改正国民投票法成立の経緯と意義 新藤義孝 衆院憲法審査会・与党筆頭幹事

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POINT
■6月に実現した憲法改正国民投票法の改正では、審議を阻止しようとした立民・共産の一部野党と、力で押し切ることを求めた自民党内の声とのはざまで、憲法審査会の運営は、難しい判断を迫られた。

■最終的に大荒れにならずに改正法が成立したことで、今後、憲法本体の議論も粛々と進むことを期待したい。

■一部野党は、国民投票に関するCM規制の議論が決着しないと、憲法本体の議論に進むことはできないと主張しているが、間違っている。

■世論の期待が大きい憲法論議に真剣に取り組むことは、国会議員の責務だ。

聞き手 調査研究本部主任研究員 舟槻格致 

新藤義孝氏 しんどう・よしたか衆院憲法審査会与党筆頭幹事。自民党政調会長代理。1996年衆院選初当選。経済産業副大臣、総務相などを歴任。衆院埼玉2区。当選7回。63歳。
新藤義孝氏 しんどう・よしたか衆院憲法審査会与党筆頭幹事。自民党政調会長代理。1996年衆院選初当選。経済産業副大臣、総務相などを歴任。衆院埼玉2区。当選7回。63歳。

 憲法改正の手続きを定める国民投票法の改正が、通常国会で実現した。4年越しの懸案が解決したことで、国会は、いよいよ本格的な憲法論議に移ることが期待される。読売新聞の全国世論調査では、憲法改正を求める声は過半数に達している。特に新型コロナウイルスの感染拡大を受け、より実効ある政府の措置を求める立場から、緊急事態対応で改憲が必要と考えている人は6割に近い。にもかかわらず、一部野党を中心に、憲法を議論すること自体への抵抗感も根強い。何がネックになっているのか。改正法の協議に当たった衆院憲法審査会の新藤義孝・与党筆頭幹事(自民)が、表裏の両方の舞台で汗をかいた内幕を振り返りつつ、今後の見通しを語った。

デジタル化と新「流通革命」

4年越しの懸案解決

――2018年6月に提出された7項目の改正国民投票法が、今年6月に成立した。一時は与野党が対立して審査会が大荒れになることも心配されたが、最後はスムーズだった。

 法案は、19年5月に与野党間で採決することが一度合意されたのに、その後、全く進まなかった。憲法改正に向けた「一つのプロセス」ではあるが、すべての政党が採決に参加し、混乱なく成立したのは大変喜ばしく、良かった。

 7項目は、駅や商業施設などに「共通投票所」を設置するといった、公職選挙法ではすでに実現している投票環境の改善が狙いで、中身に異論が出るはずがないものばかりだ。

 ところが、立憲民主党などの反対で途中から議論がピタッと止まり、審査会を設定するための幹事懇談会すら開けなかった。私が筆頭幹事として衆院憲法審査会に加わったのは、ちょうどその時期(18年11月)だ。

 立民などは「7項目を改正すれば、一挙に憲法改正が進む」と懸念したようだ。一部マスコミ報道でも、同様の観測があった。だから「7項目をストップさせれば、憲法改正も阻止できる」と考えたのだろう。

 私は「公選法で整備済みの内容とそろえるだけだ。これを終わらせたから、あとは一気に憲法改正だ、というわけではない」と訴えた。

 さらに、CM規制強化の問題も持ち上がった。これは、大阪で行われた住民投票などの教訓から、賛・否両派の資金量の多寡により、国民投票の結果が誘導されないためのものだったが、「CM規制の結論が出なければ、一度合意した7項目の改正も採決できない」とも言われた。だが、それで7項目の採決まで止めるのは、筋が通らない。私は「CM規制は議論の余地がある。きちんと検討しよう」と認めるとともに、幹事懇談会は開催し続けるよう説得を続けた。一昨年秋には、与野党のメンバーで、憲法に関する欧州視察を行ったが、調査項目に各国のCM規制も加えた。

 審査会が再開できたのは、通例化していた視察の結果報告に対する自由討議を開催しようと呼びかけたからだ。その後、審査会を開ける週には毎回自由討議を行い、開催できない週も、幹事懇談会を開いて議事内容を協議するという流れが、徐々にできていった。

