ウクライナ地政学と危険な「核の威嚇」

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POINT
■ロシアによるウクライナ侵攻でドニプロ川が事実上の戦略ラインとなっている。過去にもここで欧露の攻防戦が展開されてきた。

■ドニプロ川の東側は燃料資源の宝庫、西側は鉄鉱石とウランの豊かな鉱床がある。東側のみと両側の制圧とでは地政学的な意味が異なる。

■露の「核の威嚇」は両刃の剣だ。核保有の野心を抱く国を刺激するだけでなく、使わずに敗北する形になるのも核保有の効力、核秩序に疑問を投げかける。

■露の原発制圧は場当たり的な面が垣間見える。民間施設を攻撃し、大量破壊兵器の使用も取り沙汰されるなど国際規範に反する行為を重ねている。

調査研究本部主任研究員 笹沢教一 

SNS発言への違和感

 「宇宙から見たら国境なんてなかった」―。ロシアのウクライナ侵攻を巡り、昨年12月に宇宙旅行を体験した日本の実業家がSNSで発言した。何となく平和的に聞こえるので、支持する反響もあったことだろう。今回の侵攻とは無関係だが、日本の宇宙飛行士も過去に同様の発言をしていた。

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 だが、果たしてそうなのか。私の理解ではむしろ逆なのである。

 そもそも国境は「自然的国境」と「人為的国境」に大別される。前者は大山脈や大河、湖など国と国との物理的な境界となる自然物を指し、後者は文字通り人為的に確定させたものだ。こうした概念は、州境や地域圏などの境界にも適用される。米ナショナルジオグラフィック協会は、これらを一括して「境界」として扱い、自然的境界と、政治的境界、経済的境界などに分類している(注1)。

 米航空宇宙局(NASA)は、前述の実業家や飛行士らが滞在していた国際宇宙ステーション(ISS)から撮影したヒマラヤやアルプス、レマン湖など自然的国境の地形を高精細の静止画やライブカメラ映像で公開している。飛行士たちも自分で撮影した地球の景色をSNSに投稿しており、こうした地形も含まれている。

 つまり、本当は宇宙から国境が見えていたはずなのだ。そればかりか、これらを挟んで、夜間の明かりや野焼きの煙といった暮らしぶりの明確な違いが写っていることすらある。宇宙からは、格差や分断さえ見えるのである。むしろ、ここを出発点に国際情勢や地域の安全保障を理解してこそ、平和が語れるようになるのではないだろうか。

 図1は例として、スイスの真北にあるドイツとフランスの国境部分を示した。「地溝」と呼ばれる細長い陥没構造に沿って自然的国境のライン川が流れている。

 地溝は、オンラインの電子地図で地形まで表示させればもっと明確にわかる。細長いのは、並行して走る断層によって広範囲にわたって地殻が裂けたためである。

 このように境界となり得る地形は、ただの川、山、谷ではなく、大河、山脈、地溝などであり、専門的に言うと、テクトニックな大規模地形である。テクトニックというのは「プレート・テクトニクス」という言葉にあるように、地下構造の変動を意味する。

 もう少し例を挙げると、ヨルダンと、イスラエル、パレスチナとの国境はヨルダン川である。これもまた地溝であり、地溝の北部ではガリラヤ湖、南部では死海に変わる。このあたりの地名を見れば、いかに歴史的、地政学的に重要な場所であるかがわかるはずだ。人類は長い歴史の中で、多くの異なる民族が自然の障壁を利用して住み分け、時に対立の妥協線としてきたのである。

欧露境界にもなったドニプロ川

 歴史的にロシアと欧州との間でこうした役目を果たしてきたのが、ウクライナ中央を流れるドニプロ川だ。ロシア西部からベラルーシ、ウクライナ中心部を通り、黒海に注ぎ込む全長2200キロの大河で、わずかな距離ではあるが、ウクライナ北部ではベラルーシとの自然的国境にもなっている。

 東進する欧州勢力と、逆に中・東欧まで勢力を広げようとするロシア側がここでたびたびぶつかり合ってきた。17世紀にはドニプロ川を境界に、上流から見て右岸側(西側)がポーランド領、左岸側(東側)とキーウがロシア領に分割されたこともある。19世紀のナポレオン戦争や第2次世界大戦では、川沿いの露スモレンスクやキーウなどで激しい攻防戦が展開された。

 こうした歴史的経緯と地理的な事情が作用して、ウクライナでは、川の西側を「右岸ウクライナ」、東側を「左岸ウクライナ」と区別して呼ぶほどだ。右岸側は親欧的なのに対し、左岸側は親露的で普段からロシア語を話す者もいる。

 今回のロシアによる侵攻でも、ロシアと国境を接する左岸側で制圧範囲が拡大し、南方の下流域では左岸側がほぼ掌握されるなど、少なくとも3月中旬までは、この川を軸に地上侵攻が展開された。

