気迫のバンカー 西川善文さん

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POINT
■三井住友銀行の初代頭取を務め、1990年代後半からの金融再編をリードした西川善文さんが、82歳で亡くなった

■21年前、合併情報を確認する電話取材に、怒声を張り上げて否定した西川さん。気迫のバンカーだった

■金融とデジタルの融合が進む時代、銀行家に求められる資質は変わったが、スマートなバンカーだけでいいのだろうか

■いま、企業経営には新型コロナという強大な敵が立ちはだかる。コロナをはね飛ばす、気迫の経営者よ、出でよ!

 バブル崩壊後の1990年代後半、銀行は巨額の不良債権処理に追われ、日本経済に金融不況の嵐が吹き荒れた。そんななか、持ち前の剛腕で旧財閥の垣根を越えた銀行合併を実現させ、いまのメガバンク時代を切り開いたバンカー(銀行家)が、この世を去った。

調査研究本部主任研究員 林田晃雄

耳に残る怒声

西川善文さん
西川善文さん

 「そんなのはデマだ。書けるもんなら書いてみろ。ただじゃ済まねえぞ」――ドスのきいた怒声が、受話器の向こうからとどろいた。今も耳に残る。

 住友銀行頭取を経て、三井住友銀行の初代頭取を務めた西川善文さんが、9月11日に82歳で死去した。不良債権の大量処理に先鞭(せんべん)をつけ、銀行の大再編時代をリードした希代のバンカーである。今から21年前。1999年10月上旬の午前1時過ぎ。金融を担当する日銀クラブのサブキャップだった私は、当時住友銀行の頭取だった西川さんの自宅に、真夜中の電話取材を敢行した。非常識な時間にもかかわらず電話口に出てくれた西川さんに、「住友銀行とさくら銀行(旧太陽神戸三井銀行)は、近く合併計画を発表しますよね。取材には絶対の自信があります。明日の朝刊に書かせていただきます」と通告した。それへの返答が、冒頭の火を噴くようなタンカである。

追い込まれる大手銀行

 鋭い眼光に他を寄せ付けない威圧感。そんな西川さんに、私はなぜ無謀な取材をしたのか。話は少しさかのぼる。

経営破綻した日本長期信用銀行(1998年10月)
経営破綻した日本長期信用銀行(1998年10月)

 バブル時代、銀行は地価の「上昇神話」を信じ、不動産を担保に貸し込んだ。ところが、土地のバブルはあっけなくはじけ、担保価値は融資額を大きく下回った。銀行が担保を転売しても、融資をほとんど回収できない。そんなケースが続出した。全国の銀行は、98年3月期、99年3月期と2年度続けて12兆円を超える不良債権処理を迫られ、大手銀行の大半が赤字決算に転落した。98年10月に日本長期信用銀行が、12月には日本債券信用銀行が、巨額の不良債権を抱えて経営破綻に追い込まれた。「銀行不倒神話」は崩壊した。99年に入ると、「大手銀行が統合・再編して生き残りを図る」。そんなウワサが金融界を駆け巡った。99年8月19日、日本経済新聞は夕刊で、当時の日本興業、第一勧業、富士の3銀行が「共同持ち株会社を設立」すると、1面トップでスクープした。メガバンク時代の先駆けとなる、今の「みずほフィナンシャルグループ」である

 私たちは、スクープ合戦に敗れた。大手銀行の統合は普通なら10年に1回もない。合併・統合のニュースで先んじられたら反撃のチャンスはほぼない、というのが通り相場だったが、当時は金融システムが揺らいでいる非常時だ。私たち金融取材チームは、遠からず次の再編劇が起きると確信し、不眠不休の取材に突入した。

有力情報に沸き立つ

 9月に入り、早くも我々のアンテナに有力情報が引っかかった。当時の住友銀行とさくら銀行の合併構想である。住友、三井という旧財閥の名門銀行が、垣根を越えて手を組む。金融史を塗り替える動きをつかんだことに、取材チームは沸き立ち、裏取り取材に走り回った。

 取材情報を集約して、10月初旬にはスクープの原稿が出来た。経済部内の検証や他部署との調整を終え、ある土曜の午前1時過ぎ、最後の確認作業、いわば「仁義を切る」ためにかけたのが、西川氏への電話だった。経済界では「合併に関してはウソをついてもいい」と言われる。「当然、否定はするだろうな」と思っていた。だが、西川氏の反応は、私の想像のはるか上を行く、渾身(こんしん)の否定だった。

 「なにー。うちが合併だと。そんなデタラメ誰が言っていやがるんだ」「書くだと。恥をかくのはおまえらだぞー」。私も、「お言葉ですが、綿密な取材の結果、確信があるものですから……」と食い下がった。しかし、「オレが全部決めてんだ。そのオレが違うって言ってんだから、違うに決まってるだろ」と譲らない。「記事にしたら、とんでもないことになるぞ」。そんな捨て台詞を残し、電話はいきなり切れた。

渾身の否定に気合い負け

 否定するのは当然としても、あれだけ怒り狂ったのは、現時点で合併情報が流れると構想そのものがつぶれるなど、何らかの事情があるのではないか。ましてや名門財閥系同士である。グループ会社への根回しや了承は欠かせない。まだ、根回しが終わっていないのではないか。報道をきっかけに合併構想そのものもがつぶれてしまっては、結果的に「誤報」となり、元も子もない。さまざまなことが頭を駆け巡り、その日の掲載を見送った。

