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嶋田 由紀/早稲田大学文学学術院助教(文化構想学部)  略歴はこちらから

毒ガスと原爆の狭間で:カレル・チャペック『絶対製造工場』

嶋田 由紀/早稲田大学文学学術院助教(文化構想学部)

 カレル・チャペックといえば、「ロボット」という語を世に送り出したチェコの作家として有名だ。その彼の作品の一つ『絶対製造工場』(1922)の新訳が出版された。

 タイトルの通り、この作品では「絶対」を「工場」で「製造」するテクノロジーが開発された時に起こる悲喜劇が描かれている。技師マレクは、少量の物質を完全燃焼させ大量のエネルギーを得る機械、「カルブラートル」を開発する。今でいう原子力発電だ。しかし、それと同時にこの機械は、物質に閉じ込められていた「絶対=神」を解放してしまう。この神は顕現するのではなく、光線として降り注ぎ、人々に霊感・啓示を与え、奇跡すら行わせてしまう。これを知った遣り手のボンディー社長は、カルブラートルの利権を買い取り、世界中に売りさばく。結果、カルブラートルの設置された工場で放出される「絶対」は、自律機械よろしく原料を自ら補給し、労働者なしに工業製品を無限に「創造」し続け、世の中に製品の豊穣をもたらすと同時に経済を破綻させ、「絶対」を自らの神と仰ぐ人々の間にその解釈をめぐる紛争を引き起こす。人々の思い描くユートピアがデストピアへと転落する科学小説である。

 ここで、第二次大戦や今日の宗教紛争を例に挙げて、この小説の時代の先取性を指摘することもできるだろう。しかし、『絶対製造工場』の面白さは、むしろ新テクノロジーの表象の仕方にある。

 この作品が『人民新聞』に連載された当時(1921-1922)は、毒ガス応酬戦となった第一次世界大戦の記憶が生々しく残っていた。他方、原子力は一部の科学者によって解明され始めたばかりだった。それ故、放射線=「絶対」の光は、先の大戦で使用された毒ガスのイメージを借りて語られる。ボンディー氏は、「絶対」の光を浴び霊感を得て恍惚としたとき、「笑気ガス」かその類の毒ガスのなせる技だと解釈する。技師マレクは、「絶対」の影響を逃れるために「ガスマスク」をつけ、哲学書・祈祷書・新聞・議事録などあらゆる文字媒体を壁に貼りめぐらし、光の滲出を阻もうとするが、失敗に終わる。このような描写は、新しい技術に遭遇したときの、人々の知覚・認識の困難さを物語っている。もちろん、微粒子状の化学物質である毒ガスと電磁波である放射線とでは、人体に及ぼす影響も遮蔽手段も異なる。しかし、それと気づかないうちに何らかの作用を引き起こすという点での類似から、毒ガスが放射線理解のための表象として使われたのである。放射線が何たるかさえ一般に知られていなかった時代では、既知の物のイメージをもってしか語れなかったのだ。その捉えどころのなさは、知の伝達媒体である文字でさえも、放射線の透過を阻止できなかったことに表れている。

 原爆投下を経験した私たちは、原子力から否応なくキノコ雲を連想するようになってしまっている。『絶対製造工場』は、毒ガスを経験してなお原子力開発の揺籃期にあったからこそ成立しえた作品ともいえる。

カレル・チャペック 飯島周訳 『絶対製造工場』 平凡社 2010年

嶋田 由紀(しまだ・ゆき)/早稲田大学文学学術院助教(文化構想学部)

茨城大学人文学科人文学部独文科卒業、早稲田大学文学研究科を経て現職。専門は身体表象論、メディア論。著書として『纏う』(共著、水声社)、『30日で学べるドイツ語文法』(共著、ナツメ社)、主な論文として「記号化しドット化するコンドームー1987年以降のエイズ予防キャンペーンにみる<生政治>」(『ワセダ・ブレッター』所収)など。