メルケル氏の16年 功績と負の遺産…板橋拓己・成蹊大教授

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POINT
■アンゲラ・メルケル氏が昨年末、ドイツ首相を退任した。4期16年の間に「欧州の病人」と言われたドイツは経済大国として蘇り、安定した。

■メルケル氏はユーロ危機、ウクライナ危機などにも良く対応し、「欧州の顔」となった。利害関係を粘り強く調整する能力に定評があった。

■一方で政治家としてのビジョンに欠け、国内の構造改革も、求心力低下が始まったEU改革も先送りにした。

■ドイツは2021年の総選挙で中道右派、中道左派の2大政党の凋落が明白になった。若者の2大政党離れは加速し、多党化時代に入った。

ベルリンでの退任式典後、バラの花を手に笑顔を見せるメルケル氏(2021年12月2日、ロイター)
ベルリンでの退任式典後、バラの花を手に笑顔を見せるメルケル氏(2021年12月2日、ロイター)

 4期16年という長きにわたり、ドイツ首相の座にあったアンゲラ・メルケル氏(67)が2021年12月8日、欧州政治の表舞台から去った。ドイツのみならず「欧州の顔」として西側陣営の一角を 牽引(けんいん) したメルケル氏の功績と負の遺産とは何か。新たに始動した中道左派・社会民主党(SPD)のオラフ・ショルツ氏を首班とする連立政権の下、ドイツはどう変化するのか。ドイツ政治を専門とする板橋拓己・成蹊大教授に聞いた。

コロナ後の新・観光戦略論
聞き手 大内佐紀 調査研究本部主任研究員

危機対応の達人

 中道右派のキリスト教民主同盟(CDU)を中心としたメルケル政権の16年間で、それまで「欧州の病人」と 揶揄(やゆ) されたドイツは経済復興を遂げ、欧州の強国として (よみがえ) った。メルケル政権の功績を一言でいえば「ドイツを安定させた」ということだ。この背景には、危機管理のうまさがあった。

 メルケル氏が幸運だったのは、前任のゲアハルト・シュレーダー政権(在任1998~2005年。SPDと緑の党の連立)が痛みを伴う構造改革を断行済みだった点だ。ドイツは1990年の統一後、東西の格差や巨額の財政赤字に悩み、経済が著しく停滞、シュレーダー氏が労働市場改革などの大手術を断行した。本人は成果が出る前に政権を追われ、果実を手にしたメルケル氏は、それを定着させれば良かった。

 メルケル氏は、対外的には相次ぐ危機を相対的にうまく管理した。政権に就いた2005年11月は、欧州連合(EU)が「EU憲法条約」制定に挫折した直後だったが、亀裂を修復するように、新基本条約「リスボン条約」の取りまとめに尽力した。その後、リーマン・ショックに端を発した世界金融危機を経て、10年にユーロ危機が起きた時も、まがりなりにもユーロ圏を分裂させない形で切り抜けた。

 ロシアがクリミアを武力で併合した14年のウクライナ危機に際しては、メルケル氏が西側陣営を代表し、文字通り東奔西走しながらプーチン露大統領と粘り強く交渉し、停戦合意といえるものをまとめた。

 この粘り強さと、自らは強く主張せずに利害当事者の顔を立てながら妥協点を見いだす才能がメルケル氏の危機管理のポイントだ。政治的なバランス感覚に秀でていなければできないことだ。

民主主義の最後の砦

 日本には「メルケル氏は中国に甘い」というイメージがあるが、メルケル氏としては人権と経済のバランスを取ったということだろう。

 メルケル氏は就任当初は人権重視を高く掲げた。シュレーダー氏は対中経済関係を重視し、中国との蜜月関係を築いた。これに対し、前任者との違いを出すために人権重視の姿勢で臨み、最初の3回の訪中では人権の重要性を説いた。

 07年9月にはチベット仏教の最高指導者ダライ・ラマ14世をベルリンの首相府に招き、会談する。中国は激怒し、独中関係は半年間、断絶した。ドイツ経済団体や当時の連立相手SPDはメルケル氏を激しく突き上げ、ここから彼女の軌道修正が始まった。

 メルケル氏としては、試行錯誤し、バランスを取った結果がその後の独中関係といえる。近年、習近平体制の変質に国際社会の対中観も変化し、ドイツ国内の世論も財界を含め中国に厳しくなっている。国内と国際世論のもろもろをバランスするのがメルケル流対中政策だ。

