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研究力

▼知の共創—研究者プロファイル—

紙上 敬太/早稲田大学スポーツ科学学術院助教 略歴はこちらから

人間の高次認知機能に
運動が及ぼす効果を探る

紙上 敬太/早稲田大学スポーツ科学学術院助教

運動と脳の関係に関心を抱く

 運動・スポーツをすることが身体の健康だけでなく、脳の働きにもプラスの効果を持つことを確かめたい――そんな思いが、私の研究活動の根底にあります。私自身、大学までずっと野球をやっていました。中学生の頃はまだ、「練習中に水を飲んではいけない」などと言われる時代でしたが、高校生になると「いや水は飲んでいいよ」などと真逆のことが言われるようになって…(笑)。
多感な時期に、科学的なトレーニングの考え方が、旧い非科学的な考え方に徐々に取って替わるのを体験したことが、この分野に興味を持つきっかけになりました。大学院に進んでからは、競技スポーツよりも一般の人たちの健康のための運動・スポーツへの興味関心が高まり、社会的にもより大切なのではないかと考えるようになって、これまで運動と脳の健康の関係について研究を進めてきました。

 大学での専攻は心理学でしたが、大学院への進学にあたって、当時、わが国の体育・スポーツ科学を牽引していた筑波大学の大学院(体育研究科)へ進みました。早稲田大学のスポーツ科学部がまだできていなかった頃です。所属研究室は、心理学というよりは運動制御などの運動生理学を中心に研究を行っているところでした。当時、私がやりたかった運動と脳機能の関係に取り組む研究者は世界的にもまだほとんどいなかったので、少しでも研究に役立ちそうな海外の論文を読みあさり、脳機能計測(脳波)の手法は先輩方から教えてもらいながら、自分なりに工夫して実験や分析に取り組みました。具体的には、「一過性の運動が脳機能に与える影響が運動強度によって異なるのか」に関して研究を行い、この研究で学位論文を書きました。

Hillman教授と日本の学会にて(2012)

 その後、この研究分野において世界のトップを走るイリノイ大学で研究がしたくて、当時まだ若手であったHillman教授(当時は助教)にコンタクトを取りました。狭い分野でしたから、私が大学院時代に書いた英語論文はすでに知っていて、「ああ、あの論文を書いたのは君か」といった感じですぐに打ち解けることができました。2009年から3年間イリノイ大学に滞在しましたが、年齢が近いということもあり、Hillman教授は「ボス」というよりも「友人」という感じで接してくれ、気楽にアメリカでの研究生活を送ることができたのはラッキーでした。

Hillmanラボの仲間たちと。後列右端が紙上助教、左端がHillman教授(2011)

 イリノイ大学には、Hillman教授だけでなく、この分野の第一人者であるKramer教授がいます。Hillman教授が子供を対象にした研究を専門にしているのに対して、Kramer教授は高齢者を対象にした研究を中心にしています。Kramer教授は「半年間のウォーキング運動が高齢者の認知機能、特に高次な認知機能である実行機能(詳細は後述)を改善させた」という内容の論文を1999年にNature誌に掲載し、これがきっかけとなりこの分野の研究が急速に発展しました。また、Kramer教授のグループの最近の研究では、高齢者が1年間のウォーキング運動を続けることによって、記憶機能を司る海馬の体積が大きくなったことが示されています。通常、加齢とともに脳は萎縮しますので、運動が加齢による海馬の萎縮を抑えるどころか、海馬の体積を増大させたのは驚きの結果です。このように、認知症の予防策のひとつとしても、習慣的運動の重要性は注目されています。このような研究手法を、子供研究に応用したのがHillman教授というわけです。

アメリカでの大規模な実験研究

 イリノイ大学では、Hillman教授の専門である子供を対象とした研究プロジェクトに参加しました。具体的には、子供の体力と認知機能(特に実行機能)の関係を探る研究プロジェクトです。小学生を対象に放課後運動教室を週5日・9ヶ月間にわたり実施し、体力と認知機能の変化を見るものです。子供の脳は9ヵ月の間にも発達するため、もし9ヵ月後に認知機能が改善されたとしても、それが運動教室の効果によるものなのか、あるいは単に発達によるものなのかを判断することができません。そのため、運動教室に参加するグループとは別に、運動教室に参加しないグループも設けて両グループの変化を比較します。子供たちの希望でグループを割り振ると運動の好き嫌いなどの偏りが出てしまうので、ランダムに割り振るところがポイントです。

