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ミャンマークーデター 軍政体制の「完全復活」と「完全解体」をかけた軍と国民の激突

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POINT
■ミャンマーのクーデターは、アウン・サン・スー・チー氏と国民民主連盟(NLD)が旧軍政体制の完全解体に乗り出したことが根底にある。昨年11月の総選挙でのNLDの「勝ちすぎ」が、軍の暴挙の直接の引き金になった。

■日本政府は軍とパイプがあるとしているが、筆者の取材経験では一部の属人的な関係しか見えてこない。影響力を持つパイプが本当にあるのか疑問だ。日本は欧米とも連携し、真のミャンマー外交戦略を構築すべきだ。

■民主化の進展とともに国民の間に「新ナショナリズム」が浸透した。それが民政移管後の「新生ミャンマー」を焦土化しようとする軍への命がけの激しい怒りになっている。

■ただ、軍政復活の最悪シナリオを防ぐ打開策は見えず、軍との「持久戦」に国民が疲弊する恐れがある。国際社会も決して諦めてはならない。

 ちょうど10年前のことだ。軍事独裁政権が約半世紀も続いたミャンマーで、信じられないような民主化改革が始まった。バンコク支局に駐在していたその当時、少数民族武装勢力地域も含めてミャンマー各地を30~40回訪れ、隅々まで民主化が広がる様子を取材した。ヤンゴンにある悪名高きインセイン刑務所から多数の政治犯が釈放される瞬間は、出迎えの人たちの地鳴りのような歓喜の声に包まれ、シャッターを切りながら胸がたまらなく熱くなった。今、ミャンマーでは軍が暗黒社会に時計を逆戻しする暴挙に走り、この10年間の取り組みは台無しになった。ミャンマーはどうなっていくのだろうか。クーデターの原因と今後の展開を分析する。

読売新聞東京本社 元アジア総局長 深沢淳一(写真も) 

10年前に警告されていたクーデター

2010年3月のネピドーでの国軍記念日の式典で閲兵するタン・シュエSPDC議長
2010年3月のネピドーでの国軍記念日の式典で閲兵するタン・シュエSPDC議長

 ミャンマーの統治体制は2011年3月、軍事政権から民政に移管した。その前年の3月27日、首都・ネピドーでは毎年恒例の「国軍記念日」の軍事式典が行われ、情報省は3年ぶりに外国人記者の入国を認めて、筆者もバンコクから取材に向かった。

 最高権力者のタン・シュエ国家平和発展評議会(SPDC)議長が軍政下で最後の式典で行った演説は、民主化勢力への強い警告であり、将来、場合によってクーデターを示唆するような内容だった。ポイントは次の通りである。

 「我々(軍)は、必要とあればいつでも国政に関わる」

 「選挙に参加する政党は、民主主義が成熟するまで自制・節度を示すべきだ」

 「民主化の誤ったやり方は無秩序を招く」

 「失敗すると、国と国民を危険にさらしてしまう」

 さらに、「外国からの影響力に頼ることは、絶対に避けなければいけない」と強調した。つまり、統治体制が民政に移管しても、「民主化」を進めるスピードと深度を決めるのはあくまでも軍であり、「軍の許容度を超えれば、軍主導の政治体制に引き戻す」という趣旨の強権主義的な宣言だった。

 その年の11月、民政移管で発足する上下両院議会の議員を選出する総選挙が行われ、軍政は同年3月に制定した「政党登録法」で、有罪判決を受けた者の党員資格は認めないと規定した。事実上、自宅軟禁中だったアウン・サン・スー・チー氏を、同氏が率いる国民民主連盟(NLD)から除名するよう要求しており、NLDはこれを拒否して総選挙をボイコットした。その結果、軍政の筋書き通り、軍政の翼賛組織を引き継いだ連邦団結発展党(USDP)が圧勝を収めた。

 ミャンマーの大統領と議員の任期は5年間で、15年11月には、次の総選挙が民政下で初めて行われた。11年に民政移管で就任したテイン・セイン大統領は、誰も想像できなかったような大胆な民主化改革を推進し、国民から高い支持を集めた。大統領は外資を呼び込むための経済改革に取り組む一方、内戦が続く少数民族武装勢力に停戦を提案し、軍政当時に亡命した民主化運動家には帰国を呼びかけた。さらにスー・チー氏と和解を遂げ、12年1月には、2000人以上とされた政治犯全員の釈放に踏み切ったのだった。