 確かに国民投票法改正案は、法的には与党だけの過半数でも採決が可能だ。実際、自民党内からは「いつまでも (らち) があかなければ強行すべし」という声もあった。だが、与野党が手続法の時点で激しく対決すれば、その後の国会発議に大きな影響が出ることも考えられる。だから私は、野党の理不尽には採決強行も辞さずとの強い交渉を行いつつ、野党が採決を拒否できる余地を失くすという、両面から与野党協議に臨んだ。

 こうした努力の延長線上に、時間はかかったが、今回の改正法成立があったと思っている。最終的な結果を出すための布石として、自民、立民両党の幹事長・国会対策委員長会談を昨年12月に行い、次の国会で何らかの結論を得るという約束を交わして通常国会に臨んだのは、報道の通りだ。

CM規制を巡る攻防

――CM規制などについて「法施行後3年を目途に検討を加え、必要な法制上の措置を講ずる」という付則も加わった。一部野党は、これを盾に憲法本体の論議に入るのを再び阻止しようとするのではないか。

 法律に追加されたのは付則の検討条項であり、CM規制の問題と、投票環境向上に関し新たに公職選挙法に合わせる必要が生じた論点を検討することが盛り込まれた。だが、同時に憲法本体を論議してはいけないという規定は一切ない。これが真実の法解釈であり、与野党の共通認識だ。

 国会法などで定められた憲法審査会の権能は、基本的に<1>憲法に関する調査・改正原案の審査<2>憲法改正国民投票法の審査――の二つだ。審査会はこの二つを議論するためにあり、これらを並行して論議することは設置目的そのものといえる。

 CM規制は議論する必要があり、私も、すでに自由討議で論点整理を提示している。一方、憲法改正についても、読売新聞の全国世論調査では国民の過半数が求めているし、憲法に関する議論を「もっと活発に行うべきだ」では65%に及んでいる。憲法の課題と解決策について 真摯(しんし) に議論するのは、国会議員の責務にほかならない。

 「CM規制など国民投票の公平公正を担保するための議論が決着を見ないまま、憲法改正の発議が出来るのか」と心配する声が野党にあることは承知している。だが、その議論と憲法本体の論議は、順番に行うものではなく、同時並行で進めていくべきものだ。仮に、憲法論議を遅らせる手段としてCM規制の議論を利用し、それを終わらせない限り憲法本体の論議をしない―と主張するのであれば、その政局的目論見には断固くみしない。

 だが、そうした懸念もない訳ではない。衆院憲法審査会で、改正国民投票法7項目の採決が行われた5月6日、朝の幹事会で私が提案した「翌週の13日も憲法審査会を開いて自由討議を行おう。CM規制も含めて議論すれば良い」との主張は、参院に審議が移ることなどを理由に一部野党が拒否し、結局、衆院審査会は採決の後、一度も開かれなかった。野党側が要求し法案修正までして審査会で議論すべきだとしたCM規制などについて、その議論の場を作ろうとしない姿勢は、矛盾しており誠に遺憾だ。

与野党協調重視の「中山方式」

――憲法審査会は、前々身の憲法調査会(2000~05年)以来、通常の委員会よりも与野党協調を重視して円満に進める、いわゆる「中山方式」が運営の基本となっている。衆院憲法調査会長を務めた中山太郎・元外相の名前にちなんだ手法だ。憲法改正が、衆参各院の3分の2以上による発議と、国民投票での過半数による承認という高いハードルを経ないと実現できないことを考慮したものだが、一部野党に譲歩しすぎて議論が進まないことに焦慮する向きもある。

新藤氏の祖父は硫黄島の戦いの最高指揮官、栗林忠道・陸軍大将。議員会館の事務所には祖父の遺影や、硫黄島で戦ったローレンス・スノーデン米海兵隊中将と米議会で握手する自らの写真も。
新藤氏の祖父は硫黄島の戦いの最高指揮官、栗林忠道・陸軍大将。議員会館の事務所には祖父の遺影や、硫黄島で戦ったローレンス・スノーデン米海兵隊中将と米議会で握手する自らの写真も。

 中山方式の客観的な事実認識が必要だと思う。まず、憲法調査会時代は、憲法改正原案の審査は行わず、憲法の調査のみを行う組織という位置づけだった。それまで、憲法の議論を行うことは国会のタブーであり、それを打ち破るための苦肉の策と考えるしかない。

