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【追悼】小柴昌俊さん ノーベル賞フォーラムの全記録

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 2002年にノーベル物理学賞を受賞した東京大学特別栄誉教授の小柴昌俊氏が12日、死去した。小柴氏はノーベル賞受賞者を囲むフォーラムで02年に特別挨拶をしたほか、これまで4回登壇、高校生講座「小柴教室」も3回開催するなど、ノーベル・フォーラムに大きく貢献し、若者たちに研究の意義を熱心に説いている。追悼の意を込めて、フォーラムでの小柴氏の講演などでの発言を再録し、フォーラムでの活動を紹介する。

主任研究員 杉森純 

やること 自分の意思で

 日本の科学は、着実に足元を見ながら一歩一歩進んでいったことを実感してもらうために、岐阜県・神岡鉱山の地下実験施設「カミオカンデ」の話をしたい。

 「カミオカンデ」は最初、陽子崩壊の実験施設として計画した。しかし当時、米国の科学者が同じアイデアで、「カミオカンデ」より数倍大きな規模の施設を計画しているとわかった。

 そこで私はこう考えた。陽子が本当に壊れたのだとしたら、それを最初に見つけることになるのは米国だろうと。しかし、研究はそこで終わりになるのではない。陽子の壊れ方などを詳しく調べてこそ、初めて理論研究が進むはずだ。だから、もっと感度のいい実験をやろうと決断した。

 当時、世界で一番感度のいい光電子増倍管(光を捕まえる球)は、直径が12・5センチだった。私は「浜松ホトニクス」の社長を説得して、感度が16倍上がる増倍管を作った。この球が「カミオカンデ」で十分に働いてくれて、三つの大きな進歩が得られた。

 一つは、太陽から出てくる素粒子「ニュートリノ」の天文学的な観測だ。ニュートリノの信号がいつ届いたか、どちらの方角から来たか、ニュートリノのエネルギー分布はどうなっているか、こうした情報が全部わかる形で観測できた。

 次に、大マゼラン星雲で起きた超新星爆発により飛び出したニュートリノを信号として捕まえた。

 さらに、ニュートリノの質量はゼロではなく、3種類あるニュートリノがそれぞれ違う質量を持つこともわかった。だから、飛んでいるうちに別の種類のニュートリノに自然と移り変わっていく。この「ニュートリノ振動」を発見した。

 陽子崩壊の実験が目的だった「カミオカンデ」が、ニュートリノを検出する施設へ変わっていったのだ。

 私は様々な状況で実験をやってきたが、いつでも、「この実験は俺がやりたくてやるんだ」と。そういうことをはっきり自分で確かめてからやった。

 人に言いつけられたからやるということは一切なかった。私はそれが大事なことだと感じている。

 皆さんに言いたい。『これをやりたい』と、自分で意思決定するのが一番いい。自分ではっきり、そう意識できるものを捕まえてほしい。そして、十分に考えて、『これならいける』というふうに自分で納得できたら、本気になって取り組むべきだ。若い皆さんは頭に刻みこんでほしい。

(2014年10月11日、東京都渋谷区の国際連合大学ウ・タント国際会議場で開かれたノーベル賞受賞者を囲むフォーラム「科学の信頼回復のために」での基調講演要旨=11月4日朝刊)

見えない世界「見えた」

 さまざまな粒子が空中を飛んでいる。雨粒や砂粒は、目に見え、肌で感じられる。だが、原子や、もっと小さな粒子を見るには、工夫が要る。小柴さんは、最も捕まえにくい素粒子の一つ「ニュートリノ」を、巨大な水槽を使った装置「カミオカンデ」で観測した。

 集まった32人の高校生たちは、山下了・東京大学准教授の指導を受けながら、手作りの装置で、小さな粒子の観測に挑戦した。

 最初に作ったのは「アルファ粒子」を検出する「霧箱」だ。直径10センチの丸いプラスチック容器の内側にスポンジを張り、中心にオイルランプの芯を固定する。スポンジにアルコールを含ませ、ふたをして底をドライアイスで冷やすと、線香花火のような白い筋が、芯から放射状に現れた。

