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研究力

▼WASEDA研究特区―プロジェクト研究最前線―

世界最高性能のマルチコア技術で
日本の産業競争力を再生する

グリーン・コンピューティング・システム研究機構

松島教授

笠原教授

 2000年代に入って、地球環境への負荷削減のための情報技術=グリーンITの重要性が叫ばれるようになった。グリーンITには、第1に情報機器・ネットワーク機器や周辺設備など、IT利用そのものにおいて生じる電力消費削減、第2にITを様々な分野用途に活用することによって電力消費の削減を図るという、2つの側面がある。

 しかしながら世界の情報技術の低消費電力化は、IoT、ビッグデータ、スマートグリッド、スマートシティ…と、情報社会の爆発的進展に伴う消費電力の爆発的増加のスピードに追いついていないのが実態である。これらの問題を、グリーンITの両面から一挙に解決する最大の効果が期待されるのが、コンピュータの心臓部であるプロセッサの電力消費削減、すなわち計算性能そのものの省エネルギー化である。現在、この計算性能の省エネ化/高効率化こそが、世界のコンピュータ競争の核心的課題となっている。

 この省エネ化/高効率化競争に、世界最高性能の電力制御技術をもって参画するのが、早稲田大学グリーン・コンピューティング・システム研究機構である。2010年の設立時(バックナンバー記事参照)から5年間を経て、2016年から第2フェーズの展開へと入った同研究機構の現状と展望について、研究機構長を務める松島裕一・研究戦略センター特任教授と、同研究機構・アドバンストマルチコアプロセッサ研究所の所長を務める笠原博徳・理工学術院教授に話を聞いた。

図1 グリーン・コンピューティング・システム研究機構 全体図
OSCARメニーコアテクノロジーを基盤としながら、アドバンストマルチコアプロセッサ研究所知覚情報システム研究所グローバルソフトウェアエンジニアリング研究所、そして新たに加わったグローバルロボットアカデミア研究所の4つの研究所を擁する。これらの研究所のシナジーにより活用分野の裾野を広げることが第2期の目標である。

“信じられない”ほどの高性能

 第1フェーズの5年間、マルチコアプロセッサ向け高速並列化コンパイラOSCARの開発プロジェクトを率いる笠原教授らが悩まされてきたのが、その開発実証実験が示す数字に対して、直接目の前でデモを見たことのない方からの「そんな高性能あるいは低消費電力化ができるなんて信じられない」という、驚きと疑いの声だったという。

 「つい最近も、従来コンピュータの発展を牽引してきた半導体のムーアの法則(半導体上のトランジスタ数は1.5年から2年で倍増するという法則)の終焉と共に、これからどのように高速化、低消費電力化すべきかを議論する国際会議に日本代表として招待されて、その席上で世界のまだ誰も実現していないような開発成果を報告しました。私の直前にヨーロッパ代表として講演されていたのが、情報分野で最も権威のある賞の一つを受賞されている著名な教授だったのですが、ご自身の講演中で“とても難しく今後の重要課題だ”と紹介した自動車エンジン制御計算の並列化を、私の講演中では“産業界の実問題にも適用してすでに並列化に成功した”と報告したこともあって、“そんなことは出来るわけがない。信じられない!?”と激しく反撃されたくらいです」(笠原教授)

 「世界最高峰の自負のある研究者だから口に出して反論できるのでしょうが、多くの方は、笠原教授の超高集積マルチプロセッサが実現する低消費電力化の余りにずば抜けた性能に、ただ驚くばかりのようで…。本当に実現できているのだということを信じてもらうのに、いまだに腐心しています」(松島教授)

 世界から驚かれる性能は、笠原教授らが30年間にわたり一つ一つ壁を乗り越えて来た研究の賜物である。5年前に同機構が掲げた、産業界との本格的な共同研究により実用化を強力に推進するという目標、それによって次世代のグリーンITの基盤技術で世界に先駆けるポジションを確保し、日本の産業に揺るぎない競争力を築くという大目標へ向けて、同研究機構はフルスピードで活動を推進してきた。従来は、自前のチップで高速化・低消費電力化を実証してきたが、近年ようやくインテルやARM等のチップの性能が向上し、汎用製品でも高性能化が達成できることが実証できるようになった(図2、図3)。時代がOSCARコンパイラにようやく追いついてきたという状況である。

 「余談ですが、世界最高峰の計算機学会であるIEEE Computer Society(世界最大の学会である国際電気・電子学会IEEEにおける最大のソサエティ)の2016年会長選に、世界最高の技術を持っているものが会長になるべきだと歴代の会長からご推薦いただき、2016年8月1日から9月26日まで会長候補として出ることになりました。歴代の会長・副会長経験者の方々から“北米以外から初めての会長になり歴史を変えろ”と背中を押されました。多くの日本の会員の方が投票してくださればうれしいのですが……。(笑)」(笠原教授)

図2 ARM社製4コアアンドロイド上での電力削減データ

図3 インテル社製 Haswellマルチコア上での電力削減データ

自動車エンジン制御機構への実装

 主要ターゲット分野として、自動車、医療、スマートフォンなどにおいて産学連携研究を進めてきた。最も力を入れてきた自動車分野では、大手メーカーとの共同研究により、自動車の心臓部であるエンジン制御用プロセッサの共同開発を進めている。エンジン開発は、自動車メーカーにとっては門外不出と言ってもいい、最高機密の領域である。それが現在は、早稲田キャンパスにほど近い同機構ビル内に相手先企業の産学連携ラボが設置され、第一線の技術者の方々との密接な産学連携研究により、すでに2020年の製品実装を見据えた開発が進められている。

