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研究力

▼知の共創―研究者プロファイル―

新倉 弘倫/早稲田大学理工学術院准教授 略歴はこちらから

アト秒科学の最先端で
分子の中の電子の挙動を描き出す

新倉 弘倫/早稲田大学理工学術院准教授

アト秒科学の前夜

 私は、新しいレーザーや測定装置を開発して、アト秒時間領域の超高速の分子の構造変化や分子内の電子の挙動を調べる研究を行っています。分子は振動運動や回転運動を行っていますが、分子の平均的な回転周期はピコ秒(1ピコ秒=10-12秒)、平均的な振動周期は数十フェムト秒(1フェムト秒=10-15秒)程度の時間スケールを持ちます。アト秒(1秒の100京分の1、1アト秒=10-18秒)の時間分解能が達成されることで、分子の振動や回転運動よりも速く起こる、分子内の電子の挙動や電子分布(波動関数)の変化を調べることが可能になります。

 速い時間スケールで起こる現象を測定するには、レーザーパルスが用いられてきました。レーザーは1960年代に発明されましたが、カメラのフラッシュのようにある一定の時間のみ、瞬間的に光るレーザーをパルスレーザーと言います。カメラのシャッター速度が短いほど、より速く動く物体の運動をボケなく撮影できるように、速い現象を測定するためには、レーザーのパルス幅を短くする必要があります。

 1980年代には、もっとも短いレーザーパルスの幅は10フェムト秒以下までになり、フェムト秒レーザーを用いて、化学反応の追跡などの研究が盛んに行われました。しかしその後、約15年間、測定の時間分解能は1フェムト秒を突破してアト秒領域に到達することは出来ませんでした。

 一方、高強度のレーザーパルスを気相の原子に集光すると、もともとのレーザーの波長(赤外領域)の何十分の1以下の波長を持つ光が発生することが1989年に報告されました。この光は高次高調波と呼ばれ、通常の非線形過程とは異なる性質を持つことから、その機構の解明に注目が集まりました。

 1993年に、カナダ国立研究機構(National Research Council of Canada)のポール・コーカム(Paul Corkum)博士が、三段階モデルと呼ばれる半古典的なモデルを用いて、高次高調波の発生機構を明らかにするとともに、この光を用いることで、アト秒時間領域に到達できることを理論的に予測しました。さらに1997年には、電子ストリーク法という方法で、アト秒のパルス幅を測定する方法を提案し、アト秒への期待が高まっていきました。

光と量子への興味

 私は学部時代には高分子学科に属し、1年生のはじめから物理化学の講義として量子力学を学びました。そこで、巨視的な世界とは異なる、分子などの極微の世界を描写するための物理があることを知り、光と分子や量子系に興味を持ちました。4年生から修士課程までは、物理化学を専門とする研究室に所属し、アントラセン分子などの紫外領域の光励起過程の研究を行いました。

 その研究室には、スイス人などの外国人博士研究員が常に滞在していました。指導教員から「博士号を取得すれば、外国の研究機関で給料をもらって研究できる。そのような博士研究員が、世界の研究を支えている」ことを聞き、「世界で幅広く活躍する研究者」というものに興味を持ちました。そこで、博士号取得が間近になった頃に、ドイツやアメリカ、カナダなどいくつかの国の研究者に手紙を書き、ポスドクとして雇ってくれないかとお伺いをたてました。

 その中で、オタワにあるカナダ国立研究機構のコーカム博士から返事をいただき、2000年から、同研究所に滞在することになりました。最初に、高次高調波を発生させる機構である「電子の再衝突過程」について研究を行いました。これは高強度のレーザーパルスを気相の分子に照射すると、電子(波動関数)の一部が分子からはぎ取られ、いったんは遠くに離れますが、レーザー周期の約半周期後(800nmの場合には約1.7フェムト秒後)に、元の分子に加速されて衝突するという過程です。この過程の結果として高次高調波が発生します。原子ではなく、水素分子を用いると、従来の再衝突過程とは異なる結果が得られることがわかってきました。

 そうこうしているうちに、ヨーロッパの方から、「高次高調波によるアト秒パルス列のパルス幅の測定に成功した」という報告が聞こえてきました。2001年のことです。どうしたものかと思っていましたが、私の実験結果を見ると、どうやら「再衝突する電子」自体も、アト秒領域のパルス幅を持つことを示唆していました。そこで、1990年代にコーカム博士が考えた「高次高調波をプローブとして用いる方法」に加えて、ここで新たに「再衝突電子を用いる方法」というアト秒への別なアプローチを開発することになったのです。

