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イメージが綴る恋文:「遺影」の林を歩く―志賀理江子展『螺旋海岸』

間瀬 幸江/早稲田大学文学学術院助教

間瀬 幸江/早稲田大学文学学術院助教  略歴はこちらから

 せんだいメディアテークで開催中の展示『螺旋海岸』を、三時間かけて堪能した。前回に続き、演劇評のコラムにいわゆる「演劇」について書かないのが少々後ろめたくはあるが、この展示が持っていた、来訪者の日常に亀裂を生み異空間を体感させる「演劇的」な境界侵犯力について、どうしても触れたい。

 スケルトンのエレベーターを6階まで上がると、高さ2メートルはあろうかという大型の立看板のようなものがフロア全体に200余枚、こちらに背を向けて乱立している。いきもののようにそそり立つそれら一つ一つに貼られているのは、2008年から宮城県名取市北窯に住み始め、土地を呼吸し身体に取りこむ/撮りこむように暮らしてきた志賀理江子がカメラでとらえたイメージたちである。来館者すなわちこのスペクタクルの「観客」は、入口で手渡される展示の「地図」を頼りに、思い思いの方法で作品を「読み解く」よう促される。「作品制作の大きな目的は、遺影のまなざしがどこを見ているのかを探り、辿って、その先にどこにいきつくのかを知ること」(「地図」より)であるとの写真家本人からのメッセージを羅針盤に「観客」は、その「遺影」なるものを眺める。巨大な漂流物のようなものを首まわりにまといぼんやりと前を眺める男性の姿、スーツを着てたたずむ男性の全身が無造作に写り込むパネル、光を浴びて白く光る巨大な土塊らしきものの群れ、あるいはひとつの像も結ばぬ漆黒の闇……。そして、場内数箇所にまるでそれ自身も展示物であるかのように設置されているソファーに座り、ふと訪れる眠気を味わいながら、鬱蒼と生い茂る松林のようなパネルの群れを遠目に見渡すこともできる。このとき来場者は、その自覚もないままに、作家の仕組んだ演劇的空間にすでに迷い込んでいる。

 志賀は北窯に、「一目で恋に落ちる」(※1)ような感覚に憑かれて住み始めたという。時間をかけてこの異空間を味わうほどに、惚れ込んで移り住んだ場所に「からだごと」関わり続けてきた作家の頭の中を、覗き見ているような気持ちになる。心地よい感覚である。

 会期は2013年1月14日まで。会場の形状そのものが展示レイアウトの骨格をなしていることもあり、巡回展の予定はないと聞いた。

※1志賀理恵子と北窯地区との「なれそめ」については、次のふたつの資料に詳しい。
【わすれンTV311】濱口竜介監督、酒井耕監督ドキュメンタリー映画「なみのこえ」制作会議【かたログ】Vol.10.志賀理江子インタビュー「まちの写真屋さん」『あいだ』194号(『あいだ』の会、2012年7月20日)

間瀬 幸江(ませ・ゆきえ)/早稲田大学文学学術院助教

早稲田大学第二文学部文芸専修卒業。早稲田大学文学研究科、リヨン第二大学文学部博士課程を経て現職。専門はフランスを中心とした西洋演劇テクスト論、演出論。著書として『小説から演劇へ―ジャン・ジロドゥ 話法の変遷』(早稲田大学出版部)、主な論文として「寺山修司におけるジャン・ジロドゥからの影響―ラジオドラマ『大礼服』論」(『演劇学論集』紀要54号所収)、“Les sons sauvent les vies ; Souvenirs acoustiques de 4.48 psychose de Sarah Kane mis en scène de Norimizu Ameya”, Théâtre/Public 197, 2010.「フジタとジロドゥ――知られざる《邂逅》をめぐって」(『比較文学年誌』第47号所収)など。