 日本における憲法改正の動きで重要なものとしては、まず内閣に憲法調査会が1957年に発足し、7年間、憲法制定経過や改憲の必要性について調査した。その後、冷戦下で日本の憲法論議はタブーの色彩を強め、憲法を審議する機関が存在しない状態が続いてしまった。

 ようやく超党派の「憲法調査委員会設置推進議員連盟」ができたのが、97年だ。議連は、「せめて国会に憲法を調査する委員会を作ろう」と3年間運動を行い、2000年の衆参憲法調査会発足にこぎつけた。私は1996年の衆院選で初当選したばかりだったが、議連の創立メンバーに加わり、その後設置された衆院憲法調査会でも初期の幹事を務めた。

 野党、少数政党に配慮するのが中山方式だ。通常の委員会では、質疑時間は国会の勢力に応じてドント方式で割り振られるが、調査会では、大政党も小政党も同じ質疑時間にした。そのうえで「与党は度量、野党は良識」をもって議論をしようということが唱えられた。

 2005年には、5年間の議論を経て調査会報告書がまとまり、調査会の後身として、衆参両院に、国民投票法制定を議論するための憲法調査特別委員会が設置された。投票法が成立したのは07年で、いよいよ特別委の後身として憲法審査会が衆参に発足し、憲法改正発議の議論が可能となった。

 だが、審査会は4年3か月の間、委員の選任すら行われず、実際に動き始めたのは11年だった。そして14年には、18歳投票権を認めるなどの国民投票法改正ができた。今回、国民投票法改正7項目によって、実に7年ぶりに法律改正が一本できたということになる。審査会の歩みは遅々として進まないが、過去の先輩方の苦労が (しの) ばれる。

 中山方式の思想は「憲法は国民のものであり、国会議員は国民のための議論を静かな環境で深めていこう」というものだ。その基本精神は、私も受け継ぐべきだと考えている。だが、審査会は、改憲原案の起草・審査という、憲法調査のみを行う時代とは全く次元の異なる重要な権限を持つ組織となっている。我々国会議員は与野党を問わず、国民の負託に応える重い責任を自覚し、真摯に審査会の運営にあたらなければならない。

 日本国憲法は、改正してはならない「不磨の大典」ではないはずだ。にもかかわらず、先進国の憲法の中で改正されたことのない最も古い憲法となってしまった。

 日本国憲法の基本原理である「国民主権」、「基本的人権の尊重」、「平和主義」といった理念は継承すべきだ。だが、時代や社会情勢の変化に応じたアップデートは必要だ。もちろん改正の回数が多ければ良いという訳ではないが、ドイツではすでに、65回も憲法を改正している。私たちが海外調査した2年前には63回目の改正の直後で、内容は、教育のデジタル化だった。基本理念を維持しつつ、時代に合った憲法へと手直しすることを恐れてはいけない。想定していなかった事柄について解釈・運用で (しの) ぐのは限界を超えている。

 自民党が示した憲法改正案4項目は、最も基本的で、議論した方が良いと思われるものをたたき台として例示したものにすぎず、別の論点を加えることもあり得る。たとえば昭和20年代には、環境権などという概念はなく、プライバシーや個人情報保護など、全く考えられてもいなかった。だから、時代に応じたアップデートが必要では、と私は訴えたい。

 「コロナ禍において、明日の暮らしが大変な時に憲法改正を議論している余裕があるのか」という意見があることも承知している。だが、憲法は基本法であり、すべての法律に通底する存在だ。たとえば、コロナ感染症が 蔓延(まんえん) しているときに、一般病床と同時にコロナ病床をどうやって整備したらいいのか。病床の融通はどうやったらいいのか。ワクチンの認可も、平時の法律で間に合うのか。これだけSNSが浸透している中で、表現の自由、個人情報保護をどうするか――。すべては、法律だけでなく憲法にも絡む問題だ。

 さらに、災害で壊滅的な打撃を受け、銀行が機能を停止したら、どうするのか。物価や物資の供給はどうなるのか。具体的に細かく憲法に規定するものではないだろうが、有事に、どのように国民と国家の安全を守るか、根本概念を憲法に規定しておかないと、「明日の暮らし」に支障が生じうる。そのことは、肝に銘じておかなければならない。

