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早稲田評論

▼映画評

長谷 正人/早稲田大学文学学術院教授(文化構想学部) 略歴はこちらから

『風の谷のナウシカ』(宮崎駿監督、1984年)
困難のなかを生きる科学者としてのナウシカ

長谷 正人/早稲田大学文学学術院教授(文化構想学部)

 311以降にどんな映画を紹介すべきなのか、随分と迷ってしまった。コーエン兄弟の西部劇『トゥルー・グリッド』の、少女が崖の上から眺める銃撃戦の場面の面白さについて語ろうか、それともアカデミー賞作品『英国王のスピーチ』の、ラストのスピーチにBGMを被せて言葉の力を殺してしまう監督の凡庸さについて語ろうか、などとあれこれ考えてみた。だが結局、新作映画について語ることを断念し、日本人なら誰もが知っているこの名作アニメ映画を紹介することにした。それが、311以降の日本社会を生きる私たちの気分に最も相応しいと感じたからだ。

 どんな気分か。むろんこのSFアニメに描かれているような、文明の決定的な破局が起きてしまった後、汚染された空気に脅えつつ辛うじて生きている人びとの終末論的世界が、いま原発から撒き散らされた汚染物質に脅えて暮らす、東北・関東地区の人間たちの状況を否応なく想起させてしまうからだ。「汚れているのは土なんです」とか「腐海の毒に侵されながら、それでも腐海と共に生きるというのか」といった登場人物たちの台詞が、いちいち作品の文脈を超えて、いまの私たちに突き刺さってくる。実際、ヒマワリや菜の花で放射能汚染された土壌を浄化しようというナウシカの世界のようなプロジェクトも試みられているようだ。

 だが、そうしたこと以上に印象的なのは、救済者ナウシカの「科学者」としての姿だ。ほかの登場人物たちは、自分たちを滅ぼそうとする自然の圧倒的な力にただ脅えて慎ましく過ごそうとするか、それとも大量の火力を使って腐海を焼き払って自然を征服しようとするか、そのどちらかの立場に立とうとする。だがナウシカは違う。自然の脅威を認めつつ、それがいかなるメカニズムによって成り立っているかを科学的に把握して、人間が生き延びる可能性をそのメカニズムの作動のなかに探ろうとするのだ。

 そして彼女は、城の地下に自分の実験室を作って、腐界に群生する毒を放つ植物が、清浄な水と土で育てれば毒を発しないことを証明してしまう。あるいは人間にときとして襲いかかる巨大な毒虫・王蟲(オウム)の生物学的習性を冷静に観察して、その怒りを、虫笛などを使って鎮めてしまう。こうした科学的認識による、善悪二元論的な世界観のコペルニクス的転回が、本作の魅力の中心となっていることは間違いないだろう。

 ナウシカは、しばしばエコロジーの象徴や自己犠牲を払う崇高なヒロインとして見られてきたが、それはいささか単純すぎるだろう。どのような手遅れの状況にあっても、冷静に世界を認識し、人間の生き延びる可能性を探求すること。その科学的理性をふるう姿が、破局後を生きている私たちに希望を与えるのだ。311以降、災害下で芸術は無力なのではないかという議論が随分とあった。しかし想像力を芸術的に発揮することが、いかに人間の可能性を広げるかを、本作は痛いほど教えてくれる。

長谷 正人(はせ・まさと)/早稲田大学文学学術院教授(文化構想学部)

早稲田大学第一文学部社会学専攻卒業、大阪大学大学院人間科学研究科中途退学。千葉大学助教授などを経て現職。
専門は映像文化論、コミュニケーション論。
主著として『映画というテクノロジー経験』(青弓社)、『映像という神秘と快楽』(以文社)、『コミュニケーションの社会学』(共編著、有斐閣)、『テレビだョ!全員集合』(共編著、青弓社)など