【ルポ】ウクライナ 最悪の難民危機の現場で

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 ロシアが2月24日、ウクライナ軍事侵攻を開始した。ロシア侵攻の「うわさ」が現実の悪夢となり、戦況が刻々と悪化する中、ウクライナ国民は何を感じているのか。人口4200万人の国で、1000万人以上が住む場所を追われ、日常生活を失うとはどういうことなのか。2月10日から28日までウクライナの首都キーウと西部の要衝リビウで、その後、隣国ポーランドで第2次大戦以降最悪といわれる難民危機の現状を取材した。

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読売新聞ローマ特派員 笹子美奈子 
写真:三浦邦彦 

ポーランド国境の町

 ウクライナとの国境から約13キロにあるポーランド南部の町プシェミシルの鉄道駅。大荷物を抱え、次の目的地に向かうはずの列車をひたすら待つ母子。親なしで電車に乗ってきたらしい兄弟姉妹ら。3月2日、ウクライナから鉄道で逃れてきた難民であふれ返った駅は混沌としていた。

避難所として開放された小学校の体育館に身を寄せる人々(ポーランド・プシェミシルで)
避難所として開放された小学校の体育館に身を寄せる人々(ポーランド・プシェミシルで)

 ロシア軍の包囲網が狭まる首都キーウから脱出してきたというイリナ・カステンカさん(47)は、子ども2人を連れていた。平時なら7~9時間の列車の旅が32時間もかかったという。乗客の大半は座席がなく、立ったまま、すし詰め状態で過ごした。「水も食料も途中でなくなってしまった。携帯電話のバッテリーも切れてしまい、途方にくれている」とうつろな表情で語った。

 保護者と一緒でない子どもが少なからずいるのは、自分はウクライナ国内にとどまり、我が子だけを疎開させる重たい決断をした親たちがいるためだろう。

 高齢者は健康上の理由で避難をためらいがちだ。高齢の親の付き添いのためウクライナに残る人がいる。離れられない仕事を持つ人もいる。

 心細げな子どもたちを何とか笑顔にしようと迎える親の知人やボランティアの姿もあった。

 プシェミシル市内の閉鎖されたショッピングモールは、急ごしらえの避難所に姿を変えていた。所狭しと並べられた簡易ベッドに放心状態でもたれかかる人々。宿泊支援の案内をするボランティアの呼びかけにも、力なくうなだれたままだ。

 避難所にはポーランド内外のボランティアが集まり、24時間態勢で支援する。9人乗りのミニバンを友人とレンタルし、ベルリンから夜通し運転してきたというアレックス・ミュレオさん(27)は「何とかしてあげたい。その一心でやってきた」と話した。

 衣類や生活必需品などの支援物資は集まっている。炊き出しのテントも連なる。ひときわ人気なのはスマートフォンのSIMカードを無料で提供するサービスだ。ウクライナ国内に残した家族と連絡を取りたい人が多いからだ。

 国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)によると、ウクライナからの難民は、実に9割が女性と子供だ。ウクライナ政府が2月24日に発令した国民総動員令により、18~60歳の男性は原則、出国が禁じられた。だから、夫や父をウクライナに残し、重い荷物を一人背負い、両手で子どもの手を引いてポーランドにたどりついた女性の姿が多く見られるのだ。

 戦禍の祖国に残してきた家族の身を案じながら、異国で暮らす。家族離散を強いられたストレスが彼女たちをさいなんでいる。

1000万人が家を追われ…

 UNHCRは3月20日、ロシアのウクライナ侵攻のために家を追われ、国内外に避難した人は1000万人を超えたと発表した。国外に逃れた約339万人のうち、ポーランドには最多の205万人が入国している。

 ウクライナと文化的にも近く、言葉も似ているとされるポーランドには、侵攻前から出稼ぎのウクライナ人労働者が多くいた。ポーランドの外国人就労許可を受けている人の72%がウクライナ人でその数は30万人超とされる。この約6割が25~44歳の青壮年世代で、農業、建設業、製造業、物流業界を中心に就業している。ビザなし渡航が認められていることから、実際には100万人以上とみられる。

 ポーランド第2の都市クラクフも、ウクライナからの出稼ぎ者が多く暮らす。クラクフは行き先が決まっていない難民の主要な中継地点にもなっており、いたる所で難民を見かける。宿泊施設を世話する支援センターも早速設けられた。

