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■経済安保の議論が進んだのは、中国の先端科学技術分野での台頭と米中の覇権争いが背景にある。
■中国が技術覇権国となる能力を持つことを理解すべきだ。ロシアは難しいだろう。
■経済も国家権力の介入対象となりうる。本来の自由な経済活動とのバランスを図ることが求められている。

最近、にわかに注目されるようになった「経済安全保障」。学術研究の方では、これに近い考えが1980年代に「エコノミック・ステートクラフト」として発表されていた。しかし、わが国が考えている経済安全保障は、エコノミック・ステートクラフトより、幅広いと思う。
今国会で成立を目指している経済安全保障推進法案の策定に向け、私もメンバーとなっている「経済安全保障に関する有識者会議」(座長・青木節子慶大教授)では、四つの柱を中心に広範囲にわたる議論がされた。そこで、こうした状況を踏まえつつ、具体的に経済安保の経緯と経過、課題について、所感を述べたいと思う。
経済安保が提唱されたきっかけ
まず、経済安全保障についての議論を整理する際、どのような背景で経済安保の必要性を主張してきた方々がいるかを基に、議論を分けたいと思う。
カテゴリーの第1は、もともと国際政治を研究してきた研究者を中心としたグループである。その中には、武器輸出管理、核不拡散などの「アームズ・コントロール」の分野を国際関係論で扱ってきた方々がいるし、また、宇宙やサイバーといった新しい領域の国際政治の現場について分析をしてきた方々がいる。政治学グループ、特に国際政治学グループといって良いだろう。
もう一つのカテゴリーは、あまり多くはないが、主に経済学の立場から、日本の産業分析の対象として防衛基盤産業に携わる大手、中小企業などについて研究してきた人たちである。2015年の防衛装備庁発足にも貢献し、日本のどこに、どのような技術があるかも企業単位で調査している。
第3に、もともとアカデミズムの出身ではないが、実は国会での議論に最も大きな影響があったのではないかと私が感じる政策アナリストのグループがある。例えば、多摩大学ルール形成戦略研究所(國分俊史所長)は、その代表的な存在だと思う。
今回の経済安全保障法制に向けた重要な出発点となったのが、自民党の「新国際秩序創造戦略本部」(後に「経済安全保障対策本部」に名称変更)が2020年12月に出した提言書であるのは間違いないだろう。そこでは、「戦略的自律性」と「戦略的不可欠性」の重要な視点が示されている。その確立には、ルール形成で主導的立場をとることが求められるわけだ。また、「セキュリティー・クリアランス(SC=秘密情報を扱う職員の適格性確認)」の重要性も指摘されている。今回の法案では、慎重な対応を求める声に配慮してSCの導入が見送られたが、これは、今後、議論を重ねて、改定のプロセスでなんらかの制度設計が行われると思う。
経済安保の背景に中国の台頭

科学技術政策を研究してきた私が重要だと考えるのは、科学を支えるのはオープンさ、多様性であり、オリジナルな発想を発信し、世界中の研究者たちと研究を競い、また協力するという環境が大切だということである。また、経済安保を進める際に、経済活動の自由との共存も重要テーマである。日本経団連も強い関心を持って提言を出しており、この点については、民間企業とも緊密に議論を重ねていかないといけないところだ。安全保障と経済活動という、場合によっては対立する概念について、バランスをとりながら落としどころを見つける作業が、ますます求められることになる。
民生、軍事双方で使える「デュアルユース」技術の扱いも、難しい課題である。米国では、1957年のスプートニク・ショック以降、デユアルユース技術を活用しながら安全保障に向けたイノベーションを進めてきている一方、いまだデュアルユース技術を生み出し、社会実装をする理想的なエコシステムのモデルが存在しているとは言い難い。米国のみならず、日本にとっても、今後、試行錯誤を繰り返すことになるだろう。

経済安全保障の議論が出てきた背景の一つは、間違いなく中国の台頭だが、経済発展を続ける中国との関係を、安全保障に配慮しながらどうバランスをとるかも、同様に重要な課題だと考えている。
地政学において、最近、「米中による新たな冷戦構造」が生まれたといわれることもあるが、米ソ冷戦時代と今の米中関係とは、全く異なる。米中両国はグローバリゼーションの進展で経済関係が密接で相互補完性があるからである。とはいえ、米国人の多くは、中国が覇権国を目指していることに強い危機感をいだいているのも事実だ。
かつて1980年代には、ポール・ケネディの「大国の興亡」がベストセラーとなり、「米国の時代は終わった。次は日本が覇権国になるのか」というセンセーショナルな議論がまことしやかにいわれたこともあった。その後、米国の研究者の日本への警戒心は解消され、今はハーバード大のグレアム・アリソン教授の「米中戦争前夜」という本が話題になるなど、40年で時代は大きく変わったと感じる。
中国を考える時に忘れてはならないのが、「テクノヘゲモニー」(技術覇権)という考え方である。私のコロンビア大学の恩師であるリチャード・ネルソン教授が指摘しているのは、「テクノヘゲモニー」は、(1)新しいアイデアを育む大学と、同時にそれを社会に導入する産学連携システムがあること(2)大量生産によって誰よりも早く社会実装する能力――の二つの要因を備えていることが必要であり、この2要素を有する国が、その時代の技術覇権国となりうるということである。産業革命後の英国や、それにチャレンジしたドイツ、そして戦後の米国および、米国に20世紀後半にチャレンジした日本が該当していたとされる。
この点、中国にもこの2要素が備わっているというのが、私の見方だ。中国は、30年前から大学改革を徹底的に推し進め、北京大、清華大などを世界トップクラスに育ててきた。くわえて、産学連携も以前からきわめて活発だ。さらに、大量生産システムも有している。日本をはじめとした先進各国が競って中国に生産工場を建設してきたわけだから。たとえば、テスラCEO(最高経営責任者)のイーロン・マスク氏が、最初の電気自動車の大量生産拠点として中国を選んだのはその生産能力に期待したからである。中国は2015年に「中国製造2025」を発表したが、これは技術覇権を目指した動きだと真剣に捉える必要がある。