 東ドイツに育ち、ベルリンの壁崩壊まで35年間、自由が認められない体制下で生きたメルケル氏は、心から人権と自由は大事だと思っており、譲ることができない価値観となっている。

 15年の難民危機に際しての言動からも、二度と欧州に「壁」を作らせないという決意を感じる。難民流入を契機に欧州各地でポピュリズムが伸長し、米国でもトランプ政権の出現で民主主義の価値観が揺らいだが、メルケル氏はその大切さを擁護し続けた。

 新型コロナウイルス 蔓延(まんえん) で、国民にロックダウン(都市封鎖)を求めた時の演説もしかりだ。本来、公権力が人の移動の自由を阻害することがあってはならない。私は東ドイツ時代に自由を奪われる辛さを身をもって経験した。だが、今はそれをせざるを得ないほどの非常事態だ――。こうしたレトリックが説得力をもったのはメルケル氏の言葉だったからだ。

ビジョンなくして、改革ならず

 メルケル政権の負の遺産は、大胆な改革を断行するための資源を手にしていたのに、内外ともに動かなかった点だ。

 シュレーダー改革により経済成長が波に乗り、メルケル氏がこれを後押しする政策を取ったことで、ドイツは立派な輸出大国に生まれ変わった。一方、シュレーダー改革の負の側面として賃金や富の格差が拡大した。しかし、メルケル氏はこれを放置した。

 コロナ禍により、ミニジョブ(僅少労働)といわれる低賃金や不安定な雇用体系下で働くドイツ国民の多さが浮き彫りになったが、対応を怠ったのだ。年金改革といった高齢化社会への対策も同様だ。

 インフラへの公共投資も乏しかった。ドイツに暮らすと、道路や鉄道の老朽化にせよ、インターネット接続の遅さにせよ、先進国にいるという実感がない。むしろ、「ここが本当に欧州随一の大国か」と思いたくなる。

 経済成長の時だからこそ可能だった投資を、メルケル政権が行わなかったからだ。教育も、基本的には州政府の管轄下にあるとはいえ、学校の設備一つとってもひどいものだ。

 メルケル氏には閣僚時代から、真面目で仕事熱心、しかも賢く有能だという定評がある。朝早くから仕事を始め、書類に丹念に目を通し、会議で人の意見を良く聞き、目の前の課題を着実に解決していく。

 それなのに改革が断行できないのは、ビジョンがないからだろう。改革を主導するには、「社会かくあるべし」というビジョンが必要だ。

 この点もシュレーダー氏とは対照的だろう。シュレーダー氏は、交渉ごとはメルケル氏ほど得意ではなかったが、ビジョンを持ち、それを実現するための突破力があった。

 メルケル氏を取り立て、政治の師となったヘルムート・コール元首相もそうだ。彼には外交で「ヨーロッパ合衆国を作る」という強い意志があった。どういう欧州が望ましく、その中でドイツはかくあるべしという考えが明確にあった。

 一方、メルケル氏は欧州連合(EU)改革も先延ばしにした。メルケル時代、ギリシャが離脱しかけたり、英国は実際に離脱したりと、EUはたびたび分裂の危機に直面した。それは逆説的に言えば、改革のチャンスでもあったが、メルケル氏は上手に小手先で対応し、大胆な策を取らなかった。「どういうEUにしたいか」という戦略の欠如ゆえだろう。

 フランスではマクロン氏が「欧州主権」という野心的な目標を掲げ大統領になった。メルケル氏は彼とは個人的にウマが合うとされるし、協力しようと思えばいくらでもできたが、乗らなかった。フランスがいくら旗を振っても、財布を握るドイツが動かなければ物事は進まない。EUは変わらなかった。

「クリーンな母さん」を国民は好感

 それでも独世論調査機関インフラテスト・ディマップの21年8月の調査では、「メルケル氏は総じて良い首相だったか」との問いに、実に75%が「良かった」と回答している。ドイツにとっての良き時代、安定の時代とメルケル氏はセットだと国民が認識しているからだろう。

 クリーンな姿も国民に受ける。

 首相になってもベルリンの古い賃貸マンションに夫と住み、近くのスーパーで自ら買い物して料理の腕をふるい、余暇にはサッカーやオペラ、自然を楽しむ。庶民とさほど変わらない暮らしぶりは国民に好感を持たれる。