 だから、憲法論議とコロナ対応は、同時並行で考えていかないといけない。私たちは、そのことを国民にきちんと説明していく必要があるし、国民はコロナ感染症の蔓延に際し、どのように対応すべきなのか高い関心を持っている。

 一部メディアにもお願いしたいことはある。政治家の発言には、確かにいろいろな思惑があり、政局が絡むことがあるのも現実だ。しかし、客観的な事実、必然性に基づく発言も多い。すべての発言を政局がらみや、何かの思惑があるとの前提で報道されてしまえば、国民に正しい認識が伝わらなくなってしまう。公正・公平な状況や多様な意見を伝えるメディアとしての役割を果たすことを期待している。

 我々国会はもとより、国民もメディアも、憲法論議を特別扱いするのではなく、常にアップデートを意識するとともに、国が間違った方向に向かったり、権力の濫用につながったりしないかチェックすることなど、国の基本法としてのあるべき議論を活発に行ってはどうか。

緊急事態条項への関心高まる

――世論調査では、特に緊急事態条項への関心が高まっている。コロナ禍が原因と思われる。自民党の4項目には、緊急事態条項の規定はあるが、「感染症」という言葉は入っていない。審査会などで議論すべきではないだろうか。

 私も、感染症の蔓延事態が生じた際の様々な対処についての議論は重要だと思う。

 緊急事態の論点は、他にもある。大災害が発生して選挙ができない場合の国会議員の任期の特例的延長は、憲法を改正しないと出来ない。そもそも本会議の定足数を満たすための議員の「三分の一以上の出席」という概念も、「密」を避けることとの兼ね合いなどの観点から議論の整理が必要だし、国会が召集できない時に内閣が制定する緊急政令も、早急な検討が必要と思っている。

 さらに、緊急事態条項以外にも重要な論点はある。たとえば、参院選挙区選挙の合区や、地方公共団体のあり方の問題だ。

 日本国憲法を制定した時には少子高齢化、人口減少は全く想定していなかった。一票の較差を出来るだけ少なくすることは、憲法の法の下の平等による要請だが、これを徹底すると、過疎化の進展による人口減少が著しい地域では、選挙区が広域となり身近な議員を出せなくなってしまう。一方、人口が集中する都市部では、選挙区が細分化しすぎ、すでに自治体の首長よりも小さな選挙区で国会議員を選ぶ事態が生じている。こうした傾向は、今後もっと顕著になってくるだろう。

 投票価値の平等は大前提だが、同時に国会議員には、都市部から山間部、海辺など、様々な地域の実情と民意を国政に反映させることも求められている。憲法に謳われている「地方自治」には細かな規定がなく、県も村も、大都市も過疎地も、同じ扱いでしかない。例えば憲法上の地方公共団体を、広域自治体と基礎自治体に区分し、それぞれの役割を明確化した上で、地域の民意の反映は広域自治体を基本とする。そうなれば、参院議員の選挙区は、地域の民意の反映と一票の平等のバランスという観点から広域自治体を基本とし、そこから一人を選ぶという考え方も成り立つことにならないか。

 これは参院に限らない。衆院の選挙区割りにも関わってくる。重要なのは「一票の較差」のみに拘泥するのではなく、「地域の声」とのバランスを取り、国会議員を合理的かつ適切な区域から選ぶことができるようになっているか、ではないか。人口減少、都市と地方の格差が加速している今、喫緊の課題だ。

 教育の充実も重要だ。現行憲法の規定は、終戦直後の荒廃した時代を背景に、子供は国の宝だから、せめて無償で義務教育を受けさせよう―という趣旨しか書かれていない。今や、学校を卒業してからまた学び直す生涯教育も保障すべきだし、経済的な理由で教育機会が失われることの無いようにしなければいけない。また、「公の支配に属しない教育事業等への公金の支出」の禁止を明記した憲法89条からは、私学助成が違憲と読める。教育等に対する国家権力の介入はあってはならないという反省から設けられた規定だが、今や実態とずれている。教育の理念についての議論が必要だろう。

 そもそも日本国憲法には、誰が、どのような手段で国民の命と財産を守るのかという国家における最も基本的な要素が欠けている。憲法制定当時、日本を守っていたのは連合国軍総司令部(GHQ)だったからだ。