 芯に含まれる微量の放射性物質が壊れる時、アルファ粒子が飛び出す。それがアルコールの蒸気中で小さな飛行機雲を作るのだ。

 「あ、きたきた」。実験室のあちこちから声が上がる。「霧の筋はとても神秘的」と、横浜サイエンスフロンティア高1年の宮崎翔太郎さんは声を弾ませた。

 次に挑戦したのは、「豆カミオカンデ」による観測。ミュー粒子という宇宙線が水の分子と反応して出た光を、カミオカンデと同じ原理でとらえるのだ。

 水を入れた容器と光電子増倍管をテープでくっつけ、銀色の反射シートと、光を遮る黒いシートを巻き付ける。ケーブルを接続すると、測定器の画面に宇宙線を検出した波形が現れた。各グループで検出した個数は、ほぼ同じだった。生徒たちは、宇宙から降り注ぐ粒子の存在を実感した。

 実験後、小柴さんが「宇宙、人間、素粒子」と題して講演。「いろいろなことが分かってきたが、未知のこともたくさんある。それを一つひとつ解いていくのはあなたたちだ」。小柴さんは、そう呼びかけた。

「本気なら、失敗感じない」

質疑応答

 (一番印象に残る実験は何か)「昔、宇宙線観測装置を大きな風船にぶら下げ、米大陸を横断させた。当時としては大変な成功で、とてもうれしかった」

 (大金を投じた実験がうまくいかなかったらと、不安にならなかったか)「カミオカンデの最初の目的は、陽子崩壊の観測だった。宝くじ当選を期待するようなもので、国民の血税を使っていいのか悩んだ。ほかの実験にも使えるように改造した結果、ニュートリノを検知できた」

 (ビッグバン=宇宙誕生の大爆発はどのように起こったか)「いま究極とされる物理理論で考えても、正確な答えはわからない」

 (失敗をどう成功につなげるのか)「本気になってやれば、困難が起きてもやめようと思わないし、失敗と感じない。何とか結果を出そうと向かっていくものだ」

 (2009年7月21日、横浜市の横浜サイエンスフロンティア高校で開かれたノーベル賞受賞者を囲むフォーラム「21世紀の創造」高校生講座での基調講演と発言の要旨=8月5日朝刊)

山勘も考えると当たる

 1964年、東大で助教授になった最初の授業で「宇宙、ニュートリノ、素粒子」と黒板に書いた。まず左に宇宙、次に右に素粒子と書いた。この両方を取り持つのは……「山勘だけど」と言って、真ん中にニュートリノと書いた。山勘も、うんと考えると当たる。

 宇宙が137億年前に生まれた時、今あるすべての天体が一点にあり、ものすごいエネルギーを持っていた。これをビッグバンと呼んでいる。その後、膨張して広がり、温度が下がったのが現在の宇宙だ。

 我々の体は、92種類の元素の組み合わせで出来ている。これだけの元素が地球上にあったから、我々のような複雑な生物が生まれた。ビッグバンの時はそうではなかった。極めて高い温度の中で粒子と反粒子が作られ、それが対になって消える、という繰り返しが起きていただけだった。

 それだけだと、星も我々も存在していないが、10億回に1回ぐらいの割合で反クォークでなくクォークだけが残り、宇宙ができた。今年のノーベル物理学賞に選ばれた小林さんと益川さんの理論は、宇宙の初めにクォークがどう生き残ったかを説明するものだ。

 生き残ったクォークがくっついて陽子や中性子を作り、水素とヘリウム、ごくわずかなリチウムができ、集まって星が生まれた。星の中で核融合が起こり、増えたヘリウムがくっついて炭素、酸素と、大きな元素が作られていった。

 そこでできるのは鉄まで。重い元素は、星が最後に重力でつぶれる時に生まれ、大爆発によってまき散らされた。この超新星爆発にニュートリノが関係していて、ニュートリノがないと、爆発は起きなかった。宇宙に放出された物質でできたのが太陽系や地球だ。だから、我々はニュートリノさんのお世話になっているのだ。

 目に見えない素粒子を観測できるのは、飛行機雲と同じ理屈だ。飛行機雲を見れば、地上から見えない飛行機の動きもわかる。ニュートリノの場合は、水分子の中の電子とぶつかった時に出る光を使う。

 太陽から来たニュートリノを見ようと観測装置のカミオカンデを1年半かけて準備したら、2か月もたたないうちに南の空で超新星爆発が起こり、そこから来たニュートリノ11個を見つけた。やがて太陽ニュートリノも観測した。それでカミオカンデのある神岡は「ニュートリノセンター」と呼ばれるようになった。