1999年10月14日付読売新聞朝刊1面
1999年10月14日付読売新聞朝刊1面

 スクープの潮時を見定める情報を取るのは極めて難しい。決め手を欠いたまま時間は流れ、10月13日の深夜か14日未明、ある通信社が「住友銀、さくら銀、経営統合検討か」といった観測記事を配信した。合併計画をつぶさないために報道を我慢するという選択肢は消えた。14日付読売新聞朝刊の1面トップに、「住友・さくら銀合併へ」の大見出しが踊った。日経新聞も、「全面提携へ」などの記事を載せた。東京の縮刷版を見る限り、朝日新聞と毎日新聞の14日付朝刊には、この再編の記事は見当たらない。

住友、さくら両行の合併発表記者会見(右は西川さん、左はさくら銀の岡田明重頭取)
住友、さくら両行の合併発表記者会見(右は西川さん、左はさくら銀の岡田明重頭取)

 住友、さくら両行の対応は早かった。夕刊で各紙が報道した14日の夜には、頭取2人が並んで記者会見を開き、合併を基本とした経営統合の方針を発表した。周到な準備ぶりがうかがえる素早い対応だった。合併計画を進める西川頭取を、企画部長として支えた奥正之氏は、日経新聞の連載「私の履歴書」をまとめた回顧録「金融はまだまだ面白い」(日本経済新聞出版)で振り返っている。3銀行の統合計画発表から、わずか10日後の8月30日の経営会議で、さくら銀行との経営統合を目指す方針で結束したと。つまり、西川さんは合併発表への準備を1か月以上、着々と進めながら、10月上旬にかけた深夜の取材電話に対し、事実無根だと「とぼけ通した」ことになる。それも、怒声を張り上げて。

 合併は2001年に実現し、三井住友銀行が誕生した。あの夜、掲載していたら、本紙は大スクープものにできたはずだった。私は今でも、判断ミスを悔いている。西川さんには、この合併を成就させなければ日本の金融再編が停滞し、金融システムが壊れてしまう。そんな使命感があったのかもしれない。いずれにせよ、鬼気迫る否定を演じて見せた西川さんの気迫に、私は敗れたのだった。

ラストバンカーなのか

 西川さんの死去を伝えた各紙の見出しには、「剛腕」「仕事師」「気骨」などの文字が並んだ。回顧録のタイトルから「ラストバンカー(最後の銀行家)」も多用された。西川さんが、実務にたけた仕事師であり、戦後史に残る経済不祥事「イトマン事件」への対応などで、若い時から剛腕ぶりを発揮してきたことは間違いない。ただ、私個人としては、先の経験もあり、西川さんは「気迫の人」だったように思う。「ラストバンカー」という(おくりな)についても、やや納得がいかない。どんな銀行家が求められるのか、時代によって違うはずだからだ。不祥事や不良債権処理、相次ぐ金融再編。時には相手を怒鳴り、力業で屈服させてでも難局を打開しなければならない。そんな緊迫した時代を乗り切ったバンカーとしては、西川さんは最後の1人なのかもしれない。

 すでに、金融とデジタルの融合が進んでいる。今後は、理系脳をフル回転させ、次々と新たなビジネスを創造していく。そんなスマートなバンカーが主流になっていくのだろうか。それでも、である。これから、西川さんのような「気迫のバンカー」の再登場が必要になるような気がしてならない。日本銀行による超低金利時代が長引き、預金金利と貸出金利の差である利ざやは縮小が続く。

 銀行の収益が細る中、新型コロナウイルスという強大な敵が現れた。外出自粛や外国人観光客の激減の直撃を受けた飲食や観光はもとより、幅広い会社が経営難に陥りつつある。コロナ禍を受け、今年4―6月期は地方銀行の6割が減益か赤字になった。大手銀行も厳しい。不良債権処理額が急増し、利益を圧迫した。「コロナ不況」が長引けば、不良債権は急増しかねない。非常時への備えは怠れない。銀行に限らず、困難をぶち破る腕力と気迫を持った経営者が、国難とも言われる「ウィズコロナ」の時代にこそ求められるのではないか。

安らかに

 不思議なもので、取材先の方でも上司でも、優しかった人よりも、クセが強くて怖い人の方が記憶に残っている。本紙9月13日付朝刊で、是枝智経済部長は西川さんについて、「担当記者だった時もこわかった印象しかない」と振り返っている。そんな怖い人が、チラッと優しさを見せた時の印象は忘れがたい。

笑顔を見せる西川さん
笑顔を見せる西川さん

 西川さんの穏やかな笑顔を見たことがある。意外にも、あの夜の電話取材の非礼をわびようと、翌朝一番で自宅を訪れた時である。庭に茂る草木にホースで水をやっていた西川さんは、頭を下げる私に「若いうちは無茶なことをやるものだ。気にするな」と、ほほえんでくれた。「気の小さい若い記者を、言いくるめたのが愉快だっただけだよ」。そう、ほくそえんでいらっしゃったのかもしれないが。

 西川さん。空の上には、火の出るような論戦も、神経をすり減らす駆け引きもないでしょう。ちょっと退屈かもしれませんが、草木に水でもやりながら、のんびりと過ごしてください。

 林田晃雄(はやしだ・あきお) 経済部次長、論説委員、論説副委員長を経て現職。バブル崩壊に始まる激動の平成経済を取材。専門分野は金融・証券、マクロ経済、エネルギー政策など

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1523961 0 経済・雇用 2020/10/05 17:56:00 2020/10/08 15:23:28 2020/10/08 15:23:28 https://www.yomiuri.co.jp/media/2020/10/20201005-OYT8I50115-T.jpg?type=thumbnail

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