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ノーベル賞が映す未来

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POINT
■2020年のノーベル賞は、新型コロナウイルスで苦しむ世界へ「英知で困難を乗り越えよう」というメッセージを送る。

■C型肝炎(生理学・医学賞)との戦いは、未知のウイルスを解明して、特効薬の開発につなげた輝かしい実例だ。

■謎に包まれたブラックホールの発見(物理学賞)は、私たちの限りない想像力、英知を証明した。

■ゲノム編集(化学賞)は、生命の設計図を書き換える画期的な技術だ。生かすか殺すか、私たちの本当の英知が問われる。

調査研究本部主任研究員 杉森純


 2020年秋に発表された自然科学分野のノーベル賞は、「C型肝炎ウイルスの発見」(生理学・医学賞)、「ブラックホールの存在の証明」(物理学賞)、「ゲノム編集技術の開発」(化学賞)に授与された。ノーベル賞の受賞テーマは時に非常に専門的で、理解が難しいこともあるが、今回はどれも親しみやすく、わかりやすかった。それぞれのテーマから見えてくるのは、新型コロナウイルスに翻弄(ほんろう)される世界に向けた、「人間の英知で困難を乗り越え、新しい未来、世界を築き上げよう」という明快なメッセージだ。

時代を反映するノーベル賞

 ノーベル賞の受賞テーマは、時代を反映する。

 19年は、旭化成名誉フェローの吉野彰さんが「リチウムイオン電池の開発」で化学賞を受賞した。温暖化など地球環境問題への強い危機感と、解決への期待が表れたものだ。

 20年は新型コロナウイルスに翻弄された1年だった。19年末、中国・武漢で始まった感染は、瞬く間に広がり、世界的大流行(パンデミック)となった。未知のウイルスで、治療法や予防法が確立されていないことが、恐怖心を倍増させた。

 そんな20年にぴったりだったのは、生理学・医学賞の「C型肝炎ウイルスの発見」だろう。

私たちに勇気

 C型肝炎との戦いは、長い時間をかけて未知のウイルスの正体を解明して、予防法や特効薬の開発につなげた輝かしい実例だ。新型コロナウイルスの感染大流行で社会生活の制限を余儀なくされている私たちに、勇気と希望を与えてくれる。

 原因が分からなかったC型肝炎は、長らく「非A非B型肝炎」と呼ばれ、恐れられた。

 肝炎は、主に食物や血液を通じて広がる。日本では、戦後の混乱期に、覚醒剤の乱用、売血などを通じて広がり、「国民病」と言われるほど深刻だった。

 食物を通じた感染の原因となるA型肝炎ウイルスが1973年に、血液を通じた感染の原因となるB型肝炎ウイルスが64年に発見された。

 しかし、B型肝炎ウイルスが発見されても、輸血を通じての感染は2割程度しか減らなかった。

 本当の「犯人」は、まだいるはずだった。

 だが、B型肝炎ウイルスにも増して、非常に巧妙で、ヒトの免疫から逃れる仕組みを持ったC型肝炎ウイルスは、細胞で培養して増やしたり、他の動物で病気を再現したりすることが難しく、なかなか正体をつかめなかった。

受賞者たちの貢献

ハーベイ・オルター博士(C)Nobel Media. Ill. Niklas Elmehed.
ハーベイ・オルター博士(C)Nobel Media. Ill. Niklas Elmehed.
マイケル・ホートン博士(C)Nobel Media. Ill. Niklas Elmehed.
マイケル・ホートン博士(C)Nobel Media. Ill. Niklas Elmehed.
チャールズ・ライス博士(C)Nobel Media. Ill. Niklas Elmehed.
チャールズ・ライス博士(C)Nobel Media. Ill. Niklas Elmehed.

 この犯人の正体を明らかにしたのが、3人の受賞者たちだった。

 ハーベイ・オルター博士は、ヒトに最も近いチンパンジーを使って、非A非B型肝炎患者の血液を接種すると肝炎を発症することを確認した。

 マイケル・ホートン博士は、当時最先端の分子生物学の技術を活用して、ウイルスの断片を見つけるため、感染させたチンパンジーの血液から、100万個のRNAという遺伝物質を抽出。そのRNAから、たんぱく質のかけらを作って、ヒトの患者の血液と反応させた。もし、たんぱく質がウイルス由来のものなら、患者の持つ免疫物質と結びつくはずだ。

