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演劇におけるフィクションの力と現実の変容 第三回

坂内 太/早稲田大学文学学術院准教授(文化構想学部)

坂内 太/早稲田大学文学学術院准教授(文化構想学部)  略歴はこちらから

 演劇的なヴィジョンの連携と言うべきだろうか。お互いを直接参照していないはずの異なる国の舞台が、重要な瞬間に同じ方向を向いて困難なテーマを取り上げることがある。近年では、或る土地を占める者の拠り所というテーマがその一つだろう。

 2007年にアイルランドのアビー劇場で初演された『キッキング・ア・デッド・ホース』では、ニューヨークの大物美術商が馬に乗って荒野に繰り出す様を描いている。この主人公は、アメリカ西部を白人の視点から描いた古い絵画の転売で富と名声を得た後、自らの人生の「真正さ」を確かめる旅に出るが、広大無辺な荒野に乗り出した途端に馬が頓死する。プロットの中心にあるのは、この馬を埋葬する穴を掘る行為だが、掘るにつれて土地の歴史の断片が呼び起こされ、主人公の精神的な拠り所を破壊していく。

 大陸横断鉄道の敷設やインディアンに対する弾圧など、西部開拓史の目印を喚起しつつ馬に乗って「今ここ」ではない別の場所に赴くのは、西部劇で馴染み深い土地を通過しながら鉄の馬に乗って水平移動する映画『イージーライダー』と呼応するが、劇的行為の核には、現在の自分たちの「真正さ」を揺さぶる垂直の移動がある。こうしたアメリカの自己批評的な物語がアイルランドで上演されて共感を呼ぶのは、驚くべき保存能力を発揮する泥炭沼から現実に発掘された鉄器時代の生け贄の遺体を、現代の北アイルランドのテロの犠牲者達と結んだシェイマス・ヒーニーの詩の如く、わずか数メートルの垂直の運動が、その土地の上に構築された社会の「正しさ」を揺さぶるケルト文化の経緯と共鳴するからに違いない。

 同じく2007年に、日本では劇作家・演出家の宮沢章夫が『ニュータウン入り口』を上演して、新興の大団地から成る小都市の地下に、その拠り所を覆す力を読み取ろうとした。コンクリートで覆われた地面と剥き出しの土の部分がチェス盤のように入り組む様子を舞台美術で表し、都市建築の間の土の部分を、久しく押さえ込まれてきた過去の歴史が姿を現しかねない開口部と見なしている。さらには民族的な「真正さ」を裏付けるかのように掘り起こされる遺跡の有り様と、現実に起こった遺跡捏造事件とを重ねることで、土地を占める人々の視点から見た存在の拠り所の危うさを描いている。

『モーターサイクル・ドン・キホーテ』(撮影:坂内太)

 宮沢章夫は、アイルランドで『キッキング・ア・デッド・ホース』が開幕する前年の2006年には、すでに『モーターサイクル・ドン・キホーテ』で、こうした垂直のロードムービーとでも言うべきテーマを示唆していた。この劇では、オートバイによる「どこか別の場所」への水平移動の旅から帰還した登場人物が、その後、「今ここ」を読み替えようとする静かな変革の予感をもたらしていた。昨年上演した『ジャパニーズ・スリーピング』では、舞台の床を鏡張りにして、絶えず真逆の世界が見えている上下の緊迫を作り出し、安息な眠りをもたらす理想の土地を模索する登場人物達の言動に、絶えず裏返しの姿を寄り添わせるような不穏な空間を足下に展開して見せた。今この場に構築されていく社会の土台を峻厳に検証することは、この劇作家が常に考え続けているテーマの一つに思われる。

『モーターサイクル・ドン・キホーテ』(撮影:坂内太)

 これら二つの国の舞台は、お互いを直接参照することなく別個に存在しているのだが、困難な問題を扱いながら、演劇的ヴィジョンを通じて連携しているかのような感覚を生んでいる。

 こうしたヴィジョンの偶然の連携それ自体が、取り組まれている主題の同時代的な重要性を裏付けている。観客は、芝居が終わった瞬間に、演技を終えた俳優達と向き合いながら、それまで見ていた舞台とその演劇的なヴィジョンにどのように反応するのか、なおさら能動的な選択を迫られることになる。カーテンコールに、すべてが片付いたカタルシスよりも、むしろ持続的な緊張を感じるのは、そのためだろう。

坂内 太(さかうち・ふとし)/早稲田大学文学学術院准教授(文化構想学部)

早稲田大学第一文学部英文学専攻卒業、アイルランド国立大学ダブリン校アイルランド文学・演劇学専修博士課程を経て現職。文学博士。専門は身体表象論、演劇論。主な論文に 「Staging Bankruptcy of Male Sexual Fantasy: Lolita at the National Theatre」(Ireland on Stage: Beckett and After所収)、「Not I in an Irish Context」(Samuel Beckett Today / Aujourd'hui 所収)など。