 ただ、ロシアの軍事侵攻から日がたつほど、ただでさえ大変だったウクライナからの脱出が困難さを増している。

静まりかえる街

 私(笹子)がロシア軍の侵攻開始から4日後の2月28日、ウクライナ西部リビウから約75キロ離れたポーランド国境を越えた時も、西に向かう道路には避難民が殺到していた。

 国境を越えることを決めたのは開戦2日後の26日だ。ポーランドに向かうバスは4日後、列車は1週間後まで待たなければ切符が手に入らないことがわかった。

 歩いて国境を越えるしかない。

 ウクライナ入国時に持参したスーツケースには21キロ分の荷物を詰めていた。これを持って移動するのは無理だ。パソコンと衛星携帯電話、防寒着だけを自分で背負えるカバンに詰め替えた。

 27日朝、それまでの2週間の滞在で顔なじみになった宿泊先バンク・ホテルの従業員に別れを告げると、一瞬表情を曇らせた。そして「あなたの部屋は取っておく。国境を越えられなかったら、ここに帰って来るといい」と言ってくれた。処分を頼んだスーツケースは、捨てずに預かるという。心が痛んだ。

 市内では既にガソリンが不足していた。車の手配は容易ではなかったが、運転手は約束の時間にきちんと現れた。

 ほんの4日前までにぎわっていた街は静まりかえっていた。道路のあちらこちらに警察車両やブロックで塞いだ検問所ができていた。入念な身分証明書チェックは、成人男性の脱出防止とロシアの工作員警戒のためだろう。

 車で約1時間走ると、治安部隊に止められ、車から降ろされた。ここから先は国境を越える車しか通さないという。運転手に別れを告げ、国境までの26キロの道のりを歩き始めた。

雪の中、西へ

 天気は午後から雪の予報。国境に続く道はまっすぐ西に延びる片側1車線の平らな一本道で、避難者を乗せた乗用車が延々と連なる。車線の脇を歩くのは、スーツケースを引きずったり、衣類と食料を詰め込んだビニール袋を両手に持ったりしながら行く徒歩組だ。ペットを連れている人もいた。荷物を軽くするためだろう。道ばたには捨てられたスーツケースや衣類が点々と散らばっていた。

ポーランドへの避難を目指し、国境へ向かう人々(ウクライナ・リビウで)
ポーランドへの避難を目指し、国境へ向かう人々(ウクライナ・リビウで)

 歩き始めて約30分後、リビウ市の方角からサイレン音が聞こえてきた。空襲警報だ。だが、我々には逃げる場所がない。誰も振り返ることすらせず、歩みを止めなかった。

 途中、集落を通りかかると、村人らが炊き出しを行っていた。物流が滞り、食糧不足が始まっている中、温かいスープやジャム付きパン、漬物を惜しみなく差し出してくれる。リンゴを手渡しながら、「プーチンなんてくそ食らえ!」と叫ぶ人もいた。

 車の列の方は全く進まない。国境まで約10キロ・メートルの地点で車中泊を続けているという家族は、「これで4日目だ」とうんざり顔だった。割り込み車両を巡るけんかもあちこちで起きていた。

 夕方、雪が舞い始め、あっという間に雪景色となった。歩き始めて約9時間。国境から約3キロ・メートルの地点で、治安部隊が道路を封鎖していた。ここから先は150人単位でしか通行が許可されない。すでに300人以上が並んでいた。許可が下りるのは約4~5時間後になるだろう。時計は午後8時を回っていた。

 先頭集団は全く進まない。気温は氷点下2度。内臓がぶるぶる震えるような感覚が続いた。私は睡魔に襲われ、気がついたら路上にしゃがみ込み、うとうとしていた。背中を軽くたたく手があった。中東系の男性がスマートフォンの翻訳アプリを差し出し、治安部隊がたき火を用意していると知らせてくれた。

 徒歩組でたき火を囲み、暖を取った。「あと何時間待てば越えられると思う?」――。会話は堂々巡りだ。夜が更けるにつれ、寒さと不安が増す。それがピークに達した約8時間後、通行が許可され、3キロ・メートル先の国境の検問所に向かった。