物おじせずに体験を

質疑応答

 (科学の知を社会にどう生かすか)「科学者が観察したり法則を見いだしたりした結果、宇宙は膨張していると我々は理解している。近年はこの膨張が加速しているという観測事実も出てきた。基礎科学は一文の得にもならないが、我々が住む宇宙がどういうものか分かるのは素晴らしい」「応用を目的とした科学は産業に役立つが、研究結果をどう使うかを学者ではなく政治家が決めてしまうケースがある。典型例が、広島や長崎に落とされた原子爆弾だ。開発に携わった米国の研究者は『あの爆弾が人の上に落とされるとは考えていなかった』と話していた。だが、当時のトルーマン大統領は投下の命令を下した」

(日本から米国への留学生が減っていると聞くが、問題はないか)「心配していない。私が若いころは、米国と日本の基礎科学の研究レベルには格段の差があった。理論よりも実験の分野で日本は遅れていた。だが、日本のレベルも上がってきた。米国に行かなくても、研究者は成長できる」

(もし20歳に戻れたらどんな研究をしたいか)「私が14歳の時にかかった小児麻痺(まひ)をなしにしてもらいたい。そうすれば、楽器を習っていただろう。音楽はいいなあと思っていたが、麻痺のために手を出せず、未練が残っている分野だ」

 (中学2年の娘が科学者を志望している。大学は日本に行くべきか、それとも米国に行くべきか)「自分の国とは違う文化、国があることを肌身で感じることは非常に大切だ。だからといって若いうちに外国に行くのが一番とは言わない。ケース・バイ・ケースだ。若い人へのアドバイスは、できるだけいろいろなことを、物おじせずに自分で体験しなさいということ。そうすれば『これをやりたい』というものを自分でつかむことができる。自分が見つけたものなら、困難に遭ってもやめようとは思わない」

(2008年11月4日、神奈川県平塚市の東海大学湘南キャンパスで開かれたノーベル賞受賞者を囲むフォーラム「21世紀の創造」の科学フォーラム神奈川「科学の知をどう生かすか」での講演要旨と質疑応答=11月13日朝刊)

ニュートリノに感謝しよう

 小柴さんが物理学賞を受けた研究は、宇宙からやってくるナゾの素粒子「ニュートリノ」をとらえたものだ。巨大な水槽の内壁に、直径50センチの電球型センサーをびっしり取り付けた装置「カミオカンデ」で、ニュートリノが水と反応する時に出る微弱な光を観測した。

 教室に集まった44人の生徒たちは、伊藤好孝・名古屋大教授の指導で、カミオカンデと同じ原理で動作する装置を製作、宇宙線の一種「ミュー粒子」の観測に挑戦した。

 用意したのは、懐中電灯サイズの光電子増倍管2本、ガラス瓶と、ミュー粒子を光に変換するシンチレーター、遮光シートだ。

 ガラス瓶に水を満たし、増倍管とつないで固定、遮光シートでぐるぐる巻きにする。これで水とミュー粒子が反応した光だけを、増倍管がとらえることができる。もう一つの増倍管には、シンチレーターを固定。それぞれ表示装置に接続し、ミュー粒子を観測すると鋭い波形が現れる。

 このサイズの増倍管だと、理論予測では、ミュー粒子を毎分20個観測できるはずだ。教室では10班に分かれて3分間観測。結果を報告し合った。「41個」「103個」「83個」……。ばらつきはあったが、平均値は、60.83個。理論と一致する結果に、生徒の間から「おおー」と声が上がった。愛知・岡崎高1年の岩月憲一さんは「自分の班は装置にトラブルがあったが、先生といろいろ原因を考えるのが楽しかった。簡単にあきらめないことが大事だと学んだ」と喜んだ。

 実験に続き、小柴さんが「大きいこと、小さいこと」というテーマで講義。銀河や星など、スケールの大きい宇宙の成り立ちを扱う物理学と、小さな素粒子の謎を追う物理学が、実は似ており、両者を結びつけるのはニュートリノだと、小柴さんは解き明かす。

 「人間を作るには、92種類の元素が必要だ。重い元素は、重い星が寿命を迎えた時に起こる超新星爆発でしか作れない。その爆発に大きく関与しているのがニュートリノだ。『ニュートリノさん、ありがとう』ということなのだ」と締めくくった小柴さんの壮大な説明に、生徒たちはすっかり魅了された。

