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第27回読売国際協力賞 JICA「大エジプト博物館合同保存修復プロジェクト」チーム座談会

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POINT
■エジプトで文化財の保存修復専門家を育成する国際協力機構(JICA)の事業に読売国際協力賞が贈られた。文化財保護の活動が対象になるのは初めてだ。

■エジプトは日本の技術力とチームワーク、技術移転を惜しまない姿勢を評価して従来の方針を変え、合同での遺物修復事業を申し出てきた。

■2008年以降日本チームとの研修や合同修復作業に加わったエジプト人専門家は280人を超え、国内外で活躍する人材も着実に増えている。

■日本の援助で人材育成を行っている保存修復センターは世界有数の規模となっているが、日本国内には同様の文化財修復施設がなく、今後の課題だ。

第27回読売国際協力賞の贈賞式に臨む(左から)石井美恵、谷口陽子、中村三樹男、岡田靖、西坂朗子の各専門家たち
第27回読売国際協力賞の贈賞式に臨む(左から)石井美恵、谷口陽子、中村三樹男、岡田靖、西坂朗子の各専門家たち

 国際社会に貢献することの重要性を身をもって示す活動を顕彰する読売国際協力賞。27回目となる2020年度は、古代エジプト文化遺産の修復をエジプトの専門家と共に行い、技術移転を続けてきた国際協力機構(JICA)の「大エジプト博物館合同保存修復プロジェクト」チームが選ばれた。JICAはエジプトの国家的事業である「大エジプト博物館」(注1)の建設計画を支援する中で、文化財の調査や修復を行うエジプト人専門家の育成を08年から行ってきた。16年にはエジプト側から貴重な遺物の調査・修復を合同で行おうという異例の申し出があり、ツタンカーメン王(注2)の副葬品などに日本人専門家が実際に触れながらの作業が続いている。

 読売国際協力賞は1994年に設立され、第1回の受賞者は当時の緒方貞子国連難民高等弁務官。以後毎年、難民保護や災害の被災者救済、医療活動、文化やスポーツ交流など様々な分野で活動する個人・団体を表彰してきたが文化財保護の活動が対象となったのは初めてだ。昨年11月10日の贈賞式にチームを代表して臨んだ専門家5氏に、「人類の宝」を守り、後の世に手渡す活動の意義を語り合ってもらった。

(聞き手 永田和男・調査研究本部主任研究員)

出席者 (敬称略、カッコ内は年齢)
 中村三樹男(74)大エジプト博物館合同保存修復プロジェクト総括。文化財のデータベース作成も指導した。
 西坂 朗子(47)=考古学専門家。プロジェクト総括補佐。
 岡田 靖(45)木製品保存修復専門家。プロジェクトではツタンカーメンのベッドや「黄金の二輪馬車」などを担当。
 石井 美恵(50)染織品保存修復専門家。ツタンカーメンが身につけたチュニックや頭巾の調査や展示方法考案を担当。
 谷口 陽子(46)壁画保存修復専門家。ツタンカーメンより1000年さかのぼる古王国の高官の墓から出土した壁画の修復を担当。

「100年後に伝える」ための協力

――受賞の報をどう受け止めたか。

 中村 すばらしい賞を頂いて驚いたというのが第一印象だった。今まで文化財保護の活動での受賞は例がないということだが、日本はそういった面でもっと発信するべきだと考えていた。エジプトに5000年の歴史があるとは言え、日本も縄文時代からそれこそ1万6000年に及ぶ歴史と文化、伝統がある。『古事記』や『日本書紀』にも書かれているが、もの作りを非常に大切に考え、壊れたものは直すという文化が日本では古くから伝えられてきた。文化財は発掘も大事だが、劣化するものだからそれを守り、後世に伝えていく人を育てなければならない。

エジプト・ギザで建設中の大エジプト博物館内部
エジプト・ギザで建設中の大エジプト博物館内部

 西坂 大エジプト博物館建設は人類の遺産を守るためのもので、世界が注目する世紀のプロジェクトだ。そこに一から立ち会えたのは考古学にたずさわる者にはまたとないチャンスだったし、それが受賞で広く紹介されるのは大変ありがたい。開館(2021年中の予定)した後もどうやって日本が一緒にやっていけるかを考えていきたい。中東アフリカ地域で感じるのは、欧州が行う協力には「文化的な支配」という感じがつきまとうが、日本は一貫して人材育成を行ってきた。最初は指導する立場だったが16年以降は合同保存修復ということで良きパートナーとして協働する形に変わってきた。我々の伝えたことが今後はエジプト人の次世代を担う若手に伝えられていくことに期待する。そうなれば大エジプト博物館が中東アフリカ地域における文化財保護活動の拠点になるという希望も見えてくると思う。