図 フランカー課題の例。実験参加者は真ん中の魚の向きによって左右の手でボタンを押し分ける。この例では、手前から左、右、右、左とボタンを押すのが正解。

 このような研究手法をランダム化比較試験と呼ぶのですが、多くの時間と労力を要するので、ランダム化比較試験で得られたデータは大変貴重だと言えます。この研究プロジェトは、合計で200名以上の子供を対象に、5年間をかけて実施されました。図のようなテスト(フランカー課題と呼ばれる)を使って、子供の認知機能を評価します。このテストでは、真ん中の魚が向いている方向によって左右のボタンを押し分けてもらいます。真ん中の魚とまわりの魚が同じ方向を向いている場合は間違いにくいのですが、反対の方向を向いている場合は間違いが多くなります。つまり、まわりの魚は、真ん中の魚への妨害でしかないのですが、この妨害に惑わされずに真ん中だけに注意を向ける能力・いらない情報を排除する能力=専門用語で言う「抑制」能力を計測しているわけです。この抑制能力は後で説明する実行機能のひとつで、学力と密接に関わっていることが知られています。子供にとってとても重要な認知機能と言えるでしょう。このようなテストを、運動教室を始める前と後に行ってもらい、脳活動や正答率などの変化を観察するわけです。

 この研究プロジェクトは私が日本に帰ってきてからも続けられて、昨年ようやく終了し、この研究成果をまとめた論文がつい数ヶ月前にPediatricsというジャーナルに掲載されました。この研究では、習慣的運動による体力(主に有酸素能力)の向上が、子供の認知機能(特に実行機能)の向上に寄与することが示されました。つまり、習慣的な運動が子供の脳の健全な発達に重要な役割を果たす可能性があると言い換えることができます。この研究成果は、ニューヨークタイムズなどにも取り上げられて反響を呼んでいるようで、私自身も大変うれしく思っています。

Hillman教授やKramer教授が編者を務める本にも、紙上助教の英文論文が収載されている。
左:Functional Neuroimaging in Exercise and Sport Sciences (2012;Hillmanらと共著で運動・体力と認知機能の関係をまとめた章を担当)/
右:Enhancing Cognitive Functioning and Brain Plasticity (2009;単著で一過性運動が認知機能に与える影響をまとめた章を担当)

     
運動が人生の成功を左右する!?

野外活動実習でスポーツ科学部の1年生たちと(2014)

 脳の前頭前野が司る高次認知機能を、英語では「executive function」(エグゼクティブ・ファンクション)と言うのですが、日本語では「実行機能」「遂行機能」と訳されてしまっていて、本意が少々伝わりにくくなっています。例えば、エグゼクティブ・プロデューサーなどに用いられる「エグゼクティブ」の持つ「執行部」や「管理職」といった意味が「executive function」にも含まれているからです。子供のエグゼクティブ・ファンクション研究の第一人者であるブリティッシュコロンビア大学のDiamond教授が、2011年にScience誌に掲載したレビュー論文の中で、「エクゼクティブ・ファンクションは、学業、キャリア、家族生活など、文字通り人生のサクセスに重要な役割を果たしている」というような言い方をしています。この中で私の論文も引用してくれていますが、エグゼクティブ・ファンクションの発達に習慣的な運動がいかに重要かを探る研究は、ますます注目されていくのではないかと期待しています。

彼末一之・早稲田大学スポーツ科学学術院教授の編集で、文部科学省グローバルCOE拠点「アクティヴ・ライフを創出するスポーツ科学」(2009-2013年度)の研究成果がまとめられた英文書籍Sports Science and an Active Lifeにも、紙上助教の論文が収載されている。

 

 「運動が学力に関係する」、「運動が脳を健康にする」、「運動をすれば勉強・仕事の効率が上がる」ということを示せば、運動嫌いの人でも「運動をちょっとやってみようかな」という気になってくれないかなと期待しながら研究を続けています。同時にそんな簡単なものでもないかなという気もしています。「どのようにすれば運動をする人が増えるのか」、「運動をすることへの壁をどうしたら取り除けるのか」についても、様々な分野の研究者が集うスポーツ科学の強みを活かして、スポーツ科学分野の研究者の方々と一緒に考えていければなと思っています。

紙上 敬太(かみじょう・けいた)/スポーツ科学学術院助教

2006年筑波大学大学院博士課程人間総合科学研究科体育科学専攻修了。博士(体育科学)。専門は健康・スポーツ科学、健康・運動心理学。日本学術振興会特別研究員(DC2)、筑波大学大学院人間総合科学研究科研究員、産業技術総合研究所特別研究員、早稲田大学スポーツ科学学術院助手を経て、2009年から3年間イリノイ大学で博士研究員(2009-2010の2年間は日本学術振興会海外特別研究員)。2012年から現職。2006年日本体育学会学会賞、2008年日本運動生理学会奨励賞、2012年明治安田厚生事業団第27回健康医科学研究助成論文集優秀賞、2014年早稲田大学リサーチアワード(国際研究発信力)。共著書に『スポーツ精神生理学』(西村書店、2012)他。