混沌の国境越え

 28日早朝、ウクライナ側の国境検問所にたどり着いた。だが、数百人が詰めかけ、身動きが取れない。3時間たっても行列はほとんど進まない。やがて警備兵が、いかにも外国人という顔をした私をゲートに連れて行こうとした。同僚の写真部記者と共に向かおうとすると「女は良い。だが、男は残れ」と言う。

多くの避難者が押し寄せたポーランドの国境検問所
多くの避難者が押し寄せたポーランドの国境検問所
雪が降る中、国境を越えてポーランドにたどり着いた人々(ポーランド・メディカで)
雪が降る中、国境を越えてポーランドにたどり着いた人々(ポーランド・メディカで)

 2月24日の総動員令により、成人男性はウクライナから出国できない。外国籍を偽っていないかを確認するため、男性は一人一人厳重な審査を受けている。ウクライナ政府軍発行の取材許可証を提示し、何とか写真部記者と2人で検問所を抜けた。

 次のポーランド側検問所に向かう通路は、暴動寸前の難民ですし詰め状態だった。入国審査の建物と通路は鉄柵で隔てられ、難民らが警備兵に向かって叫び声を上げている。警備兵に殴られる人、それでも抵抗を続ける人、少しでも前に進もうと体当たりする人、順番を巡って言い争う人、気力をなくしてしゃがみ込む人。それぞれの必死の形相が目に焼き付いた。

 群衆の波の中をなんとか進んだ。高さ約1.9メートルの鉄柵をよじ上って越え、ポーランド側に入った。リビウを出てから、国境を越えるまで25時間、かかっていた。

想定外の軍事侵攻

 ウクライナ軍は国際社会が予想もしなかったほど粘り強く抗戦している。だが、国民の多くは、ロシアが実際に軍事侵攻するとは思っていなかったのではないか。

 私がキーウに入ったのは侵攻2週間前の2月10日。欧米化が進む町では、若者が西欧諸国でおなじみのフランチャイズ店に足を運び、英語を話し、チャットやウーバーを利用する。金曜夜のレストランは家族や友人とワインを飲み明かす人々で満席で、日曜日のショッピングモールには玩具をねだる子供がいた。ネイルサロンでは女性が爪の手入れをしていた。

 あるいは、「ロシアに振り回されるのはもうごめんだ」とあえて日常生活のペースを乱さないようにしていたのかもしれない。2014年にロシアがクリミアを併合して以来、ウクライナ国民にとって、ロシア軍の脅威はすぐそこにある危機だった。

 「8年間ずっと緊張状態にあるから、今回もいつもと同じ。怖くはないわ。お金を少し多めに銀行から引き出しただけ。買いだめもしていない。8年間、欧州諸国は何も動いてくれなかった。そのことが腹立たしい」――。ロシア軍による侵攻の可能性をキーウっ子のIT企業勤務の女性(22)に聞くと、こんな答えが返ってきた。

避難すれば「非国民」

 私は2月15日に、キーウから西部リビウに移動した。親露派支配地域に近い東部からリビウに避難する動きが出始めていた。キーウとリビウを結ぶ列車の切符はすぐ完売だ。かろうじて運航を続けていたウクライナ国内の格安航空会社のチケットを何とか手に入れた。

 人口約72万人のリビウは世界遺産にも登録されている美しい古都だ。ここに首都や東部から逃れてきた避難民を取材するのは難しかった。地元に残る人から「弱腰の非国民」扱いされるのを恐れ、町を出たことを内緒にしている人が多いからだ。

 避難者を支援するコンサルタントのジャンナ・シェブチェンコさん(47)が、「愛国心が強い同僚や顧客がいるから、避難したことを会社に隠したままリモートワークをしている人もいる」と話す。

バスターミナルでポーランドに避難する妻子を抱きしめる男性(ウクライナ・リビウで
バスターミナルでポーランドに避難する妻子を抱きしめる男性(ウクライナ・リビウで

 リビウ市当局は開戦への備えを急ピッチで進めていた。水道や電気、通信が止まった場合のバックアップ体制を整え、病院では血液バンクの備蓄を増やし、地下の手術室の点検が行われた。リビウ駅では、国外に避難する妻や子供、恋人を見送りに来て、別れを惜しむ男性の姿が日常の景色となった。