 コール氏には退任後、ヤミ献金疑惑が発覚し、シュレーダー氏は露国有ガス会社・ガスプロムが出資する会社の幹部となり、国民の 顰蹙(ひんしゅく) を買った。いかにも高いスーツを着た、ギラギラした政治家とは異なり、メルケル氏には利権の臭いがしない。

 もちろん、メルケル氏も聖人ではなく、例えば自動車業界の意向に弱い側面もあった。だが「ムッティ(母さん)は道徳心があり、善良で、悪事には手を染めない」と多くの国民に感じさせる存在だ。

政界からは完全引退?

 メルケル氏の政治スタイルも、師だったコール氏とは対照的だ。コール氏は、人間関係重視でCDU内の派閥政治や地方の人脈を熟知し、自分の子飼いを引き立てた。メルケル氏は、人は大切にするが、人間関係の貸し借りを感じさせない。多様な意見、見方をまずは聞き、ごく数人の信頼する側近と何がベストか判断していく。

 世論には敏感で、重視する。自らの立場を固定せず、他党の政策の取り込みにもやぶさかでない。風見鶏というよりは、世論にかなった政策決定が正しい判断だと思っているのだろう。

 だが、「政治と権力が大好きで、離れられない」ということはないだろう。まだ67歳。国際機関の長になるという説も取り沙汰されるが、政治とは距離を置くのではないか。「引退後は旅行して、のんびりしたい」と発言しているが、本音と見る。

ドイツはどう変わるか

 もっと思い切った進歩を―。これが、社会民主党(SPD)、環境政党・緑の党、中道右派・自由民主党(FDP)によるドイツ新政権の連立合意のタイトルだ。ただ、予算措置が必要な政策については、どこまで大胆に「進歩」できるかは不透明だ。

 新財務相となったクリスティアン・リントナー氏(FDP)は緊縮財政派として鳴らす。連立合意にも、23年からは債務ブレーキを復活させる、つまりドイツは国債乱発などによる借金はしないという点が明記され、富裕層増税も見送った。ドイツ政府が財政規律を重視して倹約するという点に変わりはなく、インフラ投資もなかなかできないだろう。

 ただ、お金がかからない社会改革は進むかもしれない。

 多重国籍を認めたり、移民・難民の帰化を容易にしたり、ジェンダー平等を進めたりといった、社会文化においてのリベラル化が一気に進む気配がある。個人の決定権が広がれば、国全体が開放的になろう。

 外交政策は大きくは変わらないだろう。

 アンナレーナ・ベアボック外相(緑の党)の誕生で対中外交が注目を集め、実際、連立合意には台湾の国際機関加盟の後押しや中国による少数民族などの人権弾圧に徹底反対といった項目が並ぶ。だが、ドイツが対中強硬路線にいきなり転じることはなく、国際社会全体の対応を見ていくだろう。外交は最終的には首相が握るが、ショルツ首相はそこまで中国に厳しくないとされる。対露政策でも、社会民主党(SPD)は伝統的にロシアとのパイプが太い。

 一方、インド太平洋政策についてはメルケル時代よりも冷淡な対応になるかもしれない。

 クランプカレンバウアー前国防相(CDU)はインド太平洋シフトに熱心だったが、SPDはメルケル時代の連立政権の中で、「なぜインド太平洋という地理的に遠い場所を重視するのか」と冷ややかだった。ドイツが昨年、19年ぶりに駆逐艦バイエルンを日本まで航行させた時も反対姿勢だった。

 ドイツ軍幹部は今後とも艦船や空軍機をインド太平洋地域に定期的に派遣したい意向だが、これが維持されるかは不透明だ。

 日独関係には良くも悪くも、大きな懸案はなく、安定が続く。今後とも同じ自由・民主主義陣営としての連携は重要だ。

 メルケル氏がEU内で大きな指導力を発揮できたのは、長く首相をやっていたからということも大きい。ショルツ首相は、EUへの関心は高い。就任に先立ち、いち早くフランスを訪問し、マクロン大統領と会談したのもこの表れだ。ただ、EU政治は複雑だ。ショルツ氏がメルケル氏と同じように、EUの余人をもって代えがたいリーダーになれるかどうかはまだわからない。