なお、ウクライナ侵攻であらためて注目されているロシアについては、中国のような技術覇権国家となることはないだろうと思う。たしかに宇宙、医療、原子力といった最先端分野で高い技術力を持つが、大量生産能力を欠いているからである。石油、天然ガスといった資源が豊富にあるため、イノベーションの環境にプラスになる投資があまり行われてこなかったことが背景にあるとみている。
中国が獲得しようとしているテクノヘゲモニーを背景に、「テクノ・ジオポリティクス」(技術地政学)という概念も、注目されるようになっている。これは、まだ覇権が確立されていない宇宙や海洋、サイバー空間、さらに北極圏といった分野を目指して、各国がダイナミックに展開しようとしていることを意味している。
ロシアへの経済制裁の効果は
経済安全保障の中で注目されている概念として「エコノミック・ステートクラフト」がある。国家が、軍事的手段によらず経済的な手段を使って、他国に対して影響力を行使して国益を達成することを意味しているが、学術的に最初にこのコンセプトが出されたのは、1980年代、当時私がいたコロンビア大学で
現在のウクライナ侵攻を受けた対ロシア経済制裁もこの一種で、各国が協調して制裁を行えば、「国際社会は皆、あなたのやっていることは間違っていると言っている」というメッセージを出すことになる。このような「シグナリング効果」は一方で、一部の国に反対されると、国際世論が割れていることがかえって浮き彫りとなり、逆効果になる懸念があるわけである。
また、制裁を受けた国は強く反発することから、第1弾の経済制裁に続いて、第2弾、第3弾を事前に考えておかないといけないし、結果的に制裁が長引くだけで、なかなか解決に結びつかないこともある。北朝鮮のように経済制裁にいわば慣れてしまい、それを前提に生き延びる方法を獲得してしまっているところもある。今回のロシアもそうならないかどうかが懸念材料だし、原油価格が上がれば、かえってロシアの利益が増大する可能性もある。制裁する側への影響も大きいことから、どれくらいの期間、制裁側が結束を保てるかも大きな課題のひとつである。
4本柱以上に重要な「総論」
今回の経済安全保障推進法案は、<1>重要物資の供給網確保<2>基幹インフラ設備の事前審査<3>先端技術開発の促進<4>特許非公開――の4本柱からできている。これらは、経済安全保障の出発点となるもので重要であるが、私は、実はこの4本柱に先立ち、基本的な考え方が書かれた基本方針の部分がとくに大事だと思っている。
つまり、今の国際情勢を考えた時に、ありとあらゆる経済行動は、経済だけの論理で成り立つものではなく、安全保障上、あるいは国家の存続を第一目標として考えるならば、経済活動も国家権力の介入の対象になるという考えが明記されている。これによって、具体的な措置は今後、一つ一つ検討されていくことになると思う。
その上で、重要になるのが経済安全保障体制の確立と実効性の確保になる。前述したSCの導入なども今後しっかり議論され、効果的な制度設計が行われることを期待している。これらは、結果的に英、米など英語圏の諸国が機密情報を共有する「ファイブ・アイズ」の枠組みに日本も参画していくためには欠かせない制度となる。
そしてその上で、日本も技術の優越を持つことが重要である。「日の丸半導体」「日の丸宇宙技術」「国産ワクチン」といった、他国も欲しがるような技術を持っていなければ、日本は相手にされなくなってしまう。まさに、「戦略的自律性」と「戦略的不可欠性」である。そのカギを握るイノベーション(技術革新)をどう強く進めていくかも安全保障であり、研究開発も含む、ありとあらゆる経済活動に政策的介入が必要な時代となっているということについて、経済安全保障法制の議論を通じて国民的な理解が進むことを願っている。世界が、経済安保を中心とした「ミッション型(課題解決、価値実現型)経済」に移行し、新たな経済秩序が形成される中で、わが国もしっかりとした存在感を示すことができるような制度設計を迅速に進めていくことが求められているのである。
