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西洋における「文明衝突」〈下〉米国「分断」に横たわる「反近代主義」

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POINT
■宗教に冷たい世俗主義(新文明)と宗教に (あつ) い伝統主義(旧文明)の間の対立は、米国を含む西洋圏全体に広がっている。

■世俗主義派が強い西欧の有力国では、伝統主義派は存在感が薄い。これに対し、米国では、伝統主義派は活動的で、時として攻撃的になる。

■反科学主義、反中絶などの面で、米国の伝統主義派の攻勢は、世俗主義派を苦しめている。

■米国における新旧文明のせめぎ合いは、政治を巻き込み、政教は密な関係にある。この米国の「文明衝突」は、今後も続くだろう。

文明論考家、元駐バチカン大使 上野景文  

 〈上〉では、フランスにフォーカスしつつ、宗教に冷たい「世俗主義派」と、宗教に篤い「伝統主義派」との間の「文明衝突」について考察した。啓蒙(けいもう)思想に由来する「近代主義」(modernism)を受容する「新文明」と、「近代主義」受容に消極的な「反近代主義」(pre-modern)の「旧文明」との対立ともいえる。この「文明対立」は、フランスだけにおさまらず、西欧全体、ひいては、米国でも見ることができる。

ハンチントン教授の見落とし

サミュエル・ハンチントン教授(2001年撮影)
サミュエル・ハンチントン教授(2001年撮影)

 1993年、S.ハンチントン米ハーバード大教授はForeign Affairs誌に「文明の衝突」という論文を発表し、「西洋対中国」「西洋対イスラム」という二つの文明対立に警鐘を鳴らして脚光を浴びた。しかし、ハンチントン教授は「西洋はひとつの文明だ」との前提に立ち、西洋圏内で進行中の「文明の対立(衝突)」には関心を払わなかった。筆者は2006年から4年間バチカンに駐在し、西欧を観察して、教授の大きな見落としに気づいた。

 それは、「文明論的に言えば西欧はひとつではない、ふたつある」ということだ。すなわち、西欧には世俗主義に立脚する文明と、伝統主義に立脚する文明のふたつがあって、対峙(たいじ)・対立しているのだ。

 この対立は西欧だけではなく、米国でも起きている。つまり、「文明論的にいえば、米国もふたつある」。しかも、米国における文明衝突は、西欧より明瞭・顕著に起きている。フランスでもイタリアでも、大西洋を渡った米国でも、この文明衝突に着眼せずに、それぞれの国の現状を深く理解することはできない。

「文明衝突」の源 啓蒙思想の出現

 「文明衝突」の起源は、数世紀前の啓蒙思想の出現・台頭にさかのぼる。それ以前の中世の西欧では、神羅万象をあまねく律する「神」が宇宙の中心にいた。「神」は玉座にあって全てを支配していた。この「神中心思想」が絶対的に君臨していた時代には、文明はひとつであり、「文明の衝突」は起こり得なかった。

 ところが、16世紀から18世紀にかけて、この旧来の思想・原理への挑戦者が現れた。「神」を玉座から退け、それに代わって「人間」をそこに座らせようという「人間中心思想」の出現である。この革命的な思想によって時代は中世から近代へ移行したが、この転換を支え、主導した立役者は言うまでもなく啓蒙思想だった。啓蒙思想は宗教に冷淡で、脱キリスト教的な体質を有する。

 この思想はやがて、「自由」「人権」「民主主義」などの世俗主義的、近代主義的な原理を生み出したが、これらの原理は単なる理念にとどまらず、退位させた「神」に代わる新しい絶対的「正義」として登場した。近代主義者は新たな「自由」「人権」などの原理を「神」のごとく奉ったため、「自由」「人権」は「擬似(ぎじ)的な神」となった。この「神なき宗教」はキリスト教から宗教的パッションだけはしっかりと受け継ぐ(注1)ととともに、新しい文明観を生み、旧文明への挑戦者となっていく。