チームワーク

――そもそもなぜ日本が大エジプト博物館建設と文化財の保存修復、そのための人材育成に関わるようになったか。

 中村 このプロジェクトは当初イタリアが主導していたが頓挫した。イタリアの財政的な問題もあったと思う。そうした中、03年に小泉首相(当時)がエジプトを訪問した際に協力が要請され、06年に円借款供与が決まった。我々のプロジェクトはやはり人材育成が重要。いくら箱物ができても運営管理する人がいなければ展示も出来ない。そのためエジプト政府からの技術協力要請を受けて保存修復作業に関わる人材育成を開始することとなった。それこそ100年後に文化財を引き継いでいくためにも人材育成が最も大事だ。

――専門家育成の模様は。

 石井 08年から関わってきたが当初は自分も若手で、いったいどのようにこの協力がエジプトに根付いていくのか正直不安を覚えていた。でもそこから入れ代わり立ち代わり100人を超える日本人専門家が投入され、保存修復センター(注3)の運営支援、そして専門家の人材育成に取り組んできた。

 エジプトではカイロ大学で文化財修復が教えられていたが人材が十分育っておらず、遺物を保存する専門家がいないことがいろいろな国に持って行かれた文化財を返還してもらえない一つの理由にもなっていた。私個人は最初に、「エジプトに染織品の専門家がいないのでツタンカーメンの遺物がボロボロになっている。なんとかしてもらいたい」と頼まれた。1週間のワークショップの準備をして行ったが、博物館の建設現場から毎日、かきだした砂を運ぶトラックが出て行くすぐそばのプロジェクト用オフィスで、エアコンが利くか利かないかという室内で十数人の若手を相手に研修を始めた。

 皆が扱うのをおそれていたくらいボロボロになっていたツタンカーメンのチュニック(上着)を、収蔵されていたカイロ市内の博物館からギザの修復センターまで移動させた。何か事故があったらと考えると自分の職務をかけた移動だったが、それでもセンターまで運んで科学的な調査を行った。糸を一本ずつ数え、状態を調査して寸法を測る。教育を続け、こうしたことができる自信を付けるまで10年を要した。最初は自信のなかった若手たちが、これから中東アフリカ地域の文化遺産保護のリーダーになっていくのだと思う。

 岡田 私は仏像の保存修復が専門で他の皆さんほど国際経験も多くない。お声がけを頂いたが国際協力とはどういうものかよくわからず、上から目線でこちらのやり方を押しつけてしまうことになるのではという不安もあった。だが保存修復センターの木材ラボ長のメドハット博士と会って修復に関する考え方、エジプトの遺物に対しての熱意に打たれて、この人となら一緒にやっていけるという自信を持った。メドハット博士は「日本から学んだ一番大きなものはチームワークだ」と言ってくれた。修復の研修は我々にとっても初めてだったから、研修では日本で共同研究をしていた木材の科学者らとチームを組み、役割分担しながら自分たちのできることを最大限伝えようとしてやってきたつもりだが、その役割分担が非常に刺激になったのだという。エジプト文化の特徴として、どうしても個人主義が強くて自分が知った有益な情報は人に渡したがらない。プライドが高いので、自分は知らないことなどないという態度を取りがちだ。我々日本の専門家が3人のチームを組み、互いの知らないことを補い合いながら研修指導する様子を見て、エジプトの人たちもチームワークというものは想像していた以上に効果的だと受け止めたのではないか。修復の技術的な面では、特に日本が優れていることはそれほどない。エジプト人も手先は器用だし科学的な知識もある。

贈賞式で受賞スピーチを行う中村三樹男チーム総括
贈賞式で受賞スピーチを行う中村三樹男チーム総括

 中村 チームワークの話だと、私は08年に文化財のデータベース作成のチームを作った。だがエジプト人は仲間割れが多く、何か共同してできることをさせたいと思い、プロジェクトのロゴ作成を勧めた。できあがったロゴは日の丸と、赤白黒のエジプト国旗が合わさったデザインで、今でもデータベースに収められた写真にアクセスすればこのロゴをまず目にすることになる。

 谷口 エジプト人の若手は英語文献をたくさん読んでいて知識量は日本の学生や専門家より優れている。しかしエジプトが一番、と思っているところがあって国外の事情を積極的に知ろうとしない。修復の材料も、この合成樹脂を使えばいいのだという一辺倒のところがあり、なぜ適材適所を考えないといけないのかをわかってもらうまでが大変だった。