軍人議員が議席数の25%を占めるミャンマーの上下両院議会
軍人議員が議席数の25%を占めるミャンマーの上下両院議会

 ところが15年の総選挙では、大統領が党首を務めるUSDPはNLDに大敗を喫した。憲法の規程で大統領は政党活動を行えず、国民は大統領の民主化改革の功績と、軍政の継承政党であるUSDPを完全に区別してとらえていた。弾圧が続いた軍政時代からの軍への嫌悪と憎悪を込め、国民は選挙でUSDPに強烈な「ノー」を突きつけたのだった。

 軍政が08年に制定した憲法により、上下両院の議席数の25%は、選挙を経ず自動的に軍に割り当てられる。このため、USDPは仮に選挙で苦戦しても、軍人議員と合算すれば議会の過半数を確保できると楽観していたはずだ。ところが上下両院ともNLDが過半数を握り、そのもくろみは国民に粉砕された。

「旧軍政体制の完全解体」に乗り出したスー・チー氏

 その選挙を経てスタートしたスー・チー政権の1期目は、クーデターがなければ今年3月までだった。軍政はスー・チー氏が大統領にならないよう、事前に憲法で縛りをかけた。例えば、配偶者が外国人だと大統領にはなれないと定めており、夫が英国人だったスー・チー氏はこの規定に抵触する。このため、NLDは政権発足に合わせて「国家顧問」という新たな公的ポストを作り、そこにスー・チー氏が就任した。総選挙後、スー・チー氏は「私は大統領より上の存在だ」という趣旨の発言で物議を醸したが、スー・チー氏が国家顧問の肩書で事実上の大統領に就いたことは、軍には最大の誤算だった。

 政権1期目は、ミャンマー西部のラカイン州のロヒンギャ問題(注)が国際的に大きく注目され、内政の動向は外から見えにくかった。実はこの間、NLDは軍の権限や利権の剥奪(はくだつ)に動いていた。

 一つは、General Administration Department(GAD、総務局)という部門を、軍が直轄する内務省の組織から引き離したことだ。GADは軍政が全国の市町村に事務所を配置し、地域住民の監視、土地の管理や徴税、住民登録、地域の苦情処理など、住民と直接関わる業務を担わせた組織だ。軍政が毛細血管のように全国に張り巡らしたこの行政組織を、スー・チー政権は大統領の直属組織に改めた。NLDは軍の全国統治機能の剥奪に動いたわけである。

 もう一つは、軍の利権ビジネスにメスを入れようとしたことだ。北部のカチン州などで産出されるヒスイ、ルビーなどの宝石類は、中国や世界市場で巨額の価値を生み出し、軍の重要な利権になっている。NLDは宝石の生産、取引、輸出などを規定した宝石法という法律を改正して、取引の透明化を図ろうとした。大規模な採掘業者には法の抜け道があるなどの課題も指摘されるが、軍はNLDが宝石取引の是正に着手したこと自体が、かなりの脅威と受け止めただろう。今年1月には、大統領の指示で石油、ガス、木材、鉱物資源などを採掘する国営企業や民間業者は、契約内容を開示することになった。利権に対するコンプライアンス(法令順守)の強化を通じ、NLDは軍の利権の剥奪にも動き始めた。

(注)ロヒンギャ問題 2017年8月にロヒンギャとみられる武装組織が複数の治安部隊拠点を一斉襲撃したため軍が掃討作戦を開始し、約70万人と言われるロヒンギャ住民が隣国バングラデシュに難民として逃れる事態となった。欧米などからは「軍による虐殺」との非難の声が上がった。

2020年総選挙のNLD圧勝でクーデターは不可避に

 スー・チー政権はさらに軍との敵対色を強め、昨年、15年の総選挙で公約に掲げた憲法の改正案を議会に諮った。軍の「拒否権」で否決されたが、改正案は軍の政治への関与を無力化して、完全な文民統治体制の確立を目指すという内容だった。

 その一つは、議席数の25%にあたる軍人議員枠の段階的削減だ。改正案では、昨年の総選挙を経て15%に縮減し、25年の総選挙で10%に、30年の総選挙で5%まで下げ、議会での軍の影響力を失わせる。憲法改正には75%超の議員の賛成が必要だが、これも「選挙で選出された議員」の「3分の2以上」の賛成に改めることで、軍の「拒否権」の排除に動いた。国家の非常事態宣言下に軍のトップ(現状はミン・アウン・フライン最高司令官)に行政、立法、司法の権限が集約される規程も撤廃し、「軍の司令官は全ての武装組織の長である」とする条項の削除も求めた。スー・チー政権はこれらの改正で軍の政治への影響力をそぎ落し、文民統治に基づく民主主義国家を実現しようとした。