「神なき宗教」と「伝統主義」 五つの衝突

 「神なき宗教」の主なものには、〈1〉自由を絶対視する「自由教(自由信仰)」〈2〉人権を絶対視する「人権教(人権信仰)」〈3〉民主主義を絶対視する「民主主義教(民主主義信仰)」〈4〉宗教を隔離する「ライシテ教」〈5〉科学を絶対視する「科学教(科学信仰)」――の五つがある。五つの宗教(以下「5教」と呼ぶ)は母体である啓蒙思想と同様に、伝統主義を否定して成立しているから、神を絶対視する伝統主義とはウマが合わない。しかも、「5教」の言動には、伝統派を苛立(いらだ)たせるものが少なくなく、伝統主義派は「5教」への反発を隠さない。個別に対立の実態を見てみよう。

「自由教」(自由>宗教)と伝統主義(自由<宗教)

 フランスで発表されたムハンマドを風刺した漫画は、世界のイスラム教徒を怒らせたが、世俗主義派は「表現の自由」を絶対視し、「宗教の冒涜(ぼうとく)」は意に介さない。この問題について、「自由」を優先する世俗主義派と「宗教」を優先する伝統主義派は、真っ向からぶつかる。フランスやデンマークなどでは、世俗的自由が宗教に優越し、宗教(イスラム)を冒涜する漫画(注2)であっても、発表する自由は制限するべきではないという主張が強い。これに対し、宗教の冒涜はあるまじきことと考えるバチカンやイスラム教徒などは、漫画家の行為を一貫して強く批判している。

イタリアの公立学校では、多くの教室に、十字架にはりつけになったキリストの像が飾られている。ある父母が、「信仰の自由を侵す」として、2006年、イタリア政府を相手取り、この像の撤去を求めた訴えを起こした。欧州人権裁判所の1審は09年に像の撤去を命じたが、イタリア政府が控訴して、同裁判所の大法廷は11年、像は宗教のシンボルではあるが、「信仰の自由」を侵すまでのものではないとして、原告の訴えを退けた(注3)。

「人権教」(人間>神)と伝統主義(人間<神)

人権デモのプラカード(写真はイメージです)
人権デモのプラカード(写真はイメージです)

 世俗主義派は、生命倫理(中絶、安楽死、死刑)、家族倫理(同性婚、事実婚、LGBT)などに関わるリベラルな諸権利を拡大・強化するべく活動するが、バチカンや米国、東欧などの伝統主義派は、世俗主義派の主張は「神意」に反する「相対主義」だと強く批判している(注4)。人間と神のどちらが優越するかというこの対立は、「5教」の中でも最も対立の激しいテーマだ。

 まず、生命倫理の中でも特にデリケートな人工中絶について、バチカンなどは「殺人」だとして糾弾し、ハンガリー、ポーランドにも制限を強化する動きがある。一方、スペイン、ポルトガル、アイルランドなど、これまで中絶に厳しかった保守的な西欧の国々は、この10余年、中絶を容認する方向にかじを切りつつある。イタリアではテレビの討論番組で中絶やゲイなどのテーマを取り上げることがあるが、世俗主義派と伝統主義派とが取っ組み合いをするのではないかと心配になるような激しいやりとりを見せるものが少なくない。

 米国では、1973年に最高裁が中絶を容認する判決を出しているにもかかわらず、近年、多数の州で人工中絶抑制を強化する措置がとられている。中絶を実施するクリニックが放火されたり、医師が銃殺されたりする「宗教テロ」も起きている。中絶の是非を巡る世俗主義派と伝統主義派の対立は、政治とも連動し、これまでの大統領選挙で、世俗主義派の支援を受ける民主党候補と、伝統主義派の支援を受ける共和党候補との間で一大争点となってきた。

 安楽死を認めるかどうかについても同様の対立がある。バチカンなどは「殺人だ」と批判するが、スイス、ベネルックス3国、カナダ、米国のうち6州、豪州の1州が部分的に安楽死を容認している。

