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研究力

▼WASEDA研究特区―プロジェクト研究最前線―

先端化学と未来社会を架橋する
「社会実装学」の創成へ

先端化学知の社会実装研究所(理工・重点研究領域)

野田優・理工学術院教授

松方正彦・理工学術院教授

【解説:理工学術院総合研究所・重点研究領域】
 早稲田大学では創立150周年(2032年)へ向けたVision150を制定し、13の核心戦略を展開している。その1つに掲げられているのが「独創的研究の推進と国際発信力の強化」という核心戦略である。この核心戦略を特に科学技術分野において推進するために、理工学術院総合研究所(理工総研)が中心となって社会の課題に応える7つの重点研究領域が新たに設置された。それぞれの領域ごとに2018年4月に研究所が開設され、世界トップレベルの研究を目指していく。専攻の枠を超えて重点分野の国際的な研究力の強化を図るために、クラスター研究所と称するこれら研究所群の相互連携を図り、今後のさらなる研究ビジョンを構想する場として「早稲田地球再生塾(WERS)」を立ち上げていく。

各重点研究領域に発足する7つのクラスター研究所

7領域の研究代表者やメンバーらが集結した重点研究領域発足記念シンポジウム(2017年12月22日)

 今回は7つの重点研究領域から「先端化学知の社会実装領域」を推進する先端化学知の社会実装研究所にフォーカスし、2018年4月にスタートした研究所の活動ビジョンについて、所長を務める松方正彦・理工学術院教授とメンバーの野田優・理工学術院教授に話を聞いた。

持続可能な未来への貢献が急務

 先端化学知の社会実装研究所は、理工重点領域の中でも異色の目標を掲げる研究所である。最先端の化学を創り出す研究に加えて、化学と社会をより効果的につなげるための俯瞰的研究=「社会実装学」の確立が、その目標である。

 化学は20世紀の文明の発展、先進国の経済成長を支えてきた。しかし21世紀の化学には、物質社会の拡大的な発展ではなく、物質社会の持続可能性への貢献が求められている。地球環境、資源やエネルギーの保全はもちろん、貧困や格差の解消まで含めて、グローバル社会全体が目指すべき調和の取れた未来社会のビジョンは、国連開発計画の持続可能な開発目標「SDGs」(Sustainable Development Goals)によって具体的に提示されている(図1)。それは政治や経済の様々な利害を超えて、人類全体にとって最適と思われる未来の選択肢を規定する指針でもある。

図1 SDGs 世界を変えるための17の目標(国際連合広報センター)

 「21世紀に入り、個別の政治や経済の利害を超えて、グローバル社会の指針が打ち出される時代になった。今こそまさに、化学が戦略的な研究推進へと舵を切るときだと強く感じています。資源、エネルギーの効率利用、地球環境の保全はもちろん、SDGsが17の目標の下に掲げる169の広範なターゲットにおいて、化学が果たすべき役割はきわめて重い。未来社会に貢献度の高い研究シーズを、客観的な指標で評価し重点化し、社会に投入していく――そのための新たな方法論としての社会実装学の確立が急務と考えています」(松方教授)

 人間の身体や自然界の物質、工業製品や医薬品などの人工物、およそこの世にあるもので化学と関係のないものはない。にもかかわらず、物質の変換や創成といった抽象的で普遍的な研究を取り扱う学問であるがゆえに、社会応用と具体的にどう連関しているのかがきわめて見えづらい。

 「そうした化学の分かりづらさゆえに、これまで基礎化学はもちろん、応用化学の研究者ですら、自分たちの手がける研究が、将来どのようなかたちで社会に貢献するのか―あるいはできないのか―ほとんど未知なまま、漠然と役立つに違いないという信念のもとで研究を進めてきたような状況があります。化学と社会との距離は、複雑に専門分化した研究者一人ひとりの努力で克服できるようなものではないのです。化学が社会に貢献するシナリオをしっかりと描き出す、新たな学理としての社会実装学が必要だというのが、研究所発足の問題意識です」(松方教授)

若手人材育成と産学協働を柱に

 研究所のビジョンは、図2のように描かれている。これまですでにグローバルCOE「実践的化学知」教育研究拠点などの活動を通して確立してきた分野横断型の先端的化学知を、機能創成・先端計測・物質変換・エネルギー変換の4つの学際領域に整理するとともに、①これら先端知と社会をつなぐ「社会実装学」という新学理の創成、②社会実装学からのフィードバックに基づく新材料・医薬品や先端デバイスの創出、③社会実装学を専門とする研究者、社会実装学の素養を持った化学研究者の双方で、国際水準の人材を育成、という3つの目標を掲げている。