 スー・チー政権が着手した<1>軍の全国統治機能の剥奪、<2>軍利権の是正、<3>軍の政治影響力の排除――が実現すれば、それは旧軍政体制の完全な解体を意味する。昨年の総選挙も大勝したNLDは、今後5年の任期中、さらに深く切り込んでくるのは間違いない。そう見た軍は、「民主化の速度と深度は軍が決定する」という「信念」に基づき、不正選挙を理由にクーデターを断行した。NLDの「勝ちすぎ」に脅威を抱いた末の必然の選択だったとも言えるだろう。

ミャンマー経済は軍が支配している

 軍がクーデターを断行した狙いの一つは、軍によるミャンマー経済の独占体制を堅持するためである。軍は「ミャンマー・エコノミック・ホールディングス」(MEHL)、「ミャンマー・エコノミック・コーポレーション」(MEC)という二つの巨大なコングロマリットを直接経営している。ちなみにバイデン米政権と英国は、これらの傘下企業に経済制裁を発動した。

 国連人権理事会のミャンマー独立国際事実調査ミッションの報告書によると、MEHLの経営体制は、軍トップのミン・アウン・フライン最高司令官以下、上位7位までの首脳陣が支配し、取締役11人のうち7人はそれに続くランクの将校、4人は軍人OBだ。MECは国防省が保有しており、MEHLよりランクが1段下の陸海空軍幹部が統治している。

 MEHL、MECはそれぞれ傘下に銀行も保有する。業種別では鉱物・宝石採掘が計28社と製造業を除いて一番多く、宝石類が重要な収益源であることがわかる。さらに製造業、貿易、農林水産、金融・保険、情報通信、エネルギー、運輸・物流、建設、観光、不動産、病院、スポーツ・娯楽と、ほぼ全業種に計131社を保有している。同報告書によると、外国企業との共同出資は日本企業を含めて14例、業務提携も44例ある。

 これらの軍直系の企業群に加えて、軍と極めて緊密な「クローニー」(縁故的な仲間)と称される民間コングロマリットが10以上存在している。軍政の幹部と姻戚関係を結んだり、親族と親しくしたりするなどの縁故関係も利用して、軍から許認可や受発注の便宜を受けて成長してきた。ゼネコン、資源開発、不動産、宝石取引、銀行、情報通信、航空会社、ビール、たばこなど、それぞれ広範な業種にグループ企業を連ねている。

 ミャンマー経済はMEHLとMEC、各クローニーがほぼ独占しており、外国企業が地元資本とパートナーを組む場合、これらの企業と関係を持ちやすい。外国からの投資や政府開発援助(ODA)が活発化するほど、軍やクローニーの利益も膨らむ構造になっている。

軍は中国、ロシアとの「バランス外交」を推進

 一方、ミャンマーの外交方針は、軍政時代は「中国依存外交」だったが、民政移管後は欧米との緊密化に傾倒し、中国と西側をてんびんにかけて国益を導き出す「バランス外交」に(かじ)を切った。クーデター後は、孤立する国際社会での拠り所である中国、ロシアとの協調を強化する一方、中国への依存が過度にならないよう、中、露とのバランスを意識しているようだ。

 ミャンマーの中国への姿勢は元々、軍政当時から「面従腹背」だった。テイン・セイン大統領(当時)の政治顧問で軍出身のココ・フライン氏に2011年12月、ヤンゴンで取材した際、同氏はこう解説した。「軍政時代は欧米の経済制裁で中国しか頼れなかった」「隣人(隣国)は選べないが、友人(友好国)は選べる」「民政移管後、多くの国と友人になる方が国益につながると判断した」――。

 軍政当時、中国はカチン州にミッソン水力発電ダムという巨大ダムの建設を始めた。電力の9割を雲南省に送電する計画で、軍政が認可したプロジェクトだったが、テイン・セイン大統領は11年に建設中止を宣言した。「環境破壊を危惧する住民の声を重視した」という発表だったが、ココ・フライン氏は「建設中止は、中国とは距離を置くという欧米に向けたメッセージだった」と明かした。

ミャンマー中部マンダレー近郊のパイプライン建設現場。現在は完成している(2012年6月撮影)
ミャンマー中部マンダレー近郊のパイプライン建設現場。現在は完成している(2012年6月撮影)

 中国から報復を受ける懸念については、「中国には(雲南省とインド洋に面したミャンマー西部チャウピューを結ぶ)石油・天然ガスのパイプライン建設の方が重要だ。パイプラインを確実に開通させるため報復はないと読んだ」。ただ、「隣の大国に逆らってはいけない。ロシアに攻め込まれたグルジア(現ジョージア)がよい例だ」とつけ加えた。「中国には逆らわず、他の国々との関係は深めていきたい」。それが軍政当時からの外交の本音である。