日本人の技

――エジプト人はしかし、貴重な古代遺産をすぐには日本人専門家に触れさせなかった。

 谷口 最初は、研修では実物を扱えないという大原則と、「できればエジプト人以外には出土遺物の実物を触らせたくない」という気持ちもあった。日本から持って行った江戸時代の看板や骨董(こっとう)品店で買った彩色資料を使って壁画修復のトレーニングをしたこともある。しかし日本から持って行ったものでは材質も製作技法もエジプトのものとは異なるので、エジプト人たちに実物と同じ材料を使ってレプリカを作ってもらい、それを劣化させて練習した。その頃は、ツタンカーメンの貴重な資料に触らせてもらえるなど考えられなかった。エジプト人たちは「日本はお金だけ出せばいい、こんな貴重な遺産になど触らせない」という態度だった。長く現地で必要なものを援助し、話を聞いてあげる環境を作った関係者の努力のおかげで状況が変わった。

 私たち壁画チームは、古王国の高官イニ・スネフェル・イシェテフの墓から運び出されたものなど18点の資料の修復を行っている。100年以上前に発掘され、カイロ博物館内で薄暗い場所に保管されて誰も見ることができなかったものだ。壁画には塩類が大量に入り込み、水分を与えれば塩類が溶け出し、結晶化して壁画が壊れてしまいかねない状況だったので水を用いた洗浄はできない。100年前にカイロ博物館に運び込まれた時は石膏(せっこう)を使った修復がなされていた。そこで石膏のまだ使える部分はそのまま残し、不足した分は「石膏をベースにした」材料で直して展示することにした。石膏を改良して、亀裂部分に注入しやすいモルタルにして、さらに塩類風化が生じないよう、極力水を使わない添加剤を加えて改良した。またモルタルをできるだけ軽い材料にして壁画への負担を少なくするため、鹿児島のシラス台地の火山灰を使ったマイクロバルーンを添加して、軽くて安定したモルタルを作ることに成功した。

エジプトでの活動と人材育成の意義を語る西坂朗子さん
エジプトでの活動と人材育成の意義を語る西坂朗子さん

 西坂 文化財の世界では、知識もだが実際に手を動かすということが重要だ。岡田氏や石井氏、谷口氏のような専門家がエジプト人と一緒に作業し、教える。研修でレプリカを使ったデモや実習をしても、日本人で一番腕の立つ人たちがデモンストレーションをすれば技術者同士、それを見て学んでいく。そこでやはり日本人は技があって信頼できると、一緒に手を動かすことで認められたのかなと思う。

世紀の輸送作戦

――2017年にツタンカーメン王の儀式用ベッドと二輪馬車がカイロ市内の現在の博物館(エジプト考古学博物館)からギザの保存修復センターまで移送された際は、世紀の輸送作戦ということでエジプトと世界各国のメディアの注目を集めた。

 岡田 20キロメートルくらいの道のりだが、日本のようにきれいに舗装された道ではない。渋滞もすごいしとにかく暑い。素材によっては温度が上がると割れたりすることもある。世紀の大移動ということで注目され、100社は取材に来たか。そんな中で遺品が壊れたら本当にアウトだと思った。スピードは出せないので、シミュレーションをして時速30~40キロメートルで走行すれば振動が軽減できるとわかり、高速道路をのろのろ運転で進んだ。エアサスペンションや空調の完備した美術品運搬専用車も用意できず、普通のトラックだ。防振パレットというものを荷台の上に置き、その上に梱包(こんぽう)した木箱を置いて、さらに熱を防ぐためのシートを掛けるなどした。

 中村 遺物の入る木箱の中をカイロの博物館と同じ状態に保つため、博物館内の温度、湿度を1年かけて計測した。

 岡田 保存修復センターはカイロ博物館と違い最新の空調設備だが、これがかえって過保護にならないか。木というのは置かれた環境になじむので、過去100年間なじんでいたカイロ博物館の環境と違いすぎると割れてしまう。1年かけて調べた結果、カイロ博物館と保存修復センターで木の中に含まれる水分の量は計算上それほど変わらないことがわかったので、移動中に大きく温度湿度が変わることがなければ大丈夫だという結論を得てから運び出した。

