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研究力

▼知の共創—研究者プロファイル—

田邊 優貴子/早稲田大学高等研究所助教 略歴はこちらから

南極の湖底に生息する植物群の
知られざる生理生態を解き明かす

田邊 優貴子/早稲田大学高等研究所助教

2万年隔離されてきた環境

 南極、北極という地球の極域に生息する植物の生態と生理の研究が、私の専門です。小さい頃テレビで見た極地の世界にずっと憧れを持っていて、大学を休学してエスキモーの村に滞在してみたり、アラスカを旅したりという経験から、北極の植物研究がやりたいと漠然と考えていました。北極圏の植物についてはこれまでかなり研究されてきていますが、南極大陸ではほとんど手つかずでした。大学院に進んだ時に、「これはまだ誰もやっていないテーマだから」と博士課程の指導教員に勧められて、南極の湖の植物研究に取り組むことにしました。

 やはり現地に行って研究するのが理想的ですが、南極観測隊の研究者は30名程度、若手の学生となると運がよくとも数名しか入れません。大学院生の間は南極に行けるチャンスは巡ってこないだろうから、採集されたサンプルやデータをもとに研究を進めるつもりだったのですが、生物研究チームの人員枠がたまたま空いて、2007(〜08)年の観測隊に運良く参加させていただいた。極地の自然環境を肌で感じながら観測や実験を行うことで、研究室にいるよりも遥かに豊かな示唆を得ることができました。

 南極にはたくさんの湖があって、湖水は透明度が高くて栄養になるものがほとんどないのに、なぜか湖底一面に植物が生息しています。ふつう植物は水に溶けているリンやアンモニアなどの窒素化合物を吸収しないと成長できないのに、いったいどこからどうやって栄養を吸収して成長しているのか。1つには、南極に多くいるシアノバクテリアの存在があります。シアノバクテリアは、空気中の窒素をそのまま身体に取り込んで栄養にできる凄い生物で、たくさんの窒素源を吸収したシアノバクテリアが湖底で繁茂して堆積物を肥やしてきたと考えられます。

 最終氷河期後から約2万年をかけて徐々に植物が生息するようになり、シアノバクテリアとコケと藻類、100種くらいもが共生しあった現在のような世界が形成されてきたと考えられます。長きにわたって外界から隔離され、他の生態系からのかく乱を受けることなく2万年の生命の歴史がピュアなかたちで保存されている――生物や生態系の理論モデルを追求するうえでとても貴重な場所なのです。

南極大陸に点在する湖沼群。冬の間水深2mほどまで凍結するが、その下側の水温は2〜3℃と外界よりも遥かに温かだ

南極昭和基地まではオーストラリアのフリーマントル港から観測船しらせで約1ヵ月かけて航行(左)。到着後、生物研究チームは昭和基地を離れて湖近くの小屋に逗留する(右)。

南極湖沼の不思議な世界

 湖は昭和基地の周辺だけでも100以上あって、1年のうち約11ヵ月は氷で覆われ、残り1ヵ月ほどの短い夏の間だけ氷が融けます。この間、湖にゴムボートを浮かべて観測や採集、実験などを行います。水深はほとんどの湖はだいたい3〜10mくらい、最大で50mくらいです。とても透明度が高いのでボートの上からでも湖底がよく見えます。UFOキャッチャーのような道具で植物や湖底堆積物の採集をしたり、湖の中を実験場にして環境を操作しながら培養してみたりもします。

 時にはダイビングスーツに着替えて湖底まで潜水することもあります。夏でも水温は2℃くらい、頭がキンとなる冷たさで、陸に上がってくると濡れた髪の毛が瞬時に凍りつく寒さですが(笑)、実際に潜ってみるとやはり上からでは分からない世界が見えてとても興味深いです。これまでボート上から調査した湖は全部で30〜40くらい、潜ったのは3つ。1つ1つの湖が閉鎖系で異なる生態系を形成しています。基本はコケ類、藻類、シアノバクテリアですが、優占種の違い、群落の大きさの違いなどが見られます。森のように群生しているところもあれば、ピターっとカーペットのようになっているところなど、様々です。

短い夏の間、ボートやダイビングで湖の観測や試料採取を行う。透明度が高く、湖底まで鮮やかに見下ろせる

湖底には、厳しい南極大陸の環境からは想像もつかない世界が広がる

 これまで南極での滞在調査を3回行ってきましたが、1回目は光合成の仕組み、2回目は栄養のサイクル、3回目は生態系の発達と進化の過程、という3つの研究テーマを設定して、段階的に研究を進めてきました。まだ誰も手がけていない領域だから何を発表しても新しい成果になるのですが、なかでも画期的な研究成果をいくつか発表してきました。