 一方の中国にとっては、ミャンマーは地政学上、雲南省とインド洋を直結する極めて重要な隣国だ。中国はすでに完成した雲南省-チャウピュー間のパイプラインに並行して、鉄道と道路を建設する計画を抱く。さらに、国境3か所に経済特区(SEZ)のような産業ゾーンも開発する計画だ。テイン・セイン政権当時、両国は鉄道と道路の建設に向けた覚書を交わしたが、ミャンマー側の「沿線住民の反対」を理由に失効した。中国は、一定の距離を置こうとするテイン・セイン政権から総選挙でスー・チー政権に移行した後、首脳外交も織り交ぜながらミャンマーの懐柔を仕切り直して進めてきた。

 ミャンマーではクーデター後、国連で軍への制裁に反対する中国への市民の不満が爆発し、反中デモが活発化している。ヤンゴンの中国大使館は、民主化勢力と軍のいずれとも中国は友好関係にあるとアピールするなど、反中世論の沈静化に躍起だ。中国は重要な隣国のミャンマーに十分配慮する必要がある。それが両国関係の本質である。

 一方、軍は今年3月の国軍記念日にロシアの国防次官を招待した。多くの各国大使館は駐在武官の出席を見送っただけに、本国から高官を派遣したロシアとミャンマーとの軍事的な緊密ぶりを際立たせた。ミャンマーは中国だけでなくロシアからも武器を購入している。孤立の色が深まる国際社会の中で「守護者」が中国だけでは、中国のミャンマーへの立場が強くなる可能性がある。このため、軍はロシアもてんびんに乗せて中、露とのバランスを取ろうと腐心しているようだ。

民主化で芽生えた「新ナショナリズム」がデモの原動力

 ミャンマーでは、1988年と2007年に大規模な民主化要求デモが起き、軍の弾圧で多くの犠牲者が出た。軍政体制の「打倒」が目的だった当時と比べて、今回のデモはミャンマーの民主化を命がけで「守る」ことが目的であり、デモのベクトルは正反対だ。民政移管で民主化が進展するにつれて、国民に「新ナショナリズム」「新愛国心」ともいえる意識が急速に浸透し、「新生ミャンマー」を破壊する軍への強烈な怒りが、連帯感とデモの原動力につながっている。

 民主化による「新ナショナリズム」が初めて顕在化したのは、ロヒンギャ問題だろう。欧米や国際人権NGO(民間活動団体)がスー・チー氏の対応を批判すればするほど、国民は欧米への反発をエスカレートさせて、スー・チー氏とミャンマーという国を強く擁護した。軍政当時の暗黒社会の闇が深かった分、国民の新生ミャンマーへの愛情と誇りは強い。この先どのような体制になっても、国民と軍が和解することはあり得ないだろう。

日本の「軍とのパイプ」は本物なのか

2011年12月、ヤンゴンのアウン・サン・スー・チー氏の自宅の庭を歩くスー・チー氏とクリントン米国務長官
2011年12月、ヤンゴンのアウン・サン・スー・チー氏の自宅の庭を歩くスー・チー氏とクリントン米国務長官

 そうしたミャンマーの人たちを、欧米や日本は救えるのだろうか。米国は軍政当時の03年、対ミャンマーの禁輸措置を強化した。ところが、ミャンマーの繊維産業が大打撃を受け、労働者である国民に制裁の影響が及んでしまった。一方で、軍政はアンダマン海で産出される天然ガスのタイへの輸出がちょうど始まったこともあり、外貨準備が積み上がり、マクロ経済面での禁輸強化の影響は見られなかった。

 今回、バイデン米政権や英国、欧州連合(EU)は、軍幹部と軍系企業に絞った制裁を徐々に発動しており、効果と反応を見極めている。市民への軍の弾圧がさらにエスカレートすれば、貿易・投資分野への対象拡大も含めて、制裁を一段と強化するとみられる。

かつて日本軍が建設した泰緬鉄道跡を歩くミャンマーの少数民族武装勢力の兵士たち
かつて日本軍が建設した泰緬鉄道跡を歩くミャンマーの少数民族武装勢力の兵士たち

 日本はミャンマー軍とパイプがあるとしているが、筆者が取材で知る範囲では、それは一部の人の関係に限られるうえ、外交戦略上、本当に有効なパイプと言えるのかは疑問だ。「軍とのパイプ」と「軍への影響力」は同義語ではない。「日本は軍と関係があるから何も言わない」「日本は軍に配慮して何もしない」と、何らかのきっかけで親日的なミャンマー世論が日本への失望と反感に転じる恐れは否めない。実際、ミャンマーの人たちのツイッターやフェイスブックからは、米国やEUが助けてくれるという期待は大きい。半面、日本への期待は見当たらず、最近は批判的な声も散見され始めた。