 砂浜で金を探すような苦労の作業の末、ウイルスの断片を発見。断片をつなぎ合わせてウイルスの正体を89年に明らかにした。

 ホートン博士の明らかにしたウイルスは、まだ完全なものではなく、増殖に必要な遺伝情報を欠いていた。チャールズ・ライス博士は、ウイルスを加工して、接種したチンパンジーが実際に肝炎を発症することを確かめた。

様々な対策可能に

 一度正体がわかると、様々な対策が可能になった。

 ウイルスの断片を使って、C型肝炎ウイルスが混ざった危険な血液を見分けて、新たな感染を防ぐことができるようになった。

 症状が出て悪化する前に患者を見つけて、早期に治療することも可能になった。

 日本人科学者の貢献もあり、ウイルスをヒトの細胞で増やしたり、マウスで病気を再現したりすることができるようになり、ウイルスを標的とした「直接作用型抗ウイルス薬」と呼ばれる新しい治療薬の開発が進んだ。

 現在は、複数の治療薬を組み合わせて、100%近い治癒を目指せるまでになった。

新型コロナウイルスにも希望

英国で接種が始まったRNAを使った新しいワクチン(ロイター)
英国で接種が始まったRNAを使った新しいワクチン(ロイター)

 C型肝炎の克服の歴史は、新型コロナウイルスに翻弄される現在の私たちにとって心強い成功物語だ。

 新型コロナウイルスの正体、全遺伝情報(ゲノム)は、感染の流行が始まってすぐに明らかにされ、世界で共有された。ゲノムの変異を分析して、ウイルスの感染力の変化や、どのような経路で世界に拡散しているのかがリアルタイムで追跡できる。

 遺伝物質RNAを利用した新しいタイプのワクチンの開発も進む。ワクチンの開発には通常10年近くの年月がかかるが、英国は2020年12月2日に米国とドイツの製薬企業が共同開発したワクチンを承認、8日から接種が始まった。RNAを利用したワクチンは実用化された実績がなく、安全性には十分な配慮が必要だが、臨床試験では95%の予防効果があったとされる。日本でも、政府が21年に1億2000万回分(2回接種で6000万人分)の供給を受けることで合意している。

 細胞で効率よく増殖するC型肝炎ウイルスの発見者(注1)で、国立感染症研究所所長として新型コロナウイルス対策の最前線に立つ脇田隆字さんは「病気を理解することで対策が進む。私たちはC型肝炎でノウハウを持っている。多くの患者が回復しており、免疫が効いている。ワクチンで発症や重症化を予防できる。国民全員の努力と科学の力で、新型コロナウイルスも克服できる」と力強く話す。

未知を楽しむ

日本を含む国際チームが撮影に成功したブラックホールの画像。ブラックホール本体は円の中心部にある=EHT collaboration提供
日本を含む国際チームが撮影に成功したブラックホールの画像。ブラックホール本体は円の中心部にある=EHT collaboration提供

 私たちは、新型コロナウイルスのような未知のものをただ恐れるだけでなく、興味を持ち、謎解きを楽しむこともできる。20年の物理学賞は、そんな私たちの英知をたたえるものだ。

 ブラックホールは、最もよく知られた宇宙の謎の一つだろう。巨大な重力を持ち、物を次々と吸い込む一方、光すら逃さない謎の天体。誰もが一度は耳にした経験があるのではないだろうか。存在を知らなくても、私たちの日常の生活に何の不便もない。でも、聞いただけでなんだかワクワクする。

 ブラックホールの解明は、そんな未知のものにあこがれ、自然の謎解きに喜びを感じる私たちの英知を象徴している。

3人の貢献

左からロジャー・ペンローズ博士、ラインハルト・ゲンツェル博士、アンドレア・ゲズ博士(C)Nobel Media. Ill. Niklas Elmehed.
左からロジャー・ペンローズ博士、ラインハルト・ゲンツェル博士、アンドレア・ゲズ博士(C)Nobel Media. Ill. Niklas Elmehed.

 ノーベル賞は、ブラックホールの存在を理論的に予想して、観察で実証した3人に与えられた。

 ブラックホールは、一般相対性理論のアインシュタイン方程式に現れた不思議な解だ。ただ、方程式を解く時に、完全な球形の天体などの特別な条件を仮定していたため、その存在自体が疑われていた。ロジャー・ペンローズ博士は、特別な条件を仮定しなくても、ブラックホールが存在することを数学的に証明した。

 ラインハルト・ゲンツェル博士とアンドレア・ゲズ博士はそれぞれのグループを率いて、私たちの天の川銀河の中心近くにある天体の動きを10年以上赤外線で精密に観測して、中心部に太陽の400万倍の質量のあるブラックホールがあることを明らかにした。