 私がここで通訳を頼んだオクサナ(45)は貿易業が本来の仕事だ。北大西洋条約機構(NATO)がウクライナ軍を訓練する施設「国際平和維持・安全保障センター」への取材許可が下り、私たちは24日に出向く予定だった。ところが24日未明に外国メディアがロシア軍による爆撃開始を伝え始めた。

 ウクライナ・メディアの情報は更新されない。市民が現実を受け止めたのは、24日の朝になってからだろう。

 「信じられない。なんてこと」。朝、電話するとオクサナはパニック寸前だった。

 街は一転した。スーパーや現金自動預け払い機(ATM)、ガソリンスタンドには長蛇の列ができ、地方に逃げる車で道路は大渋滞となった。

空襲警報

 翌25日午前4時過ぎ、静かな地鳴りのような音が上空に響いているのに気づいた。「軍用機かな?」――。ウクライナ国内では24日から民間機の飛行は全面禁止されたはずだ。ホテルの部屋の窓に近寄っても機影は見えない。

 夜が明け始めた午前7時過ぎ、街中にサイレンの音が鳴り響いた。空襲警報だ。

 慌てて部屋から飛び出した。非常階段で1階まで駆け降りると、緊張した表情の従業員に地下シェルターに誘導された。約30人の宿泊客は皆無言でスマートフォンの画面を見つめていた。

 街はゴーストタウンと化した。商店はシャッターを下ろし、人々は自宅やホテルで息を潜めている。代わって警備兵が街を巡回し始めた。ロシア工作員が潜入しているおそれがあるとして、リビウ市当局はSNSで注意喚起した。移動制限と夜間外出禁止令が相次いで発令された。灯火管制も敷かれ、午後11時以降、街は暗闇に包まれた。明け方には不気味なサイレンが鳴る。

 東部から逃れてきた人々が急増し、ホテルのシェルターはすし詰め状態に近くなった。空襲警報の回数も増える。市民は仕事どころではなくなり、通訳や運転手も街から逃げ出した。

 「このまま残っても、十分な取材ができない」。事態は予想以上のスピードで急転している。退避を検討する時が来たのを感じた。

怒りの矛先は

ポーランド東部のメディカ駅前に設置された簡易テントに入る避難者たち
ポーランド東部のメディカ駅前に設置された簡易テントに入る避難者たち

 ポーランドで取材したウクライナ難民の大多数は、戦闘が収まって事態が落ち着いたら帰国することを切望し、故郷に残した親族の安否を気にかけていた。彼女たちの怒りの矛先は、当然ながら侵略者ロシアに向けられる。

 一方で、ロシア軍の攻撃が激しさを増し、ウクライナ側の犠牲者が増えるにつれ、米国が主導するNATOへの不満も高まっている。ゼレンスキー・ウクライナ大統領が戦闘機の供与や、ウクライナ上空での「飛行禁止区域」の設定を求めているのに対し、動こうとしないからだ。

 クラクフでは、ウクライナ難民らが在ポーランド米国総領事館前で、「死は空から降ってくる。これ以上死者を増やすな」と訴えた。

 キーウから避難してきた会社員イラ・コステンコさん(25)は「飛行禁止区域の設定が爆撃を止める唯一の方法だ。子供にまで犠牲が及んでいるというのに、なぜNATOは動いてくれないのか」といら立ちをあらわにした。

 今はウクライナからの避難者に寛容さを示すポーランドなど周辺諸国が、危機が長引いた場合、対応を変えることを懸念する声もある。あるUNHCR幹部は「周辺諸国も決して豊かではない。自分たちの生活が脅かされると感じたら、雰囲気が一変することもある」と指摘する。

 ウクライナでは民間人を含め死傷者が増加し、町の破壊が進む。私が取材した人の中でも、安否が確認できない人がいる。

 「家に帰り、家族や友人・隣人たちとの普通の生活を取り戻したい」―。家を追われた人々の願いがかなえられる日はいつ来るのだろうか。

プロフィル
笹子美奈子( ささご・みなこ
2019年4月からローマを拠点にイタリアや旧ユーゴなど東欧諸国を取材している。

※この論考は調査研究本部が発行する「読売クオータリー」掲載されたものです。読売クオータリーにはほかにも関連記事や注目の論考を多数収載しています。最新号の内容やこれまでに掲載された記事・論考の一覧は こちら にまとめています。

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