 私が当選2年目の1997年、GHQで日本国憲法制定に関わったベアテ・シロタ・ゴードン氏ら民政局の3氏を憲法調査委員会設置推進議員連盟で旅費を出し合ってお呼びし、シンポジウムで別々に講演してもらったことがあった。

 3人は一様に「確かに日本国憲法の原案は私たちが作成しました。しかし、それは占領下における日本国憲法であって、まさか日本が主権回復後も、50年間一字一句変えずに使ってくれるとは思わなかった。日本の皆さんどうもありがとう」と発言したことを、ものすごく鮮烈に記憶している。

 自民党は昭和30年の立党の綱領に「現行憲法の自主的改正」を掲げている。これは「日本の自主独立の完成」を目指したものであり、この立党の原点は、まさに日本国の原点でもある、と考えている。

解説 因果巡る小沢氏VS枝野氏


「枝野さんは、小沢さんに似てきた」。

 そんな声が、国会内で聞かれるようになった。

 立憲民主党の枝野代表が、憲法審査会の議論を阻み続けている。同党の窓口として、衆院憲法審査会の現場で与野党協議に臨んでいるのは、山花郁夫・党憲法調査会長だ。山花氏は、審査会では野党側の筆頭幹事であると同時に、「会長代理」職も務める(会長は自民党の細田博之氏)。野党であっても責任を持って憲法論議の運営に当たるべしという審査会の理念に基づくポストだ。

 山花氏は、旧社会党委員長を務めた山花貞夫氏の長男で、護憲派のイメージを持たれることもあるが、実態は少し違う。憲法を司法試験予備校で教えたこともある専門家で、憲法論議を拒否はしない。改憲も、中身次第では否定しない考えだ。

 カウンターパートの新藤氏との間では、一定の信頼関係も出来つつある。今回、時間は要したものの、混乱することなく7項目の国民投票法改正が実現したのも、「新藤―山花ライン」を最後まで保ち続けてきたのが実を結んだと言って良いだろう。

 山花氏が、審査会開催に応じようとするたびに妨害してきたのは、立民の国会対策委員会であり、張本人は、背後にいる枝野代表その人にほかならない。

 かつて2007年、衆院憲法審査会の前身である衆院憲法調査特別委員会は、国民投票法を戦後はじめて制定した。この時、旧民主党の窓口として与野党協議に汗をかいたのが、民主党憲法調査会長の枝野氏だった。与党は、枝野氏の修正要求に大幅に譲歩し、与野党協調による法案採決は、もう間違いないと見られていた。

 ところが土壇場で、民主党代表の小沢一郎氏が反対を決めたことで、民主党は態度を豹変させざるを得なくなった。当時の枝野氏の当惑した様子が思い出される。

 現場で煮え湯を飲まされた当時の枝野氏と、トップダウンではしごを外しにかかった小沢氏の姿は、今の山花氏と枝野氏自身に重なる。

 当時の小沢氏も今の枝野氏も、与野党が協力して憲法論議を進めることは、選挙にマイナスとの判断があったと見られている。小沢氏はその後、第1次安倍政権を参院選で破り「ねじれ国会」に持ち込んだ。枝野氏も、共産党の協力姿勢を衆院選で引き出せれば、小選挙区で与党に対抗する上で有利に働くという思惑があるとされる。

 犬猿の仲と言われた小沢氏に、枝野氏が似てきたのは、政治の大いなる皮肉と言わざるを得ない。

 憲法審査会は、国家百年の計を議論する場だ。目の前の選挙の有利・不利の判断から、日本の将来を左右する憲法の論議に入れないとしたら、政治は大いに責任を問われよう。憲法問題は、一にも二にも、野党第1党の対応が鍵を握る。「政局を離れて運営を」と訴え続けた中山氏の言葉を今一度、噛みしめたい。(舟槻格致)

※この論考は調査研究本部が発行する「読売クオータリー」掲載されたものです。読売クオータリーにはほかにも関連記事や注目の論考を多数収載しています。最新号の内容やこれまでに掲載された記事・論考の一覧は こちら にまとめています。
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2248174 0 政治・選挙 2021/07/30 12:01:00 2021/07/30 12:01:00 2021/07/30 12:01:00 https://www.yomiuri.co.jp/media/2021/07/20210728-OYT8I50131-T.jpg?type=thumbnail

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