神の思し召し

――貴重な遺物の扱いがどれほど慎重を要するか伝わるエピソードだが、それ以上に神経を使ったのは人間関係だったと聞く。

 中村 合同プロジェクトをこう進めていきましょうという説明のために図式を描いてエジプト側に提示したことがある。図の中でどれが日本人かわかるように人影を大きく描いたら、それを見たエジプトの人たちが突然、「ああ、このプロジェクトはやめだ!」と言い出す。何のことか最初はわからなかったが、日本人は自分たちを下に見ているのではないかと思ったというのだ。彼らは植民地の経験があるからそういうことに大変敏感だ。私自身30~40年も国際協力に関わってきたが、現地の人たちの心を本当に理解していなかったと思い知らされた。

 西坂 日本のように分刻みの計画で物事が動くことはない。エジプトの人はよく「インシャラー」と言うが、最近はこの言葉を「人事を尽くしたから後は神の思し召しだ」というふうに解釈している。柔軟に物事を考えないといけない。

ツタンカーメンが着用したチュニック(上着)の写真を示す石井美恵さん
ツタンカーメンが着用したチュニック(上着)の写真を示す石井美恵さん

 石井 「神様の思し召しだからうまくいかなかった」と言っていた人たちがあるとき、「我々はこれから日本人になる」と宣言してくれたことがあった。3年かけてやるプロジェクトの最後の半年になり、57点の修復のうち出来ていたのはわずか1点。そこからスイッチが入って夜7時まで残業するようになって、予定通り作業を全部終わらせた。

 岡田 最初は朝9時から仕事を始めて午後2時半くらいには帰ってしまう。だが、「僕は今回1週間しかいられないが、その中でここまでやらなければいけない、さあどうする」と言ったら、では夜も残ってやろうと言ってくれて、夕方5時か6時くらいまで作業してくれるようになった。自発的に始まったことは続いていく。

激動の中で

――08年からのプロジェクトの間にエジプトでは、11年に民主化要求運動「アラブの春」でムバラク政権が崩壊する大きな出来事があった。

 西坂 影響はかなりあった。11~13年くらいは国の情勢が悪化し、町を歩いても雰囲気が悪く人々の気持ちがすさんでいた。ただその中で大エジプト博物館の建設は自分たちのアイデンティティーに関わることで非常に重要と人々が考えるようになり、若い人たちも本当に楽しみにして、自分たちのこととして取り組んでくれるようになった。景気が悪く失業も多い中で大博物館の建設現場だけは止まらずに動いていたのはいいことだったし、混乱で文化財の被害も報告される中、外国人が来て何かするのでなくエジプト人が自分たちの手で文化財を守らないと、という意識が生まれた。カイロ博物館の近隣で火の手が上がったときも博物館を守ったのはエジプトの人たちで、カイロ以外の国内各地でも文化財の収蔵庫の回りで人々が番を始めるようなことが見られた。

 JICAのやり方として、いつか我々がいなくなるという前提で技術移転を行い、エジプト人がエジプト人を教育していけるようになることを目指していた。日本がまいた種をエジプト人が育ててくれるようになる。そういう我々の狙いがちょうど、アラブの春で混乱したエジプトの置かれた状況と一致したと言えるかも知れない。

 石井 アラブの春があった11年に日本では東日本大震災があった。震災後は東北に赴き、直後の4月には以前から予定されていた通りエジプトに派遣された。文化財に危機的な状況があれば日本も海外も関係なく、要請があれば出かけていく。未曽有の経験をしながら。

――大エジプト博物館に対する日本の支援は、海外のメディアにもたびたび取り上げられた。

 西坂 好意的と言えない報道もあったが、米CNNなどは日本の文化外交に見習いたいというタッチの番組を作り、欧州のニュース専門局ユーロニュースも日本による人材育成について非常に肯定的に取り上げてくれた。

日本への還元

――中東アフリカ地域でも一帯一路政策を進める中国の影響を感じることはあったか。

 西坂 中国も(大エジプト博物館に)関わろうとしたが、エジプト側が断ってくれたようだ。ここは日本とやっているから中国の支援は必要ない、と。

ツタンカーメンの「黄金の二輪馬車」の修復作業をエジプト人若手専門家に説明する岡田靖さん(JICA提供)
ツタンカーメンの「黄金の二輪馬車」の修復作業をエジプト人若手専門家に説明する岡田靖さん(JICA提供)

 岡田 それでも中国は勢いがある。文化財保存修復の分野も、少し前はアジアで日本が一番進んでいたがいまはどうか。中国や韓国に抜かれつつあるという面もある。一方で、日本が支援するこの保存修復センターは世界でも有数のもので、日本にそのような施設があるかというと、ない。東京文化財研究所や奈良文化財研究所はあるが、もっと総合的で、臨床的な保存修復まで行う研究センターは欧州にはたくさんあるのに日本にはない。東京国立博物館も膨大な収蔵品があるのに修復は外部委託だ。この大エジプト博物館合同保存修復プロジェクトに参加した研究者はのべ100人はいる。日本の総力を挙げてやったみたいなところがある。エジプトの支援がもちろん最大の目的だが、同時に日本への還元、総合的な保存修復センターが日本にも必要なのだということをもっとアピールしていきたい。