アト秒へのブレークスルー

 まず2002年に、再衝突電子法を用いてアト秒測定が可能になることを示しました。具体的には「再衝突の結果として生じた現象(高次高調波発生過程も含まれる)を測定することで、元の分子の電子状態や振動状態をアト秒精度で測定することが可能になる」ことを実験・理論的に示したもので、Nature誌に掲載されました。次に2003年には、電子が再衝突するタイミングを制御することで、重水素分子の振動(波束)運動を、最短で700アト秒の間隔で測定することに成功しました(図1)。これは世界で最も良い時間分解能で、物質の構造変化を測定した実験例であり、この結果もNature誌に掲載されています。

図1 重水素分子イオンの核間距離が1.7fs~4.2fsの間に0.89Åから1.1Åまで延びる様子を測定。1000アト秒=1フェムト秒(fs)、1Å= 10-10 m

 再衝突電子による方法が、従来の測定法と最も異なることは、「自分自身(の一部)で、自分自身を測定する」とでも言える過程です。量子力学的には、測定対象と測定プローブとの「位相」がそろっていることになります。このことを用いて2004年に、発生した高次高調波のスペクトルから「位相情報」を含めた分子軌道(電子波動関数)の空間分布を再構成することが出来ることが示されました(Nature誌に掲載)。波動関数の自乗は存在確率という物理量と結びついていましたが、「波動関数そのものや、その位相」が測定対象となることは従来、考えられておらず、この結果は大きな議論を引き起こしました。特に、化学反応においては波動関数の位相の違いが分子結合や反応性に大きな影響を及ぼすため、重要な結果と言えます。

 一方、ヨーロッパなどではコーカム博士の考案した「電子ストリーク法」を用いて、高次高調波をプローブとして用いたアト秒科学への様々な展開がなされていました。これらのアト秒科学の発展は、光物理分野における新展開をもたらしたものとして認識されています。例えば、Nature誌にはNature Milestonesという、様々な分野でのマイルストーンとなった研究のトピックをピックアップしている特集がありますが、そのPhotonsという分野の22番目にAttosecond Science(アト秒科学)が取り上げられています。その中で引用されているマイルストーンとなる論文に、私の2003年の論文も入っています。

アト秒電子運動の測定に成功

 アト秒科学の目的の1つに、原子や分子内(束縛状態)の電子の運動を測定することがあります。電子は波動関数として表現されるので、すなわち電子波動関数の時間変化をアト秒精度で測定するという課題です。これに関して記憶に残っている出来事があります。2004年頃、数フェムト秒のパルスを用いた化学反応制御の実験を行っていたところ、コーカム博士から「どうやって分子内の電子運動を測定したら良いのか、そのクリアな物理的モデルがまだはっきりしない。それを考えてみたらどうか」と言われました。そこで、量子力学的な計算を用いて試したところ、「もし分子内に電子波束運動が起こっていれば、再衝突の結果によって発生した高次高調波のスペクトルに、その情報が記載される」という原理を発見しました。

 これは理論的な予測でしたが、それを実験的に実現するのは、簡単なことではありませんでした。最近になって、上記の「原理」に加えて「発生する高次高調波の偏光方向」という情報を同時に測定することで、この問題を解決しました。この場合、分子内の電子運動に伴う電子波動関数の空間分布の変化は、図2に示すような2次元のマップとして表されます。図2下に示すように、エタン分子の電子分布が、その運動開始から800アト秒~1200アト秒の間に、大きく変化していることがわかりました。これはアト秒精度で初めて分子の電子波動関数(電子波束)が変化する様子を測定した結果です(紹介記事1紹介記事2)。この実験結果は、朝日新聞や日経産業新聞などにも紹介されました。

図2 エタン分子内の電子運動を表す図

早稲田大学内の実験室。電源や配線配管1つから精緻に組み上げた装置を丁寧に説明する新倉准教授

 今後は、アト秒技術を発展させ、化学反応素過程において、どのように電子波動関数が変化してゆくのかを、分子の構造変化と同時に測定する方法を開発することを考えています。これは従来の有機化学や物理化学における反応論を変える可能性があります。アト秒を超えるゼプト秒(1ゼプト秒=10-21秒)へのアプローチとともに、さらに光科学を発展させたいと思っています。

新倉 弘倫(にいくら・ひろみち)/早稲田大学理工学術院准教授

1995年京都工芸繊維大学繊維学部高分子学科卒業、1997年同・大学院工芸科学研究科高分子学専攻 博士前期課程修了、2000年3月総合研究大学院大学 数物科学研究科構造分子科学専攻 博士後期課程修了。博士(理学)。日本学術振興会 特別研究員DC2、カナダ国立研究機構(NRC) NSERC博士研究員、日本学術振興会 海外特別研究員、(独)科学技術振興機構 さきがけ研究員を経て、2010年より現職。 2002年カナダ国立研究機構 ”A Scientific Breakthrough or Technical Innovation”、2004年第5回 原子衝突研究協会 若手奨励賞、2004年カナダ国立研究機構 ”A Scientific Breakthrough”、2012年度文部科学大臣表彰 科学技術賞 研究部門、第9回(平成24年度)日本学術振興会賞を受賞。