 死刑制度は、米国の一部の州になお存続しているが、欧州連合(EU)域内では認められてない。世俗主義派とウマが合わないバチカンではあるが、死刑制度に限っては、世俗主義の強いEUと歩調が合っている。

 人間だけでなく、動物の命を奪うことについても議論がある。EUや米国カリフォルニア州などでは、動物を犠牲にすることや動物のと殺法について、さまざまな規制を課している。「殺すこと」への規制では、EUは、製薬実験で犠牲にする動物の数を極力限定すること、霊長類は原則として実験には使わないこと、化粧品開発のために動物を犠牲にすることは禁止する。家畜のと殺法についてもEUは規制を課すが、EU域内に住むイスラム教徒やユダヤ教徒は、家畜のと殺方についてはかれらの宗教が定めるところに従いたいと主張し、EUと摩擦を生んでいる。

 家族倫理では、ベネルクス3国、フランスなど欧州13か国、米国、カナダなどで、2010年代になってから同性婚を容認する動きが加速した。EUは、加盟の条件の一つとしてゲイの合法化を求めている。しかし、バチカンやポーランド、ハンガリーなどは依然として同性婚を容認していない。

「民主主義教」(民意>宗教)と伝統主義(民意<宗教)

 政治と宗教の関係は、どの国でもデリケートな問題だ。西欧諸国はおおむね「世俗主義」(人間中心主義)を基軸とした政教分離を原則としており、政治に「神(神意)」、すなわち宗教色の入り込む余地は大きくない。ただ、ドイツ、オーストリア、イタリア、スウェーデンなどは現在も政府が「教会税」を徴収して教会に配分しており、政教分離には不徹底な面もある。他方、旧東欧諸国では、ビザンチン帝国以来の伝統を引き継ぎ、各国の正教会と政治とは密接であり、「政教分離」にはほど遠い。

 米国では政治と宗教の関係はかなり複雑だ。今回の大統領選挙でも、共和、民主両党の選挙本部に聖職者が入って戦略を指示している。政治と宗教は絡み合っており、「政教分離」は不完全だ。

「ライシテ教」(公>宗教)と伝統主義(公<宗教)

 フランスの「ライシテ」については〈上〉でも紹介した。同国は、革命以来ほぼ一貫して宗教の「封じ込め・隔離」「教会(たた)き」を続けてきており、1905年には公の空間から宗教を排除するライシテの基本法を定めている。「宗教叩き」の激しさはフランス特有で、西欧・米国風の世俗主義と比べても格段に激しい(注5)。

 長年にわたる「カトリック叩き」の結果、フランスでは、カトリック教会の存在感は大きく低下し、近年は「イスラム叩き」も進んでいる。イスラム教もカトリック教と同様の運命をたどるとみられている。フランスとベルギーでは「ライシテ」にのっとり、イスラム系女性が公共スペースでイスラム色の強いスカーフやニカブなどを着用することを禁じている(注6)。

 なお、バチカンはEUの基本条約とも言うべきリスボン条約(2009年成立)の起草・交渉段階で、条約前文に「キリスト教は欧州文明の基礎をなす」旨を明記するよう要請した。イタリアほか多くの国が理解を示したが、フランス、ベルギーが「政教分離」を盾に強く反対し、要請は却下された。

「科学教」(科学>宗教)と伝統主義(科学<宗教)

 米国などの伝統主義者は、進化論教育、温暖化ガス規制などの課題について、反科学主義的、反近代主義的言動をとることがある。

 古くからある対立はダーウィンの進化論をめぐるものだ。各国の近代主義派、科学主義派は進化論を科学的知見として受容するが、米国の原理主義的宗教保守派は「進化論は聖書の記述に反する」と受容を拒み、進化論を公立学校で教えることに抵抗している。イスラム圏でも、中等教育で進化論を教えていない国が多い。

 EUや米国の一部の州は、排ガスと地球温暖化の科学的な関連性を受け入れ、温暖化ガス排出規制を強化しているが、米国政府や欧州のポピュリスト政治家は、排ガスと温暖化の関連(科学性)を認めず、排ガス規制強化にも抵抗している。なお、米国政府の姿勢は、草の根の「反科学主義」に支えられていることを見逃すわけにはいかない。

