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小沼 純一/早稲田大学文学学術院教授  略歴はこちらから

音楽のデータ化とサウンドスケープ

小沼 純一/早稲田大学文学学術院教授

 いろんな音楽に興味はあるんですけど、ジャズやクラシックを聴くと、あのリヴァーブが気持ち悪くてやめちゃうんです。あれは何なんですかね?

 何年か前の学生からの質問である。そのときにはぴんとこなかったのだが、この学生、アコースティックな楽器が演奏される場に居合わせた経験がなかったのだ。詳しいことはわからない。義務教育の期間でも音楽室はあっただろうし、そこでピアノの音を耳にしたことだってあるはずだ。おそらくはあまり気にしていなかったのだろう。

 いわゆる公害なるものは20世紀の半ばには広く指摘されるようになってきて、はじめは大気や水質、それから騒音と広がっていった。1960年代になると、カナダの作曲家マリー・シェーファーがサウンドスケープという概念を提出するようになる。それぞれの土地、場所には固有の音がある。近代化、都市化されてゆくにつれて、こうした固有性は失われ、画一化してくる。音の環境に対してのみならず、シェーファーはひとの耳、聴き方についてあらたな注意をうながす。なかでも印象的なことばは「耳にはまぶたがない」であろう。

 変化がすぐに「目にみえる」ことども、視覚的に把握できることどもに対し、音にかかわるものは通り過ぎてしまうし、すぐ忘れてしまう。かたちとして残らない。だからついついないがしろになる。それでも文字どおり「みえない」ところで心身を損なうことがある。

 一方、さまざまな電子機器に視聴覚両面での機能が搭載されることで、音・音楽が携帯できるもの、より身近なものになった。同時に、音質への要求は低くなり、アンプやスピーカーへの関心は急落し、メーカーでの音響部門は予算削減を余儀なくされている。ヒットチャートをにぎわすアイドル系グループはといえば、その音源は携帯型のイヤフォンで聴くことを前提としてつくられている。

 録音機材も簡便になっている。音楽の録音もコンピュータによるDTM(デスクトップ・ミュージック)が多くなり、データとして音楽を処理するようになると、録音の技術者が生の楽器を録音する際にどういうふうにマイクをセッティングしたらいいかわからない、さらには楽器そのものの名称とかたちが一致しないことがざらだということがおこってくる。およそ半世紀前、ニューヨークの辣腕なエンジニアは、1台のピアノの演奏を録音するにあたって、五十通り以上ものマイク・セッティングを熟知していたというはなしを聞くと、隔世の感があるだろう。

 こうした状況をおもいつつ、冒頭の学生の質問をおもいかえしてみたらどうか。おそらくこの学生は特別ではない。ないはずだ。

 サウンドスケープとは、先に記したように、場所や空間といったニュアンスを含みこんでいる。だが、敢えてその概念を拡張して、たとえこの語をつかわずとも、個人のいる、身をおくところというところまで想定したうえで、音の環境というのを考えていったほうがいい、考えるべきではないか。具体的なさまざまな音の環境をとらえなおしたうえでこそ、音でくみたてられた音楽、あるいは音そのものとひと、いや、生命体とのつながりを考えることができるだろう。個々のアーティストや作品はもちろん大切だ。だが、それが成りたつ場をもあわせてとらえる。ここしばらくわたしが考えているのはそんなことだ。

小沼 純一(こぬま・じゅんいち)/早稲田大学文学学術院教授

1959年東京生まれ。学習院大学文学部フランス文学科卒業。音楽批評・音楽文化論。

第8回出光音楽賞(学術・研究部門)受賞。
主な著書に『著書に『武満徹 音・ことば・イメージ』『魅せられた身体 旅する音楽家コリン・マクフィーとその時代』『ミニマル・ミュージック』(以上、青土社)、『バッハ「ゴルトベルク変奏曲」世界・音楽・メディア』(みすず書房)。
新刊に『オーケストラ再入門』(平凡社新書)。