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早稲田評論

▼音楽評

菅野 由弘/早稲田大学理工学術院・表現工学科教授・作曲家  略歴はこちらから

小川典子ピアノ・リサイタル:ベートーヴェン+ Vol.3

菅野 由弘/早稲田大学理工学術院・表現工学科教授・作曲家

 ミューザ川崎シンフォニーホール主催による、小川典子ピアノリサイタル「ベートーヴェン+ Vol.3」が、雪の日の建国記念日、2011年2月11日に行われた。2009年より3年間にわたり続けられてきたシリーズの3回目、今年で最終回を迎えた。小川典子は、日本で最も活躍している中堅クラスの一人で、ロンドンと東京を拠点に,一年の半分以上は海外での活動に充てているピアニストである。年間の約30日は国際フライトの空の上、という活躍ぶり。さて、その小川が3年間にわたって9曲のベートーヴェンのピアノ・ソナタを演奏してきた最後に当たる今年は、ピアノ・ソナタ30番、31番、32番(作品109、110、111)という、人生の全てをかけたと言っても過言ではない作品、それだけに、精神的にも技術的にも非常な高さを要求される難曲を、休憩無しで続けて演奏するという、快挙で締め括った。途切れることのない集中力から紡ぎ出される音楽は、ベートーヴェン晩年の人生の主題循環と、螺旋状の上昇を見事に描き切った。渦巻くようなエネルギー放出のあとの静寂は、忘れ得ない印象を人の心に残すものであった。

照明を駆使した舞台

 「ベートーヴェン+」と題された「プラス」の部分は、ミューザ川崎シンフォニーホールと小川典子に共同で委嘱された拙作「虹の粒子」――ピアノと歌舞伎オルゴールのための、である。こちらも3年間に渡り3作、2009年「光の粒子」――ピアノと南部鈴のための、2010年「水の粒子」――ピアノと明珍火箸のための、と作曲してきた。活動の殆どが海外である小川が、自分の表現として「日本的な何か」を持った作品を弾きたい、ということと、ミューザ川崎シンフォニーホールが、川崎発の音楽を世界に出したい、ということから始まった3作品、前2作は既にイギリス、ノルウェー、ニュージーランド、フランスなどでも演奏され、BBC放送、この3月にはNHKでも放送される。今回の「虹」も5月にはロンドンで、2012年6月にはマンチェスターで3曲続けての演奏が予定されているので、それらの評価を待つが、既に拡がり始めている。

 もう一つ重要なことは、この企画が、「音楽の街・川崎」を標榜する「ミューザ川崎シンフォニーホール」から生れたということである。いわゆる「箱物行政」が取りざたされて久しいが、川崎発の音楽を世界に発信するという事業は大いに評価されて良い。やや乱暴に言えば、ポップス系音楽は街を活性化し、クラシック系音楽は街のブランドイメージを高め、治安の向上と維持に資する。この費用対効果は、公共経済の論に委ねるが、決して小さなものではない筈だ。雪の中、帰途につくお客様の「暖かく高揚した背中」を見つつ、音楽は人の心に豊かさをもたらすことを確信したコンサートであった。

小川典子の演奏:ピアノと歌舞伎オルゴール

小川典子と菅野由弘:歌舞伎オルゴールの説明

ミューザ川崎シンフォニーホール

菅野 由弘(かんの・よしひろ)/早稲田大学理工学術院・表現工学科教授・作曲家

東京芸術大学大学院作曲専攻修了。79年「弦楽四重奏曲」がモナコ・プランス・ピエール作曲賞。94年、電子音楽「時の鏡Ⅰ ―風の地平」がユネスコ主催IMC推薦作品、02年「アウラ」でイタリア放送協会賞受賞。作品は、国立劇場委嘱の雅楽、聲明、古代楽器のための「西行―光の道」(春秋社刊)、NHK交響楽団委嘱のオーケストラ「崩壊の神話」、NHK大河ドラマ「炎立つ」、NHK「フィレンツェ・ルネサンス」など。