 ニュートンは、欧州でペストが大流行して大学が休みとなって故郷に帰っている時に、リンゴが木から落ちるのを見て万有引力の法則を思いついた、と伝えられている。

 新型コロナウイルス禍で、行動が制限されている今こそ、私たちも想像の翼を広げて深遠な謎に思いをはせるのがよいのかもしれない。

大本命の受賞

エマニュエル・シャルパンティエ博士(C)Nobel Media. Ill. Niklas Elmehed.
エマニュエル・シャルパンティエ博士(C)Nobel Media. Ill. Niklas Elmehed.
ジェニファー・ダウドナ博士(C)Nobel Media. Ill. Niklas Elmehed.
ジェニファー・ダウドナ博士(C)Nobel Media. Ill. Niklas Elmehed.

 最もノーベル賞的で、科学技術の明るい可能性だけでなく、課題も突きつけたのは化学賞だ。

 ゲノム編集は、いつか必ずノーベル賞を受賞すると言われていた「大本命」だった。

 ゲノムの解読、iPS細胞の作製と並んで、21世紀の生命科学の3大成果とも言える。

 ゲノム編集は、生命の設計図とも呼ばれるゲノムを書き換える技術だ。これまでも、遺伝子組み換えなどの技術はあったが、ゲノムを思い通りに正確に書き換えるのは、技術的に難しく、費用もかかった。

 ノーベル賞を受賞したエマニュエル・シャルパンティエ博士とジェニファー・ダウドナ博士の2人の女性は12年、細菌がウイルスから身を守る仕組みを応用して「クリスパー・キャス9」という技術を開発した。誰でも比較的簡単にゲノムを編集できるようになり、応用が爆発的に広がっている。

 遺伝子を組み換えた病気などのモデル動物の作製は従来、マウスなど特定の種でしか行えず、長い時間をかけて、一つの遺伝子を操作できるだけだった。クリスパー・キャス9は、ほとんどの動物で使えて同時に複数の遺伝子を操作することができる。マウスでは再現できない人間の病気を、小型のサルのマーモセットで調べられるようにもなった。

 植物でも、外から遺伝子をランダムに挿入するのではなく、狙った場所で植物が元々持つ遺伝子を書き換えられるようになった。

 特に期待されているのは、農作物や水産畜産物の品種改良の分野だ。

 世界の人口が増え、気候変動の影響が顕在化している。収量や栄養価が高く、乾燥や高温に強い農作物の必要性は増している。

 品種改良には長い年月と手間ひまがかかる。ゲノム編集を使うことで、開発の大幅なスピードアップが期待される。すでに、病害虫に強いイネや小麦、栄養価の高い大豆などが開発されている。日本でも血圧の上昇を抑える成分を豊富に含むトマトが20年12月に「ゲノム編集食品」として初めて届け出され、受理された(注2)。

技術の両面性

 科学技術は大なり小なり両面性を持つ。

 ダイナマイトは、大型の土木工事を可能にして私たちの社会や生活を豊かにした一方で、戦争にも使われて多くの命を奪った。ダイナマイトの発明で巨万の富を築いたアルフレッド・ノーベルがノーベル賞を創設したのは、その罪滅ぼしの側面もあったのだろう。

 科学技術を生かすも殺すも、使う私たち次第だ。

 それは、ゲノム編集にも当てはまる。

 生物の長い進化の歴史の中で、ゲノムは突然変異と自然選択によって少しずつ変化しながら親から子へ引き継がれてきた。進化の過程、結果は、決して最善、最良のものばかりではない。

 生物は手元にある使えるものを活用しながら変化してきた。不合理なものもある。

 病気は典型例だ。神経難病のハンチントン病など、一つの遺伝子が原因になっている病気も数多い。ゲノム編集は、こうした病気の治療法としても、当然期待されている。

 遺伝子を原因とする病気の治療のためのゲノム編集は、細胞数が少なく体外に取り出して操作できる受精初期の胚の段階で行うのが最も効率的だ。しかし、胚などの生殖系列の細胞で書き換えられたゲノムは、次の世代にも引き継がれる。長い進化の歴史を、自分たちが書き換えることになる。十分な議論や社会的な合意なしに、進めることはできない。

 開発者のダウドナ博士自身が誰よりも、こうした課題を認識している。15年には世界の様々な分野の専門家に呼びかけて、遺伝子編集技術が生殖技術や、遺伝、環境、農業などに投げかける倫理的な課題を話し合うヒトゲノム編集国際会議を開催した。「技術的に安全性や効率性が担保され、社会的な合意が得られない限りは、治療を目的とするヒト生殖細胞系列のゲノム編集を行うことは無責任」とする声明(注3)を出した。