先端医療の分野では、胚性幹細胞(ES細胞)をめぐる対立がある。受精から数日を経過したヒトの胚から取り出されたES細胞を使った再生医療研究は、医療のフロンティアを(ひろ)げる有益な手法として注目されているが、バチカンは「神から授かった細胞を人間が操作することは神への冒涜だ」として、これを強く非難している。

 科学を受容するかどうかの対立は、現在のコロナ・パンデミックにも影を落としている。米国では伝統主義派の一部が、科学的な知見に基づいたマスク着用を拒否し、宗教保守派の一部は、教会の閉鎖やミサの制限などに反対している。ユダヤ教の正統派も、ユダヤ会堂(シナゴグ)の閉鎖に抵抗している。

 以上のように、西洋圏では、「5教」と伝統主義の間で、幅広く「文明の衝突」が展開している。欧米のメディアの中には、中絶などを巡る衝突を「文化戦争」と形容するものが少なくない。しかし、この対立は新文明と旧文明の対立、文明観の違いに根差すものだ。筆者は、これらは「文明」の衝突と認識すべきと考える。

伝統主義派と世俗主義派の「旗手」

バチカン
バチカン

 「文明の衝突」の度合いは、国民の信仰心の高低によって強弱がある。欧州委員会の世論調査で、国民の6~9割が「神の存在を信じる」という結果が出た東欧や南欧の“高信仰国”では、伝統主義派が発言力を持ち、世俗主義派は弱い。例えば中絶が厳しく規制されても、大きな反発につながらず、「衝突」は激しくない。逆に、神の存在を信じる人が1~3割にとどまったフランス、オランダ、北欧などの“低信仰国”や“脱信仰国”では、世俗主義派が圧倒的に強い。北欧では国民の95%が中絶の権利を認めており、伝統主義派は無力で、やはり「衝突」は激しくない。

 最も激しい「衝突」が起きるのが、神の存在を信じる人と信じない人の割合が拮抗(きっこう)している米国やイタリアなどの“中信仰国”だ。特に、米国の伝統主義派、反近代主義派のエネルギーには目を見張るものがある。

 伝統主義派、反近代主義派の最大の牙城となっているのは、言うまでもなくバチカンだが、米国の伝統派の勢力(国民の約半数を占める)はそれに次いで強力だ。逆に、世俗主義派を牽引(けんいん)している国は、五つの「宗教」によって異なるが、「自由教」「ライシテ教」についてはフランス、「中絶」については、国民の圧倒的多数が容認している北欧諸国、「安楽死」の容認については、オランダ、ベルギー、ルクセンブルク、スイスが先頭に立っている。EUもこの背後で、様々な世俗主義色の強い政策を進めている。総合的に見れば、「文明の衝突」の主要なプレイヤーは、フランス、EU、米国、バチカンの4か国・地域ということになるだろう。

米国での「文明衝突」…「反近代主義」派の攻勢

写真はイメージです
写真はイメージです

 これまで見てきたように、米国における「文明衝突」は、西欧を含めた西洋圏全体にも共通する理由で起きているが、米国では伝統主義、世俗主義両派の勢力がほぼ拮抗しているため、衝突エネルギーが大きい。米国の伝統主義派の活動は西欧より活発で、声が大きく、攻撃的でさえある。その分、世俗主義派の反発も強くなり、衝突はヒートアップしやすい。

 米国では、政治はしばしば宗教に手を突っ込む。大統領選挙のような機会には、リベラル派の司祭は民主党候補の陣営に、保守派の司祭は共和党候補の陣営に、公然かつ露骨に参加して選挙に関与する。「文明衝突」が政治色だけでなく、政党色を帯びる。「政治と宗教」の密接な関係は、日本とは別世界だ。

