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■1月14日は2019年に国連教育・科学・文化機関(ユネスコ)が制定した「世界論理デー(World Logic Day)」だ。
■「論理」は単に諸学問にとって重要なだけではなく、我々のごく普通の日常生活にとっても重要だ。
■社会的問題や国際間の不一致も、論理的側面から理解することが重要である場合が多い。世界論理デーを、論理的な観点から様々なことを見直す契機としたい。
毎年1月14日は国連教育・科学・文化機関(ユネスコ)が制定した「世界論理デー」(World Logic Day)だ。日常無意識に用いている論理的思考や、論理的に形成された科学技術などを意識しなおす日としようという趣旨で、2019年秋のユネスコ総会で制定された(注1)。

ユネスコのオードレ・アズレ(Audrey Azoulay)事務局長は次のような公式メッセージを出している(注2)。
「AI-ソフトウェアを使うとき、自分のコンピューターを開くとき、議論を展開するとき、論理はいつもそこにあります。論理はいつも普遍的です。しかし論理に取り囲まれているにもかかわらず、私たちは論理の遍在性を意識していません。論理を適用していることを知らずに論理を適用していることがよくあります。それゆえ、知識の発展における論理の重要さに注意を向けるための日として、ユネスコは1月14日を世界論理デーと宣言しました」
論理は最も古い学問分野のひとつであるとともに、多くの学問分野の発展のために欠かせない分野でもある。例えば、論理は、現代のコンピューター理論の誕生に不可欠な役割を果たした。しかし、論理は単に諸学問にとって重要なだけではなく、我々にとって、我々の生活にとって、特に我々のごく普通の日常生活にとっても重要だ。
私たちは何かを決定し、判断し、行為するとき、フィーリングやその時の気分や直感・直観に任せることも多い。それまでの習慣に任せることも多いと思う。それはそれで自分自身に対して素直な決定、判断、行為と言える。しかし、もう一方で、独りよがりでない、論理的思考や論理的分析を通じて状況を理解し、ものごとの意思決定、判断、行為を根拠づけることも重要だ。
思考を通じて行動することは、感性に任せて行動するのに比べて労力を要し、言語的過程を踏む必要も加わる。しかし、論理は直面している状況の、より客観的な把握につながる。我々は論理を通じて相手の立場を理解し、論理を通じて立場の異なる相手との議論を可能にしている。これらのことは、衝動や感情にだけに頼っていては難しい。「論理的思考」についての教育の重要さが求められている理由もここにある。
「世界論理デー」を機会に、身の回りで何か決めなくてはならない小さなものごとについて、いつもより少し「論理的」な観点に気配りして決めてみてはどうだろうか。例えば、今日の料理は何にしようか、ということも、無意識に決めているようで、しっかり意識化してみると、案外論理的思考が介在していることに気づく。我々は、どんな材料があり、家族はどんな料理が好きか、今日はどの程度手間をかけられるか、などのことをもとに、論理的に整合な答えとして、今日の料理を決めている。
このように、無意識に行っている判断や選択や行為でも、意識的に考えたとたんに、実は論理的思考を伴っていることが分かる場合がある。

新型コロナウイルスの感染拡大で緊急事態宣言が出ている今日、友達と映画を見に行くという予定があるとする。その時は、感染状況や、行政府の緊急事態宣言の状況や、映画館の感染対策のことや、今後友達と会う機会があるかどうか、どの時間帯の電車がすいているか、感染すると大きなリスクを負うことになる人が家族にいないか、など、いろいろな要素を挙げてみて、自分なりに、やはり映画を見に行くことがよいとう選択をするか、不要不急なので延期する説明を友達に提案してみるという選択をするかを、意識化、言語化することができる。特に、延期の提案は、論理的説明が伴うと理解されやすくなる。これも論理的思考の一つといえる。
社会的問題や国際間の不一致も、感情的側面ではなく、論理的側面から状況を分析して理解することが重要である場合が多いことは明らかだ。世界論理デーを、論理的な観点から様々なことを見直す契機としたい。
(注1)世界論理デーはユネスコの人文科学分野の最高位機関である哲学・人文諸科学評議会(CIPSH:Conseil International de la Philosophie et des Sciences Humaines)とその論理学関連分野の国際科学基礎論連合部門(DLMPST)からユネスコ総会に提案された。
(注2)ユネスコ事務局長メッセージはこちら