「物理学やりがいある」

質疑応答

 (陽子の崩壊はまだ見つかっていないのか)「スーパーカミオカンデの大きさで陽子崩壊が観測できるかどうか、実は分からない。2か月前にスーパーカミオカンデに行った時、『たまったデータを洗い直し、それでも見つからなければ、陽子は少なくともこれだけの寿命がある』という論文を書いて、と研究者に話をした」

 (ニュートリノは何かに利用できるのか)「利用法を見つければ、ノーベル賞を三つくらいもらえる。例えば宇宙に満ちているニュートリノを測定できれば、ビッグバンの3秒後の状態がわかるはずだ」

 (先生にとって物理学とは)「物理をやったのは、やりがいがあると感じたから。ノーベル賞なんか意識したことはない。自分が面白いと思うことをやっただけ。カミオカンデでも、実験装置を作っている最中にいろいろ思いついて、計画を度々変更した」

(2008年7月22日、名古屋市の名城大付属高で開かれたノーベル賞受賞者を囲むフォーラム「21世紀の創造」の「高校生講座」の模様と発言要旨=8月27日朝刊)

「大きいこと、小さいこと」

 東京大学の助教授になって、大学院の学生に初めて講義をすることになった。1964年のことだ。黒板の左端に「宇宙」、右端に「素粒子」、真ん中には「ニュートリノ」と書き、「山勘だが、大きな宇宙と小さな素粒子の二つを結びつけるのは『ニュートリノ』だろう」と説明した。

 物質を小さく分けていくと、原子になり、原子核になり、さらにこれを分けると、陽子と中性子。それよりさらに小さいのが素粒子だ。

 電子顕微鏡でも見えない小さい素粒子は、どうやって観測できるのか。よく晴れた日に、飛行機が通った跡に白い飛行機雲を見ることがある。ジェット機そのものは見えなくても、どの方向にどんな速さで飛んでいるか、この雲を観察すればわかる。

 きれいな水をたくさん用意して、そこを通過する素粒子ニュートリノを水の電子に衝突させる。それを狙って我々が作ったのが、岐阜県にある鉱山の地下1000メートルの観測装置「カミオカンデ」だ。

 ニュートリノは、皆さんの頭を毎秒1000億個以上も貫通している。カミオカンデには3000トンの水をため、太陽から来たニュートリノを計測しようとした。

 だがニュートリノの反応は、多くても1週間に1発か2発。巨大なアメリカの装置に負けないよう、感度の高さで勝負しようと思った。反応で生じる光をとらえる高精度の光電子増倍管を取り付け、87年に観測を始めた。

 運がいいことに、大マゼラン星雲の超新星が爆発した際に飛び出たニュートリノも観測できたし、ニュートリノの質量がゼロではないことを示すニュートリノ振動という現象も、後の研究で発見できた。山勘で始まったニュートリノの研究だが、本気で突き詰めて考えることで実りのあるものになった。 

カミオカンデのアイデア、どうして浮かんだ?

質疑応答

 (カミオカンデのアイデアはどのようにして生まれたのか)「米クリーブランドにある岩塩坑にたまった水は、食塩が溶け込んでバクテリアも繁殖しない透明できれいなもので、こんな場所に光電子増倍管を設置すれば、ニュートリノも観測できるのではという考えが浮かんだ」

 (宇宙はどこまで解明できるのか)「宇宙の観測は今後も進むだろうが、一番困難なのは人間を知ること。自然科学は、観測する主体と、される客体を分けてきた。人間自身を見つめる研究は、それが分けられない。実に難しいと思う」

 (ニュートリノ研究を他分野へ応用できるのか)「それは難しい。だが、精度よく観測すれば、137億年前のビッグバンで生まれた直後の宇宙の姿をとらえられる」

 (研究者の倫理観とは)「科学はもろ刃の剣。有益な研究も、使い方によって害が起きる。核爆弾がその典型で、研究者は、これが人類の上に落とされるなんて思わなかったと思う。使う人が、その影響を十分に考える必要がある」

(2007年8月2日、東京・上野の国立科学博物館で開かれたノーベル賞受賞者を囲むフォーラム「21世紀の創造」の「高校生講座 小柴教室」での講演要旨と発言要旨=9月16日朝刊)

ニュートリノ 考え抜いてつかんだ成功

 

