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演劇におけるフィクションの力と現実の変容 第一回

坂内 太/早稲田大学文学学術院准教授(文化構想学部)

坂内 太/早稲田大学文学学術院准教授(文化構想学部)  略歴はこちらから

 日本でもアイルランド演劇の翻訳上演を散見するようになったが、近年、アイルランドで名高い劇団ドルイド・シアターの演出家ギャリー・ハインズが、現地で上演された舞台をほぼそのまま東京に持ち込んだThe Playboy of the Western World(『西の国のプレイボーイ』)は、虚と実を行き来する主人公を鮮やかに具現した秀逸なものだった。この劇には、優れた演出家たちが渾身の力を込めて取り組んできた長い上演史があり、テクストの深い読みも新しいアイデアもない演出家には手を出しにくい。

 主人公が口にする“shifts(女性の下着)”という言葉が引き金となって、J・M・シングの『西の国のプレイボーイ』が観客席の愛国者たちから激しく罵倒されて社会的な暴動を引き起こしたのは、1907年のことである。当時は、アイルランド史的には英国からの独立前夜であり、演劇にも国家の威厳を求めた観客たちがシングの奔放な人物描写とセリフに当惑したのも無理はない。未来の国家を想像する者たちが演劇という「現実のオルタナティブ」を理解し得なかったとは皮肉なのだが、時は「男らしさという物語」が膨張する武装蜂起前夜である。コミュニティの基盤である酒場の運営を若い女性が仕切る一方で、男たちといえば飲んだくれの小心者ばかりという劇の設定では「物語」の上下が逆さまで、暴動が起きても不思議ではないタイミングだった。

『西の国のプレイボーイ』(撮影:坂内 太)

 イプセンの『人形の家』(1879年)では、覚醒した自我としてノラが家を出て行く。イェイツの『キャサリーン・ニ・フーリハン』(1902年)では、ナショナリズムの幻影に陶酔した自我としてマイケルが家を出る。『西の国のプレイボーイ』で扉を開けて出て行くクリスティが特異なのは、幻影と覚醒とが交錯するプロセスそのものを体現しているからだろう。この戯曲は、剛腕な父親を殺してきたという「英雄」的な幻影とナイーブな若者の現実という、「虚」と「実」を絶えず往復する人物を描いている。そこで前景化されるのは、主人公が浸る幻影と覚醒との間の振り子運動が、現実そのものを変容させるポテンシャルを持っているという点である。

 しかし、なぜ「父親殺し」が英雄になり得るのか? 村娘たちは突然現れた、ただならぬ若者に狂喜する。ここに、劇作家ブライアン・フリールが『ルーナサの踊り』で描いた、狂喜乱舞する女性たちが久しく罪悪視されてきたセクシュアリティを放埒に発散させるシーンを重ねることは可能だろう。また、父親による家庭内暴力や、聖職者たちによる児童への性的虐待が表面化してきた歴史的経緯を視野に入れてもいい。アイルランドで伝統的に強権を発しながら、その内実は巧みに隠されてきた「父性」の転覆と変容とを目論む、いかにもカーニバル的なカオスが、暗黙の了解として劇中に埋め込まれているとも言えるからだ。

『西の国のプレイボーイ』(撮影:坂内 太)

 いずれにせよ、現実が行き詰まった時に存在の別のモードを想像する魔力を発揮するのが演劇だと考えれば、虚と実の対峙が現実そのものを揺り動かすという『西の国のプレイボーイ』の筋書きそのものが演劇のメタファーであった。この劇の初演が暴動を引き起こして劇場から屋外に溢れ出る街頭劇の様相を呈したのも、劇作家にしてみれば想定内の出来事であったかもしれない。

 オスカー・ワイルドは「嘘の衰退」(1889年)の中で、芸術が人生を模倣する以上に、人生は芸術を模倣する、と書いている。銘々の現実を生きている不特定多数の観客は、劇場の非日常な空間で或るヴィジョンに触れ、再び現実に戻っていくという振り子運動を繰り返す。もしも、何の行き詰まりも経験しない社会が無いのならば、我々は演劇が持つフィクションの力を手放すわけにはいかないだろう。

坂内 太(さかうち・ふとし)/早稲田大学文学学術院准教授(文化構想学部)

早稲田大学第一文学部英文学専攻卒業、アイルランド国立大学ダブリン校アイルランド文学・演劇学専修博士課程を経て現職。文学博士。専門は身体表象論、演劇論。主な論文に 「Staging Bankruptcy of Male Sexual Fantasy: Lolita at the National Theatre」(Ireland on Stage: Beckett and After所収)、「Not I in an Irish Context」(Samuel Beckett Today / Aujourd'hui 所収)など。