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早稲田評論

▼映画評

長谷 正人/早稲田大学文学学術院教授(文化構想学部) 略歴はこちらから

『J・エドガー』(クリント・イーストウッド監督、2011年)
情報操作の権力者を、愛おしく感じさせてしまう奇跡的な演出

長谷 正人/早稲田大学文学学術院教授(文化構想学部)

 映画は、監督のメッセージや歴史的事実を情報として伝えるコミュニケーション・メディアではない。本作は痛いほどそのことを教えてくれる。

 むろん『J・エドガー』という題名を持つ本作は、1935年から72年までFBI長官を務めたJ・エドガー・フーバーという歴史的人物の歩んだ足跡を、歴史的・評伝的事実に基づいて描いて行く。だから私はこの作品から多くの情報を教えられた。フーバーが国会図書館の図書検索システムを作り上げ、警察に犯罪者の指紋検索システムを導入するなど科学的捜査を推し進めた人物であること。1932年に起きたアメリカの国民的ヒーロー、チャールズ・リンドバーグの愛児誘拐事件の捜索にフーバーが関わったこと。フーバーが歴代大統領など要人たちのプライバシーを「極秘ファイル」として持っていて、大統領たちから恐れられていたこと。フーバーが、映画、ラジオ、コミックなどのメディアに情報を提供して、自分とFBIのイメージを高めるのに利用したこと。

 そのように様々な情報操作によって自らの権力を維持した人物であるフーバーを、もちろん本作は批判的に描いている。例えば、フーバーが黒人解放運動の父・キング牧師をアメリカの敵だと断じて、下品な言い回しの脅迫状を送ってノーベル賞受賞を阻止しようとする場面などは、明らかに彼の狂信主義的な側面を批判的に描いていると言えるだろう。また彼の身長の低さに対するコンプレックス、強い母親へのコンプレックス、副官との同性愛的な関係、女性からの誘惑に対する恐怖など、彼のあまり知られざる私生活を丁寧に描写するところも、彼の英雄としてのイメージを打ち壊すのに十分なスキャンダル性を持っていると思う。

 にもかかわらずこの映画を見終わって、私は少しもフーバーに対して批判的な感情を持っていなかった。確かに彼はそういう狂信主義的な愛国者で、特異な性癖を持っていたのだろうということに納得しつつも、不思議なことに彼に愛情さえ感じていた。なぜだろうか。イーストウッド監督がそのような脚本を手にしながら、決して映画というメディアを利用して彼を悪役に引きずり下ろそうと演出しなかったからだろう。だから観客の中には、こういう人物が世の中にはいるのだという事実を認めようとするかのような奇妙な気持ちが生まれる。

 そのようなイーストウッドによるフーバー像の描出の仕方こそ、フーバーが自分を英雄化するために映画や漫画を情報メディアとして利用した姿勢を根底から覆すものであろう。敵を憎む者は、敵と似た姿になってしまう。だからフーバーとは反対に、イーストウッドは、映画を情報として利用するのではなく、あえて愛情を持ってフーバーの虚飾の姿を描いた。だから、このスキャンダルに満ちた映画は、とてつもなく上品で倫理的な映画に見える。その倫理性は、私たちの生き方までをも静かに揺さぶってくる。

長谷 正人(はせ・まさと)/早稲田大学文学学術院教授(文化構想学部)

早稲田大学第一文学部社会学専攻卒業、大阪大学大学院人間科学研究科中途退学。千葉大学助教授などを経て現職。
専門は映像文化論、コミュニケーション論。
主著として『映画というテクノロジー経験』(青弓社)、『映像という神秘と快楽』(以文社)、『コミュニケーションの社会学』(共編著、有斐閣)、『テレビだョ!全員集合』(共編著、青弓社)など