 「文明衝突」は司法の場でも起きている。そもそも米国では、人工中絶など文明、宗教、イデオロギーが絡むテーマについては、議会でなく司法が最終的決着をつけることが少なくない。連邦最高裁判事の「保守」と「リベラル」の構成比は極めて重要な問題になる。

 トランプ大統領は、10月に超保守派のE.バレット女史を最高裁判事に任命し、9人の判事中6人を保守派で固めた。バレット氏が加わった最高裁はさっそく、ニューヨーク州がコロナ対策で宗教施設の礼拝に課した人数制限を、信仰の自由を理由に違憲と判断した(11月25日)。最高裁は類似の例について、数か月前には合憲と判断していた(5、7月)。わずかの間に判断を180度転換したのは、「バレット効果」の表れともいえる。今後は中絶などの問題についても、従来の判定を覆す可能性があり、米国では司法の場は「文明衝突」の主戦場となりつつある。

 加えて、米国には、カリフォルニア州などのように、西欧の主要国以上に世俗主義が強い州がある一方、ミズーリ州、ミシシッピー州などのように、保守的な東欧諸国以上に伝統主義が強い州もある。文明論的に言えば、「ふたつの全く異なる米国が存在する」。バラバラ感の強い米国が何とかまとまっているのは、連邦制度に負うところが大きい。すなわち、大統領が誰であろうと、バラバラの米国を全て律するには荷が重すぎ、結局は各州(知事)に好きなようにやらせるしかない。まさに、そこが合衆国の原点でもあるわけだ。反啓蒙思想のような、西欧の有力国では力を失った思潮がいまだに有力で、世俗主義に()しているという米国の現実は、連邦制度があってはじめて可能になる。

対立と衝突は今後も米国中心に続く

バイデン次期大統領
バイデン次期大統領

 では、今回の米国大統領選の結果は何を表しているのか。ひと言でいえば、米国の文明的重心が、わずかではあるが「反啓蒙主義・反近代主義」から「親啓蒙主義・親近代主義」にシフトしたことを意味する。バイデン氏は、「大統領に就任したら、全国民にマスクを着用してもらう」と述べた旨報じられたが(12月3日)、この発言にバイデン・チームの近代主義、科学主義が表れている。

 一方で、今回の選挙は、米国の「分断」の深刻化も改めて浮き彫りにした。バイデン氏の勝利は、経済、教育、地域などでの格差拡大や人種差別といった「世俗的要因による分断」の修復を求める声が、リベラル派とされるバイデン氏に有利に働いた結果といわれる。だが、「分断」をもたらした背景のひとつに、これまで見てきた「文明観、宗教観の対立」があることは間違いない。

 「ブラック・ライブズ・マター(BLM=黒人の命は大切)」運動などへの注目度が高いため、世俗的要因が注視されがちだが、文明や宗教を軽視することは間違いだ。独立変数的に、ではあるが、常に両者は絡み合い、重なる部分は多い。世俗的分断の中には、政治的、経済的な努力、すなわち「政策」によって改善するものがある。だが、文明観にかかわる対立はより根深く、政策で改善する余地は少ない。つまり、「文明の衝突」は今後とも続くと言わざるを得ない。しかも、伝統主義派の発言力が強い米国では、「衝突」はより熾烈(しれつ)になるだろう。

日本から見たかれらの「対立」

 「文明の衝突」は、キリスト教から啓蒙主義へのパラダイムの転換が生み出したものなだけに、キリスト教という「根っこ」を持たない日本人には、中絶やLGBTなどの問題で、なぜあれほどまでいがみ合い、対立するのか、理解を超えるものがある。日本には西洋的な意味での「文明の対立」は存在しない。これは今後も変わらないだろう。

 とはいえ、現代の日本人にとって、「文明の衝突」の諸問題は、かつてのように「川向こうの話」として傍観できなくなりつつある。150年にわたる近代化を通じて、日本は西洋文明にすでに「深入り」し、人権、中絶、LGBT、ライシテなどを含め、西洋の根幹にかかわる文明的問題をひとごととして見放すわけにはいかなくなっている。「啓蒙思想」の流れを()む「近代主義」の世話になり、既にそのメリットを十二分に享受しているからだ。