懸念が現実に

 だが、危惧は既に現実のものになっている。

 18年11月28日、中国の南方科技大学の賀建奎博士は、くしくも香港で開かれた2回目のヒトゲノム編集国際会議で、ゲノム編集した胚を使って双子の女の子が誕生したことを明らかにした。双子の父親がヒト免疫不全ウイルス(HIV)感染者だったため、HIVが感染しにくいよう、特定の遺伝子を働かないようにしたものだった。深刻な遺伝疾患とは異なり、父娘のHIV感染を防ぐ方法は、ゲノム編集をあえて使わなくても他にもある。技術的にも未熟で、狙い通りにゲノムを編集できていないとも指摘されている。編集された遺伝子は、将来、双子が親になれば子どもにも引き継がれる。

 何より問題なのは、10年前には技術的にも不可能だったことが、簡単な思いつきで安易に実施されてしまったことだ。十分な検討がないまま、こうした野蛮な行為が今後も試みられることを完全に止めることはできない。

デザイナーベビー

 米国の大統領選が浮き彫りにしたように、世界の富は一部に偏在化して、社会の分断が広がっている。

 胚などを扱う生殖医療へのゲノム編集の応用は、私たちの間に生物学的な断絶をも生み出して、社会の亀裂を決定的なものにしてしまいかねない。

 治療と能力増強(エンハンスメント)の境目はあいまいだ。

 病気の原因となる遺伝子を治したいという切実な願いは、より健康な、より優れた身体的特徴を持った子ども(デザイナーベビー)がほしいという欲望に容易に結びつきかねない。

 ゲノム編集された遺伝子は次世代に引き継がれ、さらにゲノム編集で改良されていく。自然妊娠で生まれた「非適正者」は社会で差別され、遺伝子操作で優れた知能と体力を持った「適正者」との間に大きな分断が生まれる。1997年に公開された米国のSF映画「ガタカ(Gattaca)」の世界を、もはや荒唐無稽な話と片づけることはできない。

許されぬ先送り

 生殖医療の分野ではこれまでも、子どもを持ちたいという親の気持ちが最優先され、着床前診断や代理出産などの医療技術が、法的な規制がない中、国民的議論を欠いたままでなし崩し的に広がってきた。

 「今はまだ技術が未完成」は、判断に困った時の常套(じょうとう)文句で、法的な議論、倫理的な結論を先送りする口実となってきた。

 現在のゲノム編集の技術も、まだ完全にはほど遠い。だが、議論の先送りは許されない。

 近い将来、「技術が未完成」でなくなったら、技術を無批判に受け入れたり、逆にすべてを拒絶したりするようになりかねない。

 国の総合科学技術・イノベーション会議は19年6月、ヒト胚のゲノム編集について、法的な規制のあり方を含めた適切な制度的枠組みの検討を求めた(注4)。

 日本学術会議は20年3月、法的規制の早期実現と国際的なルール作りへの参画を求める提言(注5)を出した。

 私たちの存在や尊厳にも関わる問題を、専門家や特定の人たちの思いだけで決めることはできない。専門家などの意見を尊重しながらも、多くの人たちが自分の問題として考える必要がある

 農作物の品種改良と、病気の治療、人間の遺伝子の改良を、同列に扱うことはできない。

 「自然じゃない」「なんとなく不安」だけでは思考停止になり、分断を生み出すだけになってしまう。

 ゲノム編集をただ称賛したり、恐れたりするだけでなく、何に使って、何に使わないのか、技術の特徴をしっかり理解して、決める必要がある。

 繰り返しになるが、画期的な技術を生かすも殺すも私たち次第なのだ。

特許の問題浮き彫り

 ゲノム編集は、科学研究と特許のあり方を改めて考える契機にもなった。

 クリスパー・キャス9の特許を巡っては、ノーベル賞を受賞したダウドナ博士らのグループと、ゲノム編集技術を活用した画期的なアイデアを次々と発表している米ブロード研究所のフェン・チャン博士らのグループとの間で激しく争っている。

 12年のダウドナ博士らの論文は細胞核を持たない細菌のゲノム編集に関するもので、ヒトや動植物など細胞核を持つ真核生物でも狙い通りにゲノムを編集できるか記載はなかった。チャン博士らは論文の発表直後に実験を行い、生きた細胞核の中でもゲノム編集が行えることを確かめ、真核生物のゲノム編集に絞って特許を申請した。加速審査を申請したため、米国ではダウドナ博士たちの特許よりも先にこの特許が認められた。ダウドナ博士たちは、異議を申し立て審査が行われたが、最終的には両者の特許は別々のものとして認められることになった。