壁画修復に使う材料を説明する谷口陽子さん(JICA提供)
壁画修復に使う材料を説明する谷口陽子さん(JICA提供)

 谷口 私も東京文化財研究所時代から15年近くこのエジプトのプロジェクトに関わってきたが、100人もの専門家がいる保存修復センターのような施設は日本にはないし、あれほど大規模な博物館もない。今はエジプトを援助している形だが、国際的な感覚を持った日本人の人材を育成することも私たちの使命だと思っている。この機会にエジプトの文化財を直したり調査したりしながら、日本人の若手修復専門家の技術、知識の増進をはかりたいし、いずれ日本にも、できれば国立の「文化財病院」とも言うべき保存修復センターを設立したいという夢を持っている。そのような意味でも読売国際協力賞を頂けたことを励みにしたいと思う。

困難な地域での遺産保護を

二輪馬車の移送、修復に取り組んだ日・エジプトの合同チーム(2019年6月、JICA提供)
二輪馬車の移送、修復に取り組んだ日・エジプトの合同チーム(2019年6月、JICA提供)

――日本は今後、世界の文化財保護にどのような貢献ができるか。

 岡田 エジプト人はいったん打ち解ければ仲間になれる。このプロジェクトが終わっても保存修復の専門家同士の仲間として付き合っていけると思っている。心と心の交流と言えば陳腐だが、この経験を実績と考えて、他の国々でも貢献ができたらいいと思うしどこに行ってもできる自信はついた。

 石井 これだけの蓄積ができたので、国際機関のイクロム(文化財修復保存研究国際センター)などと連携しながら、育ってきたエジプト人の人材が常に受け手側ではなく教育する側に回れるような仕組みを日本と共に作っていけたらいいと思う。

 西坂 ここまで育てたエジプトの人材は宝だ。彼らも教えることでさらにレベルアップする。中東アフリカ地域でも、たとえばケニアで一から同じようなプロジェクトを始めるより、エジプトを拠点に地域全体に波及していくという形になればうれしい。

 谷口 私のメインの活動はアフガニスタンのバーミヤン遺跡の壁画の保存修復だが、治安上渡航することができないのでリモートで修復支援をする計画を立てている。シリアのアインダーラ遺跡の鉄器時代の石彫像を保存修復する計画にも関与していきたい。内戦や戦争で被害を受けた場所にある文化遺産の保護はまだどの国も十分に行えずにいる。そうした困難な場所の文化遺産を日本の立場で守ることができればいいと思っている。

(注1)エジプトの首都カイロ中心部にある1902年開館のエジプト考古学博物館(通称カイロ博物館)が老朽化したのを受け、近郊のギザで建設が進む大規模博物館。古代エジプト王朝(紀元前3000~同30年)のものを中心に文化財約5万点が常時展示され、単一の文明を扱う博物館としては世界最大になる。エジプト政府は21年の開館を目指している。総事業費約1400億円のうち約842億円が日本の円借款でまかなわれている。

(注2)紀元前1330年ごろの古代エジプト新王国第18王朝ファラオ(王)。9歳で即位したとされ、在位期間は約10年。有名な黄金のマスクは、1922年にエジプト南部ルクソールの「王家の谷」で発見された。

(注3)大エジプト博物館の付属施設として2010年に完成した。日本は文化財保存修復にたずさわる若手専門家育成のための研修を08年から16年まで8年間実施し、「予防保存」「保存修復」「保存科学」などの分野で指導を行った。16年11月からエジプト側の申し出を受けて合同保存修復プロジェクトが始まり、ツタンカーメン王の二輪馬車や儀式用ベッド、染織品、古王国の壁画などが修復の対象となった。

※この論考は調査研究本部が発行する「読売クオータリー」掲載されたものです。読売クオータリーにはほかにも関連記事や注目の論考を多数収載しています。最新号の内容やこれまでに掲載された記事・論考の一覧は こちら にまとめています。
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1805929 0 読売国際協力賞 2021/01/29 10:00:00 2021/02/02 14:52:21 2021/02/02 14:52:21 https://www.yomiuri.co.jp/media/2021/01/20210129-OYT8I50053-T.jpg?type=thumbnail

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