ドイツ2大政党時代の終焉

 昨年9月の総選挙の得票率を見ると、CDUと姉妹政党のキリスト教社会同盟(CSU)が計24.1%、SPDが25.7%と、2大政党がいずれも20%台にとどまった。これは初めてのことだ。戦後のドイツ政治では長らく、いずれかの党が4割前後を得票し、FDPなどと連立し、政権を担っていた。

 ドイツは今や多党化時代に入り、もう2大政党時代に逆戻りすることはないだろう。

 これは先の総選挙での世代別投票先を見れば明白だ。60歳以上の多くは2大政党のいずれかに投票したが、30歳までを見れば、得票率の1位は気候変動対策強化を訴えた緑の党で、2位はコロナ下でのロックダウンを批判したFDPだった。つまり、世代間で別の世界が見えているのだ。ドイツの若い世代には環境問題や自由が大事なのだ。

 大陸欧州では伝統的な中道右派や中道左派が 凋落(ちょうらく) した上での多党化が多く見られ、「オランダ化」との言葉もある。フランスもしかりだ。極右が元気で、かつてのシャルル・ドゴールの保守党は衰え、フランソワ・ミッテランの社会党は見る影もない。

 多党化は連立交渉を複雑化する。有権者は投票所に入った時点で、ある政党の公約が連立交渉でどう変化するのか見通せない。包装に表示された通りの商品を買っているのかわからないという問題がある。

 ただ、日本と異なり、事後に行う欧州型連立交渉も民主主義の一つの形だ。有権者は投票日だけでなく、日々、政治を監視し、各党は有権者を意識しながら連立交渉で妥協点を見出す。党が多いということは、有権者の選択肢も多くなるということだ。

究極のアウトサイダーから大宰相に

 ドイツを代表する大宰相となったメルケル氏だが、政界入りした時点では四重のアウトサイダーだった。当時のCDUの主流は男性、カトリック、法律家、西ドイツ出身だったのに対し、メルケル氏は女性、離婚歴あるプロテスタント、物理学者、東ドイツ出身だ。

 メルケル氏は1954年7月17日、西独ハンブルクに牧師ホルスト・カスナーと英語教師ヘルリントの長女として生まれ、生後まもなく、父の赴任に伴い、東ドイツに移住。学業が極めて優秀ながら、目立つことが嫌いだった少女は「アインシュタインの相対性理論を知りたい」と物理学者になった。

 1989年11月のベルリンの壁崩壊時には35歳。当時、勤務していた東独科学アカデミーを休職し、東独で政治活動を始める。広報担当を務めた政党は90年、東西ドイツの統一を前に西ドイツのCDUに吸収合併され、ここからCDUの中で身を立てていく。

 同年12月の総選挙で36歳の若さで初当選、時のコール首相に目をかけられ、「コールのお嬢さん」と揶揄されながら91年には女性・青少年問題担当相に大抜擢され、94年には環境・原子力安全担当相、98年には党幹事長と要職を歴任した。

 99年に恩人のコール氏にウラ献金疑惑が発覚すると、有力紙にコール氏を批判する寄稿を寄せ、引導を渡した。翌年、CDU初の女性党首となり、2005年11月、戦後ドイツ最年少の51歳で首相に就任した。

 1998年に再婚した量子化学者ヨアヒム・ザウアー氏も離婚歴があり、前妻との間に2男がいる。メルケル氏はプライベートな生活が表に出るのを極端に嫌い、物理学者の弟も、理学療法士の妹も姉について語ることはない。ただ、真面目で慎重、謙虚な一方、ユーモアのセンスがあり、知的好奇心が強く、物事に前向きな性格とされる。

 趣味はサッカー観戦とオペラ。ワーグナー好きを公言した初のドイツ首相で、バイロイト音楽祭の常連だ。

(大内佐紀) 


プロフィル
板橋 拓己氏( いたばし・たくみ
 1978年生まれ、2008年北海道大大学院博士課程修了。国際政治、欧州政治史が専門。著書に「アデナウアー」(中公新書)、「黒いヨーロッパ」(吉田書店)、訳書に「ニュルンベルク裁判」(中公新書)、「ドイツ統一」(岩波新書)など。







※この論考は調査研究本部が発行する「読売クオータリー」掲載されたものです。読売クオータリーにはほかにも関連記事や注目の論考を多数収載しています。最新号の内容やこれまでに掲載された記事・論考の一覧は こちら にまとめています。
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