 人間は広大な宇宙を望遠鏡などで調べ、宇宙物理学が発展した。一方、小さい方は、いくら拡大率が高い電子顕微鏡を使っても、小さな素粒子を直接見ることはできない。

 かつて、万物は素粒子の陽子と中性子、電子の三つでできていると思われていた。陽子と中性子を原子核にまとめる力を研究する過程で、湯川秀樹先生が予言したパイ中間子の存在が証明された。さらに「宇宙線」のなかに、ミュー粒子という、電子を重くしたような粒子が見つかった。

 私が大学生だったころは、この5種類の粒子しかないとされていたが、その後の研究で、素粒子は96種類になることがわかった。大部分は電気を帯びているが、私たちが発見を目指したニュートリノは電気を持たないので、観測しにくい。

 自然界の成り立ちを理解するには、それぞれの粒子の間に働く力の性質を知る必要がある。

 力は、それを媒介する粒子を交換することで働く。例えば、湖上のボートを考えよう。別々のボートに乗った2人が向かい合ってキャッチボールをする場合、投げた人は反動で後ろに下がる。受け取った人も、ボールの勢いで後ろに押される。こうして、2人の間に反発力が働く。

 素粒子の観測は、飛行機雲を見るのに似ている。ジェット機の姿が、かりに見えなくても、白い雲筋で、そこをジェット機が飛んでいることを確認できる。ニュートリノも、これと同じ方法で観測できないだろうか。

 実は、いま皆さんの頭には、毎秒10億個以上のニュートリノが太陽から降り注いで通り抜けているが、気づかないだろう。だが、もっと大きな的、例えば水1000トンを用意すれば、降り注いだことに気づけるのではないか。ニュートリノを水の中の電子に衝突させて反応を調べれば、ニュートリノがどこから来て、どんなエネルギーを持っているのかわかる。

 岐阜県神岡町(現・飛騨市)につくった観測施設「カミオカンデ」では、水から出る光をキャッチして電気信号に換える光電子増倍管を、水槽の壁に取り付けた。この実験の準備中に、アメリカが同じ考え方で、日本の10倍以上の研究費を用意して実験するというニュースが入ってきた。がく然としたが、考え抜いて感度をけた違いに上げることができた。それで、太陽ニュートリノと超新星ニュートリノの観測に成功した。

 もし、これから、エネルギーが非常に低いニュートリノを正確に観測できれば、136億年前に大爆発で誕生した宇宙の3秒後の状態がわかるかもしれない。ただ、大変難しいことなので、何十年か後の成果に期待したい。

何としても本当にやりたいことを見つけて

質疑応答

 (研究は今後、どういった方向に進むのか)「岐阜県飛騨市にある検出装置「カムランド」は、地球内部の反電子ニュートリノを検出する。もし世界に検出器を何個か設置して反電子ニュートリノを計測すると、地球内部の断層写真を撮影できる。すると、地震や火山エネルギーの源であるウランやトリウムといった放射性元素が、どこにあるのかわかるようになる」

 (今の専攻に進んだきっかけは)「素粒子の実験を一生やろうと決めたのは大学院2年目。素粒子の軌跡を写真で記録する実験をするうちに、自分で測定する面白さに気づいた。本で読んだり、講義で聴いたりしただけの中間子が自分の目で確認でき、これならやれると実感した」

 (若い世代にメッセージを)「本当にこれをやりたい」ということを、何とかして見つけてほしい。

 (宇宙物理学、素粒子物理学の分野に対する興味の変遷はあったのか)「シカゴ大学にいたころ、宇宙線が宇宙のどこで加速されているかという問題に取り組み、星や宇宙に関心を抱くようになった。東京大学で素粒子の研究をするようになったが、講義で黒板に『宇宙』『素粒子』と書いて、『究極的には同じ物理学だ。二つを結ぶのがニュートリノだ』と言った」

 (これから化学の道を目指す大学生に望むことは)「研究者は『わからないことがどこにあるか』を知っている人のことだ。物理学はシンプルに自然を理解しようとする学問だが、「全部わかる」といった幻想を持ってはいけない」

 (研究に行きづまったときの気分転換は)「暇なときは音楽を聴くこともあるが、やりたい研究に取り組んでいるときは、疲労を感じたり飽きたりすることはない」

(2005年11月17日、学習院創立百周年記念会館で開かれたノーベル賞受賞者を囲む 科学フォーラム東京「科学のフロンティアを(ひら)く」での講演と発言要旨=11月29日朝刊)

