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真保 晶子/早稲田大学社会科学総合学術院助教
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V.パパネック『生きのびるためのデザイン』(1971年)再考

真保 晶子/早稲田大学社会科学総合学術院助教

 授業は、できあがった舞台というよりも、「全編稽古中・常時更新中」という名の作品だといえるかもしれない。参加する人々によってつくられ、その意味も内容も深められていく。例えば、筆者自身、その前年、別の授業に1年間出席していただいたMさん(3年生)の影響で、アフリカに関心を持ち、現地の手仕事を扱ったフェアトレード製品についての回を、新しい科目に取り入れた。同じく、Sさん(4年生)のファッションと現代への洞察は、デザインと歴史との関係をより深く考える問いを含めることへつながった。そのようにして、今学期、筆者が社会科学部で担当した授業のひとつ、「デザインの歴史と思想」では、19世紀末から現代までの様々な国の事例を通し、ディスカッションをしながら、クラス皆で、デザインとは何か、どうあるべきかを考えたのだった。

 オーストリア出身のアメリカのデザイナー・教育者、ヴィクター・パパネック(1923-1998年)のDesign for the Real World: Human Ecology and Social Change(日本語訳題名『生きのびるためのデザイン』)も、この問題に真正面から問いかけるものとして参考になる。パパネックは、大量生産・大量消費に加担する当時のデザイン関係者を痛烈に批判するとともに、自らのアイデア・実践をもとに、環境・福祉・発展途上国のためのデザインへの視点を提起した。アメリカ合衆国ではいくつかの出版社に拒絶されながらも、1971年に出版に漕ぎ着けたこの本は、その後、世界中で多くの言語に翻訳され、現在まで読み継がれている。1974年に発行された日本語版も、出版元の晶文社によれば、2011年末現在21刷まで版を重ねている。また、近年、ヴィクター・パパネック財団が開設されるのを機に、ウィーンのデザイン史家たちによる、この本のデザイン史上の再評価も活発に行なわれている。特に、この本が提起したデザインの環境問題への積極的な取り組みは、今日につながる原点として大いに評価されている。

 一方、発展途上国や福祉の目的のためにパパネック自身が考案したデザインは、人々が本当に必要としているデザインは何なのかという問いに基づいていた。1960年代末にこの本を執筆したパパネックの主張の根底には、人々の「本当の要求を考慮することなく、もっぱら頂点の付近のわずかな部分に関心を向けているにすぎない」物への疑問や、「だれもが本当に必要としているというわけでもないのに、あらゆる大きな商店の一階を埋め尽くしているような品物を生産すること」への疑問があった。そして、「少数者」といわれる人々が実際は大多数を占めるのだというパパネックの主張は、次のような言葉に集約される。「これでもまだわれわれは少数のためにデザインしているというのだろうか。実際はこうなのだ。われわれはみんな、人生のある時期には子供であるのだし…ほとんどすべてがおとなになり、中年になり、そして老人になるのだ…もしこれらの『特殊な』要求をすべてまとめてみるならば、われわれは結局は多数のためにデザインしたことになるのだ…」

 だが、デザイナーの責任や役割が強調される一方で、ユーザー・クライエント・消費者のデザインへの参加の具体的な方法や実践例はほとんど説明されていない。この本でひとつだけ残念なのはこの点である。パパネックがめざしたデザインは、それを「本当に必要としている」人々が全面的に参加する過程によってこそ実現するものであったはずだからである。消費者・読者・観客・鑑賞者 -- 歴史上、あらゆる分野で、あらゆる作品や製品を作者とともにつくりだしてきたのは、このような共同制作者なのだ。

ヴィクター・パパネック著・阿部公正訳『生きのびるためのデザイン』(晶文社、1974年)

真保 晶子(しんぼ・あきこ)/早稲田大学社会科学総合学術院助教

2007年ロンドン大学ロイヤルホロウェイ歴史学研究科博士課程修了(PhD)。2010年4月から現職。専門は、18-19世紀イギリス文化史・社会史・デザイン史。ロンドン大学での博士論文をもとにした単行本Furniture-Makers and Consumers in England 1754-1851: Design as Interactionは、Ashgate Publishing (UK) から出版される予定である。論文に、「生産者と消費者の対話としてのデザイン ― 18世紀後半イングランドの注文家具生産の事例」(『デザイン史学』第9号、2011年)などがある。