 商業価値の高い真核生物のゲノム編集にも個別の特許が認められ、権利関係が複雑になったことで、研究や応用を推進するための特許が逆に阻害要因になりかねない皮肉な状況になっている。

 ダウドナ博士たちも当然、論文発表前に特許の仮出願は行っていた。研究成果をいち早く公表して知識を共有するのか、特許を申請して知的財産を確保するのか、大学などの公的な研究機関でも葛藤がますます大きくなっている。

 くしくも、大学での研究の特許が注目されたのは、細菌を使った遺伝子組み換え技術で1974年にスタンリー・コーエン博士とハーバート・ボイヤー博士が特許を申請して、250億円を超える莫大な利益を米スタンフォード大学にもたらしたのがきっかけだ。大学からベンチャー企業が次々と生まれ、産学連携が推進されて、研究が大きく進展した。

 金融の世界では、大阪・堂島の米市場が起源とされる先物取引などの手法が、本来のリスク回避という目的から離れてマネーゲーム化した結果、実際の経済を脅かすようになっている。特許が知の共有を妨げ、人類共通の財産である科学の発展を邪魔するとしたなら、本末転倒と言わざるを得ない。

基礎研究の重要性

 社会に大きな影響を与える画期的な研究ほど、応用を見据えたプロジェクト型の研究ではなく、地道な基礎研究から生まれるケースが多い。

 細菌がウイルスから身を守る免疫の仕組みの研究から生まれたクリスパー・キャス9は象徴的だ。私たちに自由な発想に基づく基礎研究の大切さを再認識させてくれた。

 ダウドナ博士は著書で「クリスパーは好奇心に端を発した自然現象の研究から生まれた。まるで無関係にも思われる、細菌の適応免疫の化学的、生物学的側面の徹底的な理解がなければ開発され得なかった。自然は人間よりもたっぷり時間をかけて実験を行ってきたのだ!」と強調している。

日本人の貢献

 残念ながら、20年は日本人のノーベル賞受賞者はいなかった。

 しかし、ゲノム編集技術の源流をたどると、後に「クリスパー(CRISPR)」(clustered regularly interspaced short palindromic repeats=集団化された、規則的に間隔が空いた短い回文構造の繰り返し)と呼ばれるようになった細菌の不思議な繰り返し配列を最初に発見して論文にしたのは、大腸菌を研究していた石野良純博士(現九州大学教授)だった(注6)。

 ブラックホールの研究でも、ゲンツェル博士とゲズ博士に先駆けて、国立天文台の三好真博士らが別の銀河の中心を電波で詳しく観測して、狭い領域に太陽の3600万倍もの巨大な質量が集中していることを突き止めていた(注7)。

 21年は日本人のノーベル賞受賞を期待したい。

  • 注釈
  • (注1)T. Wakita et al., Nat. Med., 791 (2005)
  • (注2)『読売新聞』2020年12月12日朝刊2頁
  • (注3)http://www8.nationalacademies.org/onpinews/newsitem.aspx?RecordID=12032015a
  • (注4)総合科学技術・イノベーション会議(2019)「『ヒト胚の取扱いに関する基本的考え方』見直し等に係る報告」(第2次)
  • (注5)日本学術会議ゲノム編集技術に関する分科会(2020)提言「ゲノム編集技術のヒト胚等への臨床応用に対する法規制のあり方について」
  • (注6)Y. Ishino et al., J. Bacteriol, 5429 (1987)
  • (注7)M. Miyoshi et al., Nature, 127 (1995)

  • 参考文献
  • ジェニファー・ダウドナ(2017)『CRISPR 究極の遺伝子編集技術の発見』(文藝春秋)
  • 山本卓(2020)『ゲノム編集とはなにか』(講談社)
  • ネッサ・キャリー(2020)『動き始めたゲノム編集』(丸善出版)
  • 中務茂樹(2020)「CRISPR-Cas9関連特許」(化学12月号)(化学同人)

※この論考は調査研究本部が発行する「読売クオータリー」掲載されたものです。読売クオータリーにはほかにも関連記事や注目の論考を多数収載しています。最新号の内容やこれまでに掲載された記事・論考の一覧は こちら にまとめています。
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2023062 0 ノーベル賞フォーラム 2021/04/30 01:00:00 2021/04/30 01:00:00 2021/04/30 01:00:00 https://www.yomiuri.co.jp/media/2021/04/20210426-OYT8I50067-T.jpg?type=thumbnail

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