(故人)からの宿題です。そして2つめはこれまでの自分の論文をまとめて、一冊の本にしたいと思います。

左から堀田善衞先生、1人おいて神吉敬三先生、そして大高教授。マドリードにて、1973年夏

 堀田善衞先生は、雑誌でゴヤについての連載を書かれていて、その資料収集のお手伝いや、現地での作品鑑賞のご案内をさせていただきました。「大高くん、いくら学者とはいっても、論文というものはまず読んで面白いものを書かなければ意味がないんだよ」と言われたのが印象深く心に残っています。学者の自己満足に陥ってはならないという教訓と受け止め、いつも心がけています。スペインを軍事政権で支配していた独裁者フランコが1975年11月に亡くなったときには、堀田先生とスペインのバルで、カーバというスペイン製のスパークリングを開けて乾杯したのを、今でも昨日のことのように思い出します。

 まだまだスペインにも通って、実物を見続けたい。印象とか記憶というのは危ないもので、専門家とはいえ一度見たくらいでは、最初の感覚などすぐに忘れます。自分の精神状態に左右されながら第一印象が固定化していくのが、いちばん危険です。作品から受ける新しい刺激がなくなれば、美術史をやっている意味もありません。常に作品に対するビビッド、瑞々しい感覚を持って生きたいと思います。

大髙 保二郎(おおたか・やすじろう)/早稲田大学文学学術院教授

香川県生まれ。早稲田大学大学院、国立マドリード大学大学院博士課程に学ぶ。跡見学園女子大学、上智大学外国語学部を経て、早稲田大学文学学術院教授。スペイン美術史専攻。著書:『ベラスケス』(中央公論社)、『NHK プラド美術館』(共著)、『エル・グレコ』(朝日新聞社)、『ゴヤ』(小学館)、共・訳書:ファブレ『不滅のピカソ』(平凡社)、ガッシエ『ゴヤ全素描』、『ゴヤの手紙』、シーブラー『ダリ』(以上、岩波書店)ほか。