 新聞も2月下旬の侵攻直後は、基本的に国境線だけの白地図を載せるにとどまり、せいぜい途中の貯水湖が描かれる程度だったが、読売新聞では3月4日付朝刊から一面に「ドニエプル川」の文言とともに川筋を明記した地図が載るようになった。川を示すだけで、制圧の状況が把握しやすくなる。

 これに対して、東側のロシアとの国境には、ここまで明確な自然の障壁がない。今回の侵攻が証明したように国防上はだ。

 最近になって、欧州ではポーランドがベラルーシとの、ギリシャがトルコとの「国境の壁」の建設にそれぞれ踏み切った。不法難民・移民の対策が第一の理由だが、特にポーランドは、ベラルーシとの関係悪化が背景にあった。もとはあまり目立った話題ではなかったが、ウクライナ侵攻にベラルーシが関わっているとなると、見方も変わってくる。

 日本のように、海という自然の障壁で囲まれた国では実感できないことだが、陸続きであるが故に、隣国との関係などの政治・外交上の事情によって、人工的にでも、より強固な障壁を作ろうということになるのである。

 もう一つ例を挙げれば、スイスが永世中立の立場を取れるのも、二つの山脈(アルプス、ジュラ)と二つの湖(ボーデン、レマン)という自然の障壁であらゆる隣国と接している強みがあるからだ。

 陸続きのユーラシア大陸には、国境線を示しただけの白地図からは読み取れない地政学的事情がある。逆に言えば、地形から見えてくるものもあるのだ。

右岸は鉄鉱石とウランの産地

 では、こうまでウクライナを二分するドニプロ川とは何かと言えば、これまた地溝に関係している。ウクライナ北~中部では、ドニプロ地溝などと呼ばれる大規模な構造によって大昔に分断された古い地殻(岩盤)の縁のあたりを流れている。

 川の右岸は、地球上でも最も古い部類に含まれる18億~37億年前の先カンブリア時代の強固な岩盤でできた緩やかな平原である。このような地域は、長年の侵食で盾を伏せたような形になっていることから「 (たて) 状地」と呼ばれる。

 この古い岩盤には、太古の海底に酸化鉄が沈殿してできた鉄鉱床がある。このタイプの鉱床は、鉄鉱の層が模様に見えるので縞状鉄鉱層(BIF)と呼ばれ、世界の鉄鉱床の過半を占める。ウクライナは世界5大BIF地帯の一つとして知られ、国内最大の産地である南東部クリビーリフは、ゼレンスキー大統領の出身地でもある。

 右岸側には大規模なウラン鉱床も集中している。これも古い大陸地殻の特徴である。ウクライナは世界9位の生産量で、原発用ウラン燃料の自給を目標としている。

 ちなみにだが、1位はカザフスタンで世界の4割を占める。旧西側では2位の豪州、4位のカナダと、英語圏の機密情報枠組み「ファイブ・アイズ」の構成国が入り、合わせて世界の2割強を占める。

 主要な鉱床は旧ソ連・中国の側に偏在しているが、カザフは露主導の「集団安全保障条約機構」(CSTO)の加盟国、5位のウズベキスタンは当初の加盟国だったが離脱、さらにウクライナ―と、それぞれロシアとは微妙な距離感の違いがある。

 旧ソ連の産出国がすべてロシア側に付くのとそうでないのとで、ウラン供給の勢力図は変わる。このあたりはまた、トルコ、中東との関係性も見なければならない。旧ソ連圏の不安定化は、ロシアにとっての懸念材料となるだけでなく、周辺へのウラン流出にもつながるのである。

ウクライナの地の利を知る露

 一方の左岸側は、楯状地の古い地殻が大昔に大きく裂け、そこにした分厚い地層でできている。この地層の北東側がほぼロシアとの国境地帯と重なる。その向こうのロシア西部にかけては、裂けたウクライナ楯状地の北東部分が分布している。

 地溝ができるときには、地下深くからマグマが上昇する。活動が発展すれば大陸分裂が始まる。ここではそこまでに至らなかったが、地下の熱で、地層に含まれる動植物の死骸が化学変化を起こし(「熟成」と呼ばれる)、南東では主力産業の石炭に、中~北部では石油やガスになった。

 旧ソ連最大を誇ったドネツ炭田の鉱脈は、親露派が支配するドネツク、ルハンスク両州(ドンバス地域)と、ドニプロペトロウシク州東部、ロシアの一部にまたがる。旧ソ連時代には石炭産出量の3分の1をこの地がまかなっていた。年代的には石炭紀(約3億~3億6000万年前)の地層である。

 鉱山というのは、鉱石の質(含有量や成分)が高く、規模が大きくないとなかなか採算が取れない。この点でウクライナは鉄鉱石も石炭も非常に優れ、双方を合わせて自給生産される鉄鋼は、帝政ロシア時代からの主力製品だった。