 それに加えて、西洋の近代主義、世俗主義の文明は、どぎついものはあるが、文明論的にみると、日本人に一番近いとも見ることができる。日本人の思考は、西洋の伝統主義文明とはかなり距離があり、台湾、韓国を除くアジア諸国とも距離がある。中国などの人権問題などを含め、文明論的には、日本は当面は西洋の近代主義派――できればその穏健派――と協力するのが最も得策ということになるだろう。

(注1)彼らは「擬似的な神」(たとえば人権)が冒されるようなことがあれば、宗教的パッションを煮えたぎらせ、猛烈な反発を示す。筆者もバチカンでそんな事例を何度も見た。例えば2008年春、中国政府がチベットで人権抑圧をしたときの欧州人権活動家の怒りはすさまじく、強烈な宗教的情念を感じた。他方、日本では、そのような怒りはめったに見られず、チベット、ウイグル等での人権侵害の報道に接しても、多くの日本人は怒りをあらわにしない。日本は、啓蒙思想は輸入したが、宗教的パッションは受け入れなかった。

(注2)2012年にモスクワのロシア正教会大聖堂に侵入し、無許可演奏を行ったプッシー・ライオット(フェミニスト・ロックグループ)の3人の女性は、「神を冒涜した」として訴追され、有罪が確定した。世俗主義の強いフランスでは「神を冒涜する」ことは罪にならないが、伝統主義が濃厚な正教会を擁するロシアでは罪になる場合があるということだ。なお、世俗主義の強い西欧のメディアは、この時総じてロシアに批判的であったが、正教会と同様に伝統主義の強いバチカンの幹部は同年ローマを訪れた筆者に対し、ロックグループの行為は行き過ぎだと批判的に語っていた。

(注3)この裁判について、伝統主義の観点からみるとカトリック教会に近いロシア正教会は、イタリア政府を支持した。

(注4)世界の宗教界全体が、世俗主義的価値を拒否し、伝統主義を墨守しているわけではない。例えば、英国国教会では、既にゲイの司祭、司教が生まれており、保守的なカトリック教会とは一線を画す。このため、英国国教会の保守派聖職者の中には、国教会を離脱し、カトリック教会に転向する事例がある。なお、カトリック側は10年前に国教会からの転向者受け入れの「受け皿」を整備済みだ。

(注5)欧州に隣接するトルコは、近代トルコ建国の父とされるケマル・アタチュルクが1920年代にフランス的な「ライシテ」を国家原理として導入・確立し、以降同国は一貫してイスラムを公共の場から締め出してきた。ところが、この10年の間、伝統主義派のエルドアン大統領による「非ライシテ化」が進み、2020年7月には、85年前にアタチュルクがモスクから博物館に転換した(=非宗教化した)アヤソフィアを再モスク化した。アタチュルクが確立した国是(ライシテ)は骨抜きにされている。

(注6)フランスの「ライシテ」は、服装面を含め、宗教を公的に管理すべきという意識が強い。これは、宗教の管理に執心する中国政府の意識にも通じる。ただ、フランスでの「管理」は、中国よりはるかにマイルドではある。

西洋における「文明衝突」〈上〉は こちら

プロフィル
上野 景文( うえの・かげふみ
 1948年東京生まれ。70年東京大学教養学科卒業後、外務省入省。メルボルン総領事、駐グアテマラ大使、駐バチカン大使(06~10年)など歴任。ケンブリッジ大学経済学部卒(73年、04年に修士)、11~17年杏林大学客員教授。著書に『バチカンの聖と俗』(かまくら春秋社)、「現代日本文明論」(第三企画)などがある。

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1728853 0 国際・安全保障 2020/12/25 10:00:00 2021/02/12 14:17:24 2021/02/12 14:17:24 https://www.yomiuri.co.jp/media/2020/12/20201224-OYT8I50102-T.jpg?type=thumbnail

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