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小沼 純一/早稲田大学文学学術院教授  略歴はこちらから

真夏の日、野外コンサートにて

小沼 純一/早稲田大学文学学術院教授

 夏に音楽を聴く機会などあまりなくなどと洩らそうものなら、いつの、どこのことかとぽかんとされるのは必定である。いまや空調をそなえたホールではいくらでもライヴやコンサートをやっているし、野外での催しも多い。都市部をはなれたところでの音楽祭だってある。

 雲さえときにながれる程度の青空がつづいていると、炎天下の野外コンサートに行くのはいささか、というより、かなり億劫だ。何をまたわざわざと愚痴りたくもなる。だが、このわざわざを忘れ、さっきまでの気後れが吹き飛ばされるのだ。逆にこの暑さのゆえに、ひとの多さ、音の大きさゆえに。

 駅をおり、目的地へとつづく横断歩道で信号待ちをしていると、音が聞こえてくる。そこ、に音楽がある、そこ、で演奏がおこなわれている

 8月12日、夢の島公園陸上競技場、『ワールド・ハピネス 2012』。開演の12時30分を10分ほど過ぎていただろうか。そばにいる人たちの足どりがこころなしか軽く、そしてはやく、なる

 ステージは大と中がある。一方で演奏がおこなわれていればもう一方では次の準備がなされ、だれたセッティング時間などまるでなく、15のアーティストがスムーズに交代してゆく。持ち時間は20分か30分、もう少し時間がとられていたのはスーツ姿でみごとなダンス・ステップを踏んだ岡村靖幸と30年前のオリジナルとは大きく異なったサウンドを聴かせてくれたYMOくらいだったろうか。観客は任意にシートを敷いて、好みのアーティストの演奏を楽しみ、適宜はなれて、「屋台村」やグッズ・ショップを冷やかしたりする。反対側に熱帯植物園がみえる多目的コロシアムの周囲には樹木もベンチもあるから、炎天を避けて休むこともできる。

 ステージにむかえば音楽を全身で浴びることができる。武道館や東京ドームのように囲われていないから、音はもっと自由に散ってゆき、屋台村や木々をぬけ、草むらまでやわらかく届いてゆく。そこでは蝉時雨と音楽が、そばにいるひとの会話や笑い声が、おなじ空気を振動させながら、まじりあっている。ときには屋台村や近くのひとの手にするものの匂いが漂ってもくる。

 目当てのアーティストを存分にからだを動かしながら聴くのはもちろん、そこから距離をとり、ほかのアーティストの音楽をBGMにうとうとするのも楽しい。特に意識しないでも、ここにはずっと、音楽がある。音楽がなくてもいいところに音楽がもたらされるのではなく、音楽があっていい、それがこの数時間の特権性なのだとどこかでわかっている、その自由さ。それがゆえの開放感。

 真夏の日、戸外だから、大勢のひとが集まっているからこそ体感できる音楽のありようが、音楽と空間、時間の体験が、野外コンサートにある。音楽は、このとき、ステージからPAをとおして、ではなく、その時間と空間のなかに満ちている。

小沼 純一(こぬま・じゅんいち)/早稲田大学文学学術院教授

1959年東京生まれ。学習院大学文学部フランス文学科卒業。音楽批評・音楽文化論。

第8回出光音楽賞(学術・研究部門)受賞。
主な著書に『著書に『武満徹 音・ことば・イメージ』『魅せられた身体 旅する音楽家コリン・マクフィーとその時代』『ミニマル・ミュージック』(以上、青土社)、『バッハ「ゴルトベルク変奏曲」世界・音楽・メディア』(みすず書房)。
新刊に『オーケストラ再入門』(平凡社新書)。