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真保 晶子/早稲田大学社会科学総合学術院非常勤講師 略歴はこちらから

オリンピックの夏に読むイギリス文化

真保 晶子/早稲田大学社会科学総合学術院非常勤講師

 この夏、イギリスはオリンピック開催国として新たな注目を浴びている。日本で一般に受け入れられている「イギリス」は、郷愁、伝統、くつろぎと関連するようだ。過去2年間に出版されたイギリス関連の本のリストを見ると、学術書は文学・歴史・政治・法律・医療・福祉・教育など多岐に渡るが、一般書では旅と語学の他は、紅茶、庭、田舎という特定のキーワードに彩られているものが多い。

 どの国についてもそうであるように、ひとつの国の文化を1冊で理解することは容易ではない。私が社会科学部で昨年度まで2年間担当した英書研究(現代イギリス文化)の授業では、Michael Storry and Peter Childs (eds.), British Cultural Identitiesを輪読し、イングランド・ウェールズ・スコットランド・北アイルランドの4つの国、都市と地方、移民、教育、階級、政治、家族、若者など、毎回様々な角度からイギリスのアイデンティティを共に学んだ。最近になって、下楠昌哉編『イギリス文化入門』があることを知った。この本は、地理、歴史、文学、宗教、音楽、映像、美術、スポーツ、教育、政治など、多くの章から構成された概説書で、日本語でイギリス文化の全体像を知るよいきっかけになる。

 イギリスらしさとは何か。もちろん見る人によって異なるであろう。素敵な物はあるが値段も高い、全体に店・品数が少ない、閉店時間が早い所もある、と嘆く人もいる。私が滞在したイングランド南部に対する個人的な印象は、店や駅でいらいらしているような人をあまり見かけないこと、列に並ぶ間、知らない人と世間話ができること、電車の中で人々が新聞を共有することなどたくさんある。しかし、産業革命といわれる18世紀後半から19世紀前半の工業化期における生産者と消費者の関係について研究しようとしていた私の目に最初に留まった21世紀初めのイギリスは、街中に自動販売機が少なく、あったとしてもそれには目もくれず、人間から直接買うために並んでいる人々の列であった。

 工芸家・詩人・社会運動家ウィリアム・モリス(1834-1896)の『ユートピアだより』の次のような一文を読んだとき、その様子を思い出した。「人々は、あたかも自分自身のために造っているかのように、隣人たちに使ってもらうために物を造るのです……われわれは今では自分たちが何を必要とするか知り得たので、必要以上には物を造らないのです……手でするのが楽しい仕事はすべて、機械を用いずに行われます……」。これは、19世紀後半を生きる主人公が未来のイギリスに迷い込み、その住人から聞いたたくさんの言葉のうちのひとつである。この話の結末で、主人公は19世紀に帰ってくる。しかし、自分がそのことに落胆してはいないことに気付くのだ。しかも理想社会にいる間も、彼はそれを外から眺めているという意識を持っていたという。(さらにいえば、言動の端々から、彼はその理想社会を全面的には信じていないようにすら見える。)そして、彼は、未来で出会った人々の心の声を聞く。その社会を見たことで希望が増し、前よりその分幸福になるように、新しい時代を少しずつ建設していくようにと。

 全体であろうと、断片であろうと、自分自身の目が捉えた別の文化は、自分の心が求めるものの表れである。それは、自分が何故それに惹き付けられ、どのようにそれを自分の家に、街に、人々に、あるいは社会の仕組みに広げていきたいのかという問いへとつながっていくのだ。

Michael Storry and Peter Childs (eds.), British Cultural Identities (3rd edition) (Routledge, 2007).
下楠昌哉編『イギリス文化入門』(三修社、2010年).
ウィリアム・モリス著 松村達雄訳『ユートピアだより』(岩波文庫、1968年)原著はNews from Nowhere (1890).

 

真保 晶子(しんぼ・あきこ)/早稲田大学社会科学総合学術院非常勤講師

2007年ロンドン大学ロイヤルホロウェイ歴史学研究科博士課程修了(PhD)。早稲田大学社会科学総合学術院助教(2010年4月-2012年3月)を経て、4月から現職。専門は、18-19世紀イギリス文化史・社会史・デザイン史。ロンドン大学での博士論文をもとにした単行本Furniture-Makers and Consumers in England 1754-1851: Design as Interactionは、Ashgate Publishing(UK)から出版される予定である。論文に、「生産者と消費者の対話としてのデザイン ―  18世紀後半イングランドの注文家具生産の事例」(『デザイン史学』第9号、2011年)などがある。