図2 先端化学知の社会実装研究所のビジョン

 「これらのビジョンを達成していくための活動の柱が、大学院での社会実装演習を通じた若手人材の育成と、社会実装学を基軸とした産学協働コンソーシアムの形成です。産学協働コンソーシアムでは、化学系に関係する多様な企業の参加を得て、より現実的な議論、例えば国や地域ごとの制約条件によって何が変わるか、ある地域では水素エネルギーが、別の地域ではリチウム電池が優位だといった、具体的な社会応用を前提とした議論を重ねていきたいと考えています」(松方教授)

 産学協働コンソーシアムの形成は、研究所のメンバーである各化学分野を代表する教員たちをはじめ、化学系教員の総力を挙げて取り組まれている。開所から半年で、すでに「先端化学知の社会実装コロキウム」という研究会が2回開催され、産業界からの講演やディスカッションが重ねられている(写真)。

写真 第2回先端化学知の社会実装コロキウム(2018年8月30日)

 研究所の活動を中核となって担うのが、新任の若手任期付教員である。社会実装学の創成を牽引する任期付教員として、LCA(ライフサイクルアセスメント)という、モノやサービスの原料調達から消費・廃棄に至る一連のシステムの環境影響評価の研究を専門とする若手研究者が新たに雇用され、実質的な研究活動の推進を担っていく。

 「LCAは世の中にすでにある技術、製品、サービスを対象に行われてきていますが、将来のものについてはほとんど行われていないのが実情です。研究所が目指すのは、未来技術の評価手法の確立です。LCAが対象とする物質・エネルギー系への影響はもちろん、経済・文化・地域性などの価値を包含する社会システム全体への影響を多面的に評価する手法を追求していきます。若手教員には、この新たなチャレンジを牽引してもらいます。

 すでに大学院の社会実装演習を1つの研究フィールドとして、未来社会の実現にどのような技術システムが有望か、その実現に足りない技術は何かといったケーススタディを通じて、定量的な技術評価の試行に取り組み始めました。具体的には、社会に投入される未来技術と多数の要素技術を組み合わせたシステムを複数設計し、各システムのパフォーマンスを評価します。その中で有望なシステム・シナリオを見出し、産学共同研究へと展開していきたいと考えています」(野田教授)

早稲田独自の内発的な挑戦

 LCAの萌芽技術への適用と将来システムの評価を1つの手掛かりとしながら、今後は社会実装学の学理の構築をさらに進めていく。社会実装学の全体像は、現時点では図3のように描かれている。①世の中にどんな技術シーズがあるのか、将来的にどんな技術が必要とされているのか、シーズとニーズ双方の情報の収集と知識化をベースに、②それら技術やシステムではどんな環境影響がありどれくらの経済コストがかかるのかを検証し、③その技術やシステムに求められる性能や機能の実現可能性を検証し、④さらに①〜③の結果を世の中に見える化し、客観的な評価に基づく技術や研究の選択的支援につなげていく。

図3 社会実装学の全体像

 「社会実装学には、未来のあるべき姿に基づいて必要な科学技術を考える、いわゆるバックキャスティングのアプローチと、研究者が持っている―あるいは構想している科学技術のシーズに基づいて将来像を描き出すフォアキャスティングのアプローチと、両方が必要です。図の第1フェーズが、シーズとニーズの両方の情報とその知識化からスタートしているのは、そのためです」(松方教授)

 「現状では、これら4つのフェーズの取り組みは、様々な分野領域ごとに、ほんの部分的に行われているにすぎません。研究所の第1期5年間で、これらすべてを満足させる社会実装学を成立させるのは難しいと思いますが、まずは特定の先端領域にターゲットを絞ってフィージビリティーを重ね、産業界等の協力も得ながら加速させていきます」(野田教授)

 この早稲田独自の取り組みは、化学にとどまらずあらゆる科学技術分野が未来社会に真に貢献するうえで、きわめて重要なものとなることは間違いない。早稲田の化学は、早くから社会のための化学を標榜し、近年は基礎化学と応用化学の研究者が一緒になって、実践的な化学を追求するプロジェクトを展開してきた。研究と社会応用に距離がある化学だからこそ、その距離を一気に縮めることへの21世紀社会の要請があるからこそ、そして早稲田だからこそ、社会実装学の構想が内発的に立ち上がったといえる。その発展に期待が大きい――。