「最初はともかく我々が持っている技術の優位性について理解していただき、次世代エンジンへの搭載の可能性を議論し、従来研究者が手で2コア用に並列化しても1コアより遅くなってしまっていた制御計算を、産学連携で高速化していこうという互いの協力意識と信頼関係を構築するところからでした。そして、まずは私どもの方から企業の事業部へOSCARコンパイラ持参で出向き、社内でエンジン制御プログラムの並列化を実施して2コアで1.95倍にも及ぶ高速化性能を実証しました。その結果、目標時期を定めて実用化開発を達成するために、移動時間を減らし効率良く実施しようと、本学ビル内に会社の開発拠点を出していただくに至ったわけです」(松島教授)

「エンジンの電子制御にマルチコア並列プロセッシング技術を世界で初めて導入することで、圧倒的な燃費性能を実現しようというものです。現在1コアのコントローラを2コアあるいは4コアに置き換えるために、従来の1コア用のプログラムを並列化する必要がある。どこが同時にやっていい仕事なのか、仕事間のタイミング合わせはちゃんとできるのか――研究室実験ではなく、自動車という人の命を預かる製品で実用化しなければならない。企業の技術者と一緒になって、数百万行に及ぶ実プログラムの並列化を行い、速度向上と従来の計算結果との同一性、信頼性評価実験を重ね製品適用の決断を戴きました」(笠原教授)

図4 今後はさらに自動運転の制御プロッセシングなど様々な課題に挑戦し、自動車産業の国際産業競争力の向上に貢献することが使命だ

 最大の難関と思われる自動車エンジン制御で検証された、世界最高性能を誇る並列化コンパイラ技術、超低消費電力を可能にする制御技術は、医療、交通、航空機など、他のあらゆる分野領域にも応用していくことが可能である。

「医療分野では、例えば、カプセル内視鏡に搭載するプロセッサには、現状の計算性能の百倍の高速化と、百分の一の電力消費削減という、驚くようなスケールでの技術革新が求められています。要するに、体内で1秒間に数十枚撮影した消化器内の画像データから、病変と思われる箇所をリアルタイムで高速識別し、かつ必要な所を巡って出てくるまで7〜8時間、カプセル内蔵の小さなボタン電池で駆動させ続ける必要がある。現在のパソコン等で使用されている汎用プロセッサの千分の一ほどの電力に抑えなければならないということです。チャレンジングな目標を見据えて、医療機器メーカーと産学連携で開発に取り組んでいます(図4参照)」(笠原教授)

図5 カプセル内視鏡用の画像処理プロセッシングの高速化状況

“死の谷”をベンチャーで越える

 前述したように同機構の大目標は、グリーンITによる日本の産業競争力の再生である。しかし世界的に見ても、産学連携が国の産業力を牽引するほどの成功を見た事例はほとんどないといっていい。大学発の先端的技術シーズを産業化するためには、産と学の間―学術研究と産業実用化との間に横たわる“死の谷”と呼ばれる深いギャップを乗り越えなければならない。

 この“死の谷”を本気で越えていくために、2013年2月にはOSCARコンパイラをはじめとする並列化処理の技術開発と産業界への移転を専門とする大学発ベンチャー、オスカーテクノロジー株式会社が設立された。早稲田大学前総長の白井克彦名誉教授、ベンチャービジネス立ち上げに豊富な経験を持つ松田修一名誉教授、代表取締役社長を務める小野隆彦客員教授、そして笠原教授の4名の教授陣が設立発起人である。

オスカーテクノロジー社 ウェブサイト
http://www.oscartech.jp/

「本研究室の並列化技術にかかわる特許及びOSCARコンパイラのプログラムは、大学を通じてすべてオスカーテクノロジー社に独占的実施権を供与し、ライセンス料の内、一時金相当額は同社の株式で、また毎年の売上げの一部をランニングロイアリティとして大学に納めていただいています。大学だけでは難しい死の谷を、オスカーテクノロジー社と共に渡り、我々が30年かけて育ててきた学術研究成果を、産業化し、日本の将来のために生かしていきたい。産学連携成功事例を作り、学内外の多くの研究者に産学連携をさらに進めていただきたい。この夢のために国内企業のベクトルスパコン開発チームOBの方々をはじめ、世界に名だたる優秀な人材が20人以上も集まってソフト・ハードの開発チームが組織されました。まもなく同社初の製品となる自動車向け並列化コンパイラを発売予定です」(笠原教授)

「これまで半導体、スマートフォンと、日本企業は海外企業の戦略に負けてきた。少なくとも自動車産業は日本を支える産業であり続けなければならないし、さらにはIoT、ビッグデータなどでも、国際競争に勝っていくことが必要です。」(松島教授)

 世界が“信じられない”と言う圧倒的な優位性が、様々な産業分野で表舞台に出ていく第2期以降の展開に、期待が大きい――。

関連リンク

早稲田大学グリーン・コンピューティング・システム研究機構
早稲田大学 理工学術院