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東京演劇アンサンブル「荷(チム)」~「あなた」に届く「あなた」からの荷物~

間瀬 幸江/早稲田大学文学学術院助教

間瀬 幸江/早稲田大学文学学術院助教  略歴はこちらから

「あなたの荷物です」「いいえ、これはあなたのものです」「送り返さないでください」「もう送ってこないでください」

 舞台中央にぽつんと置かれた宅配便の中は、黒ずんだ布包みがひとつ。それを冷たくなすり合う日本人女性と韓国人男性。鄭福根(チョンボックン)作、坂手洋二演出の「荷(チム)」(2月24日~3月4日、ブレヒトの芝居小屋)の冒頭の場面である。しかし、日韓の俳優の熱演と、肉体感覚をダイレクトに伝える音響(大友良英)と振付(矢内原美邦)、そして対面式の客席に挟まれ劇場をつらぬく独特の装置との力強い調和を経て、冷たいなすり合いが血の通うぬくもりへと変容する。その変容の過程を固唾をのんで見守る、圧巻の一時間半であった。

 縦糸となっているのは、1945年8月、戦時中に日本で強制労働に従事させられていた朝鮮人労働者とその家族を乗せた船が、朝鮮半島に向かう途中、舞鶴湾内で沈没し多数の死者を出したという「浮島丸爆沈事件」である。事件に巻き込まれることになる朝鮮人労働者たちの帰国への渇望感と、爆沈の噂を事前に耳にした日本人たちの思惑。そして海に沈む船が引き裂いたある男女の運命。片手を切り落とされ慰安婦として働かされてきた女は、未来を誓った男の荷物を抱いて日本に漂着するが、荷物を残し孤独な最期を遂げる。一方、横糸となるのは、残された荷物から現れ出る死者たちの亡霊におびえる日本人と、忌まわしい過去に背を向けたい韓国人との間で延々続く、荷物を手放すための綱引きである。

 帰国を前に歓喜する朝鮮人たちの着衣は、小脇に抱えられた布包み同様、汗と泥にまみれて薄黒い。地面を踏み鳴らす足音の躍動感が群舞と連動し、生きた身体ひとつひとつの重みと、あたたかな仲間意識とが伝わってくる。しかしこの「薄黒さ」と「身体の重み」の効果はそのまま、船が沈む場面の悲壮感へと転じる。なけなしの個体性をはぎ取られ、ぼろ布のようにどろりと折り重なっていく身体と、残されたただひとつの「荷」とが、等号で結ばれる。

 「荷」の中身は開示されない。発せられている真の問いはむしろ、それを見つめる私たちの視線のありかたである。「あなたの荷物です」は確かに、冒頭では糾弾の言葉として発せられる。しかしその「荷」が投げ込まれていた煉獄を目の当たりにした観客は、幕切れで再度向き合う二人の俳優が発するこの言葉に、「あなた」と名指されたことを自覚する。そこに糾弾は感じられない。そうではなくてむしろ、“何かを背負っている自分に、誰かが語りかけてくれている”かのような、そんな響きを受け取る。

 責任の所在が問題となると私たちはどうしても、釈明と糾弾のいずれかに終始する。あえて目を見開けば、もっと別次元の思考回路があるかもしれないが、目を見開く方法は自分一人では見つけられない。しかし、一人では成立させられず複製もできない演劇という非効率的な営みのなかには、一人では到底出せない答えに近づくための手掛かりが隠れていることがある。そんなことを思い出させてくれる、重厚な舞台だった。

間瀬 幸江(ませ・ゆきえ)/早稲田大学文学学術院助教

早稲田大学第二文学部文芸専修卒業。早稲田大学文学研究科、リヨン第二大学文学部博士課程を経て現職。専門はフランスを中心とした西洋演劇テクスト論、演出論。著書として『小説から演劇へ―ジャン・ジロドゥ 話法の変遷』(早稲田大学出版部)、主な論文として「フジタとジロドゥ――知られざる《邂逅》をめぐって」(『比較文学年誌』第47号所収)など。