 まず湖底の栄養は、私たちの想像を遥かに超えていました。地表面や湖水中は栄養にそう富んではいないのですが、底なし沼のように柔らかい湖底の内部には大量の栄養が貯め込まれている。なんと日本の富栄養湖(窒素化合物などの栄養濃度が高い湖)である宍道湖の湖底内部よりも高い濃度の栄養があることが分かったのです。もしかすると湖底内部だけで栄養がまかなわれ、光合成生産と微生物分解を繰り返すというユニークなサイクルが湖底内部だけで確立されている可能性があり、このしくみを明らかにしたいと考えています。

 また、光合成の仕組みの研究から、植物群集の驚くべき共生システムを発見しました。透明度の高い湖には光と紫外線が強力に射し込んで、成長に悪影響を与えるほどのレベルです。これに負けることなく植物が成長できているのが不思議でした。そこで植物の群落を数ミリ単位の厚さで水平に切り分けて調べてみたところ、表面だけが光を防御する物質をたくさん作っている。つまり上部の植物群集が紫外線や強い光をカットするサングラスのような役目を果たし、下部の植物群集に適度な光が届くことで光合成が活発に行われているようになっていることが分かりました(図1)。みずからを犠牲にして仲間を守ろうとするかのような、利他的な活動のようにも見えますね。

図1 湖底から採取した植物群集の色素パターン。表面は鮮やかなオレンジ色をしており、この色素が光を防御することで、下の緑色の部分は穏やかな環境で光合成が行える

 これらの研究を通じて、ただ目の前の植物生態を観察し報告するだけではなく、生理的な仕組みにまで深く踏み込んで研究成果を出すこと、さらには「生物とは何か」という根源的な問いにつながるような理論モデルの構築を目指していくことが、私のモットーです。

博士2年で工学から理学へ転身

 じつは現在の研究を始めるまでには、長い回り道がありました。もともと工学部出身でそのまま大学院に進み、博士課程の2年までずっと工学系で、人工光合成システムの研究開発に取り組んでいました。就職にはあまり困らない花形分野でしたが、最後の最後になって「工学系は本当に自分に向いているのだろうか」と自問して…。以前は、理学は基礎、工学は応用をやるところだと考えていたのですが、そうではなくて、同じ科学をまったく異なる発想で取り扱うものなんですね。工学は「実利的な何かを創る」ことが目的で、プロセスよりもむしろ結果重視。理学は「自然に潜む何かを明らかにする」ことが目的で、現象の発見とその意味を解釈していくプロセス重視。この違いが分かってくるにつれて、「自分は、理学がやりたいのではないか?」と思うようになり、「決断するならもう今しかない」と指導教員を探し大学院を移りました。

 ふつうここまで来て、大きく専攻を変えようと考える人はいませんよね(笑)。迷いや不安はありましたが、一生の仕事にするのなら自分に本当に合った研究分野へと、思い切って路線転換を図りました。少し幸運だったのは、単位互換などがうまく認定されて、博士課程2年にそのままスライドして移れたことです。

 周囲よりも遅いスタートでしたが、現在は南極だけでなく、北極圏にも通いながら両極の植物生態研究を並行して行うなど、夢に思い描いていたような研究生活を送っています。2013年には写真とエッセイを合わせた『すてきな 地球の果て』という本も出版しました。また2014年にはこれまでの研究業績が評価され、文部科学大臣表彰 若手科学者賞もいただくことができました。大自然好き、探求好きな自分の本領を発揮して、これからもずっと身体の動く限り(笑)、研究に、世の中への情報発信に、邁進していきます。

大自然の写真とエッセイ満載の『すてきな 地球の果て』ポプラ社、2013年8月

田邊 優貴子(たなべ・ゆきこ)/早稲田大学高等研究所助教

1978年、青森市生まれ。植物生理生態学者。博士(理学)。2006年京都大学大学院博士課程退学後、2008年総合研究大学院大学博士課程修了。国立極地研究所・研究員、東京大学大学院新領域創成科学研究科・日本学術振興会特別研究員を経て、2013年4月より現職。2014年1〜3月カナダLaval大学北方研究センター客員研究員。2014(平成26)年度文部科学大臣表彰 若手科学者賞を受賞。
小学生の頃から極北の地に憧れを抱き、大学4年のときに休学し真冬のアラスカ・ブルックス山脈麓のエスキモーの村で過ごす。それ以後もアラスカ、ペルーなど世界各地を放浪的に旅した末、工学から理学への転身を決意。2007~08年第49次日本南極地域観測隊、2009~10年第51次隊、2011〜12年に第53次隊に参加。2010年夏、2013年夏には北極・スバールバル諸島で野外調査を行う。2014年夏には再度北極へ、その後は2014〜15年南極観測外国共同隊に参加予定。