 ただ、重厚長大の象徴とも言える鉄鋼や石炭の生産は、今の世界、特に欧州では脱炭素などの要素も加わってビジネスの先行きが不透明だ。結局、ほかのビジネスの不調もあって天然資源の供給国であり続けるロシアが、ドンバスの石炭産業の主要取引先となり、双方の関係性が強まった。

 ウクライナはまた、ステップ草原の腐植質を多く含むな土壌「チェルノーゼム(ロシア語で黒土)」に支えられた小麦などの穀倉地帯であり、ロシアとは競合関係にある。ウクライナの「地の利」は、ロシアが最も高く評価しているのかもしれない。

 プーチン露大統領の真意や狙いがどこにあるのかわからないが、左岸側だけの掌握と、両岸の掌握とでは地政学的な意味はずいぶんと変わってくる。キーウのほか、鉄鉱、ウラン、石炭の重要鉱床が集中する中部ドニプロ周辺の状況に注目したい。

原子力施設は大丈夫か

 欧米など大陸内の原発は、河川水を蒸気の冷却に使ったり、その後の温排水を放流したりするため、水量の豊かな大河沿いに建設される。ドニプロ水系には、ベラルーシ国境に近いチョルノービリ(チェルノブイリ)原発(廃炉)と、100万キロ・ワット級の軽水炉6基を擁する欧州最大のザポリージャ原発があり、どちらもロシアに制圧された。チョルノービリは正確には支流のプリピャチ川沿いだが、合流点はごく近くにある。両原発の制圧はドニプロ川を戦略ラインとした侵攻シナリオに含まれていたのだろう。

 ただ、制圧に関与したロシア兵が、原発での作戦展開をどのくらい理解していたのかはわからない。

 ロシア兵は2月24日の侵攻開始と同時にチョルノービリを占拠し、翌25日には毎時最大9.46マイクロ・シーベルトまで線量が上昇した。国際原子力機関(IAEA)は同日、ウクライナ原子力規制検査庁(SNRIU)からの情報として「侵入した大型軍事車両が、汚染された表土を巻き上げた可能性がある」(注2)と声明で伝えた。

 原子力施設は、管理区域、監視区域などに区分けし、放射線量とリスクに応じて段階的に立ち入りが制限される。立ち入る際は、制限に応じて防護服やマスクを着用し、線量計やフィルムバッジなどの被曝量を測る装備も必要となる。特にチョルノービリの敷地内は深刻な汚染が起きた場所であり、通常の原発に入るのとは状況が異なる。先の線量がまる5日続けば、ただちに危険とは言えないまでも、一般人の年間許容線量は超えてしまう。

 現地からの映像は、ロシア兵の放射線装備などに関する情報が乏しいのだが、周到に準備されたようには見えない。ロシア兵は詳しい知識を何も持たず、あるいは何も知らされず、かなり荒っぽく設備等に接していたのではないか。これではどんな間違いが起きるかわからない。

ロシア軍の攻撃で被害を受けたザポリージャ原発の施設(AP)
ロシア軍の攻撃で被害を受けたザポリージャ原発の施設(AP)

 施設の攻撃や破壊も多く起きている。SNRIUによると、ザポリージャ原発では、3月4日の露軍の砲撃で原子炉から数百メートル離れた訓練施設が炎上、敷地内の研究所建屋や運営管理棟も損害を受けた。商業原発に対する軍事攻撃は前例がない。

 原子力の平和利用には、保障措置(拡散・軍事転用防止、safeguard)、安全(事故防止、safety)、セキュリティー(テロ防止、security)という原則があり、頭文字から「3S」と呼ばれる。これに関連して、核燃料などの破壊や盗難から守る「核物質防護」が条約で規定されている。だが、これら文言からわかるように、核ジャックやテロの想定で、今回のような軍事攻撃は前提としていない。

 2001年の米同時テロを機に、米国が航空機衝突に備えた原発のセキュリティー強化に踏み切った。日本も東京電力福島第一原発事故の後に整備された新規制基準の中で、故意の航空機衝突による原子炉建物の損壊に備えた「特定重大事故等対処施設(特重施設)」の設置が義務付けられた。

 ただ日本では、施設の完成が間に合わず、再稼働した原発が運転を停止したり、侵入者を検知するテロ対策設備の不備が見つかったりと、テロ想定のレベルでも問題が起きている。それを上回る脅威への対処などできるのだろうか。

 松野博一官房長官は3月4日の記者会見で、原発へのミサイル攻撃に対しては、「イージス艦による上層での迎撃とPAC3(地上配備型迎撃ミサイル)による下層での迎撃を組み合わせた多層防衛で対処する」と述べた。これが果たして正解なのか。ほかの兵器による攻撃にはどう対処するのか。改めて国際的な議論が必要になるだろう。

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2959192 0 国際・安全保障 2022/04/28 12:00:00 2022/05/17 17:27:22 2022/05/17 17:27:22 https://www.yomiuri.co.jp/media/2022/04/20220426-OYT8I50133-T.jpg?type=thumbnail

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