 日本政府が今、目指すべきは、真のミャンマー外交戦略の構築であろう。「真の」とは、少数民族武装勢力の和平実現に向けた関与の仕組みや、無償援助とインフラ整備での政府開発援助(ODA)の枠組みが妥当だったかなどを検証し、「自由で開かれたインド太平洋」構想でのミャンマーの位置づけも含めて、体系的に構築するという意味である。

 欧米との緊密な連携も必要だ。当面の対応としては、大きな問題が起こる度に批判声明を発出するだけでなく、制裁の選択肢も真剣に検討すべき時だろう。

スー・チー氏を拘束したまま総選挙強行 軍政復活が狙い

ヤンゴンの私邸でメディアの取材に応じるアウン・サン・スー・チー氏。右の男性はNLD幹部のニャン・ウィン氏。2人ともクーデター後に拘束された
ヤンゴンの私邸でメディアの取材に応じるアウン・サン・スー・チー氏。右の男性はNLD幹部のニャン・ウィン氏。2人ともクーデター後に拘束された

 1988年のデモでは、軍の弾圧は約6か月続いた。2007年のデモは約1か月だった。今回、軍がクーデターを起こしたのは2月1日だ。タイの軍部が14年にクーデターでタクシン元首相派の政権を打倒した際、総選挙は約5年後にようやく行われた。タイ軍政はその間に憲法を制定し、元首相派の政党が大勝しない選挙制度も整えた。

 ミャンマー軍の報道担当は最近、「選挙は2年以内に行う」と述べ、当初1年先とみられていた選挙は先延ばしになりそうだ。さらに遅らせる可能性も当然ある。デモや市民運動を完全に鎮圧し、NLDや民主化勢力が衰退するまで、じっくり時間をかける構えだ。

 75歳のスー・チー氏は、4月15日現在六つの容疑で訴追されている。軍はスー・チー氏の身柄を拘束したまま、10年の選挙のようにNLDもろとも選挙から締め出すことが考えられる。むしろ、NLDや民主化勢力の側から、昨年の選挙結果の正当性と軍主導選挙の無効を主張して、「違法選挙」をボイコットするであろう。国内が「反選挙」で混乱する恐れは大きい。それでも軍は親軍の政党だけで選挙を強行し、議会は軍の「オール与党」と化す――。軍政体制の完全復活であり、これが軍の最終的な狙いだ。軍は利権のためにも、外資に開放している経済制度は維持するだろうが、外国からの投資やODAは縮小し、「アジア最後のフロンティア」とうたわれたミャンマー経済は出口が見えない停滞期に入る。

 国民は、こうした最悪の展開を阻止するため、懸命に抵抗している。「Z世代」と呼ばれる1990年代半ば以降に生まれた若者たちは、デジタルスキルを駆使してソーシャルメディア(SNS)で国内外に情報を発信し、公務員たちは軍に脅されながらも職場放棄の「不服従運動」を粘り強く続ける。88年デモ当時に学生だった世代は精神的支柱を担い、NLDと少数民族武装勢力は連邦国家の構築に協力することを確認した。国民のあらゆる層が、民主化を取り返すことを諦めていない。

 最悪の展開を防ぐ打開策はまだ見えない。国民の生活が疲弊していき、軍との「持久戦」に持ちこたえられなくなる懸念もある。一方で、これまで多くの国民はスー・チー氏の言動とカリスマ性に頼ってきた面もあったが、スー・チー氏との接触が絶たれた今、次を担う民主化リーダー候補も萌芽してきた。国民の連帯力で軍政復活を防ぐことができたら、それはミャンマーを未来に推し進める素晴らしいパワーとなるだろう。失われた多くの命のためにも、国際社会が先に諦めるわけにはいかない。

プロフィル
深沢 淳一( ふかさわ じゅんいち
1987年読売新聞社入社。東南アジア関係では、シンガポール支局、バンコク支局(アジア総局)にそれぞれ駐在し、東南アジア諸国連合(ASEAN)との自由貿易協定(FTA)を軸とする東アジア市場統合、タイの政治混乱や大洪水災害、ミャンマーの民主化改革などを取材してきた。

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1990217 0 国際・安全保障 2021/04/16 17:21:00 2021/04/16 19:17:40 2021/04/16 19:17:40 https://www.yomiuri.co.jp/media/2021/04/20210416-OYT8I50053-T.jpg?type=thumbnail

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