物理家(ぶつりや)になりたかった…責任ある仕事通じ成長

 物理学を一生の仕事にしようと決めたのはずいぶん遅く、大学院のころだった。理論物理の論文に悪戦苦闘した経験があり、理論は無理だなと思っていた。

 そんな時に先輩から、特殊な写真乾板を使って、スピードの速い素粒子をとらえる実験に誘われた。乾板を宇宙線の強い富士山頂に持っていき、現像後、顕微鏡でのぞくと、中間子や電子の動きや速度、エネルギー量が測定できた。教科書で読んだ素粒子が身近に感じられ、「実験物理なら自分もやれる」と思った。

 ただ、この分野は本場アメリカで勉強しなければ、将来の展望はないと考えた。そこで、朝永振一郎先生から推薦状をもらい、ロチェスター大学に留学した。一年八か月で博士号を取ったが、これは今も大学の最短記録だそうだ。

 その後、シカゴ大学に移り、乾板を乗せた大気球を高空に上げ、宇宙線を調べるという大規模な国際共同研究の責任者になった。

 まだ30歳代前半の若さだった。その経験から、若い人を成長させるには責任ある地位に就けて、自分の責任で仕事をやらせるのがいいと思う。「若すぎる」と言わず、やらせてみるとぐんぐん伸びるはずだ。

 ニュートリノを世界で初めて観測した装置「カミオカンデ」は巨大な純水タンクの周囲に、ニュートリノが水を通過する時に出る微細な光を感じる光センサーが多数取り付けられている。精度の高い、直径五十センチもある光センサーを作ってもらったことが成功の要因だと言ってもいい。

 この成功から「ニュートリノ天文学」の道が開けた。たとえば、太陽などから来るニュートリノを観測すると、その内部で起こっている現象などがわかる。光や電波でなく、素粒子で天体を観測する新しい天文学が生まれた。

21世紀の科学はどこへ

質疑応答

 (21世紀の物理学、科学はどこに行くのか)「自然科学は、主観と客体を完全に分離して認識することで、普遍的な知的財産としてきた。だが『いい音楽を聴いた』『悟りを開いた』といった『自我』の働きは主客を分けることができない。『自我』をどう理解するかは21世紀の課題だろう」

 (ニュートリノは何の役に立つか)「ニュートリノ測定器を地球のあちこちに置けば、火山活動などのエネルギーのもとになる地球内部の放射性物質の動きを調べ、地球を断層撮影するようなこともできるだろう。これはすごいことなんだが、一応『何の役にも立たない』と言っている」

(2003年11月13日に福岡市東区の福岡工業大で開かれたノーベル賞受賞者を囲むフォーラム「21世紀の創造」での基調講演と発言要旨=11月27日朝刊)

中高生時代の興味が重要

2002年のフォーラムで挨拶した小柴氏。まだ授賞式の前だった
2002年のフォーラムで挨拶した小柴氏。まだ授賞式の前だった

 私は先日、NHKの番組「週刊こどもニュース」に出演した。それから、小学生に人気が出て、子どもたちからは「小柴のじじ」と呼ばれている。

 私は、中学校から高校にかけては、人間が科学に向きあうための非常に大事な時期だと思っている。その時期に科学が嫌いになると一生嫌いになるし、その時期に好きになると、科学と一生仲良くつきあうようになる。私の経験からもそう言える。

 だから、この時期に、子どもたちに理科を教える先生たちの役割は非常に大きい。先生はまず、教え子たちに好かれなくてはどうしようもない。好かれる先生をどうすれば増やすことができるのかを、真剣に考えなければならない。

 皆さん、科学というものは、自分でやってみると本当に面白く、楽しい。どうか科学と向き合ってみてください。

(2002年11月15日、東京都新宿区の早稲田大学大隈講堂で開かれたノーベル賞受賞者を囲むフォーラム「21世紀の創造」の科学フォーラムでのあいさつ=11月28日朝刊)

小柴 昌俊(こしば・まさとし)
1926年愛知県生まれ。東京大学理学部物理学科卒業。米ロチェスター大学大学院修了。岐阜の地下実験施設で、超新星爆発による素粒子ニュートリノの観測に成功し、2002年にノーベル物理学賞を受賞。05年東大特別栄誉教授。

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1624782 0 ノーベル賞フォーラム 2020/11/13 20:05:00 2021/02/10 10:56:46 2021/02/10 10:56:46 https://www.yomiuri.co.jp/media/2020/11/20201113-OYT8I50119-T.jpg?type=thumbnail

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